日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

認知次元と感覚    20201205

2020-10-26 00:57:42 | 日記
此程に、英作能力に対して渇望を持った事は今迄に無い。尊敬する祖父はよく此程に愚かな言語は無いと話していたそうだが、何が難しいかと言えば、自身の言葉の次元を下げて組み立てなければならないと語っていたそうな。


まあ、確かに今思えばその言葉の真意も解る様な気がする。さらに付け加えればもしも、日本が英語の方へ引っ張られるなら、より馬鹿になるだろうとも語っていたそうだが、何とも祖父らしい言葉の言い回しだが(笑)今思えばそうかもしれないと思う。

祖父はとても「日本語は物事を明確にしてくれる解りやすい言語である」と語っていて、そこの所が表現された言葉として、以前何かで見た村上春樹と村上龍の対談で英語は「とてもわかり易い言葉」と話していて、何なんだと同じ言葉なのに何か違う様なという混乱した気持ちになったものだが、今思えば認知の次元が違うのだなという単純な事であった。その単純なことが、現代日本で認識されないことで、ルート√i の世界だったんだなと言う事。

そして、日本人で最近発見したのが吉本 隆明という人の幻想という話が最近気になりだしたが、するとやはり東京工業大学電気化学科卒業という事で所謂戦前の比較的に操作されていない頃の理数論理が身についている人なのねという感じか(微笑)


蛇足として、今回の話はここら辺りだが、別でもないことで最近滅茶苦茶面白い「憂国のモリアーティ」此れと何だか感覚みたいなものが重なってしまうから面白い。

それと同時に、攻殻機動隊の素子とバートーがヘリで会話する場面が面白い演出だなと思った事で押井守か誰かが語っていたが、その場面で視聴者に何だか解らない事を、検索しながら話しているという感覚を覚えてほしかったというが、私的には皆解っていることで、音が面白く、何だか会話が遅いな程度にしか感じなかった事にそんな、裏テーマがあったのかという何だかそんなことが頭に浮かぶ。
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記号論理学 その3  数理論理学

2020-10-15 00:55:28 | 日記
 題名の副題の通り、早い段階で数理論理学的体系を掴まなければ為らないとは数学史でも解る。

それと同時に最近林千勝の講話を聴いた事と繋がるのか、日本で戦前は普通に語られている事で、今も海外では普通に知られている事が、日本では陰謀論的な扱いになっている事がある。

それはロスチャイルドの話等がそうであるが、その中でアトキンソンの話等があり日本人はこの手の人によく騙されるが、何時も何故なのかなと思うと同時に、以前の私もよくこの手の人間に騙されていた。そこで再び何故私もそうなんだろうかと改めて思う。

以前は、同じ様な状態が生じても何か規則性がありそうだなと思う程度で、それを認識という段階にまで高める事が出来なかった。この様な事は頻繁に生じていたが、表現する手段を理解して居なかったのだろうか。

記号論理学で言えば個体変項と個体名の項目に為るがこれ程単純であるのに気付かないものなのか・・と思ってしまう。そしてそれだけでは無いだろうなとも・・。

所感として教授から深く理解すると評されたのは誇っても良いことなんだろうな。長年追い求めて来た事で、速読というモノに大した意味を見出せないという思いもあったのだし、何故かと言えば何かの拍子に思い出すだけでは駄目だと思うからで、思い出したから何だと言うのかと言う事で。
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記号論理学  その2  追記修正20201015

2020-10-04 00:51:02 | 日記
 自身の混乱の原因を認識出来なかったのは中学時代かとも思ったが、否、小学時代かもしれない。所謂の見捨てられた世代だが、何かオカシイと言う感覚だけが有り、それは精神の内的にも、外的にもあり内的な事については此処で書いたことがある。

それで今回はその所の精神の外的なオカシイと言う感覚についてと言う事に為るがそのことに付いて書きたい。

その感覚は日々受けていた教育と言うしか無い訳で、歴史がオカシイのは解っていたので、予め排除はしている。それでも、教育の何かがおかしいのは変わらず、分かっては居たが何処がおかしいのか具体的には解らず、何をして良いのかも判らず、棚上げ状態だった。

けれども、現実は自身へ答えを迫って来る。そして考える時間を与えてくれはしない。

 後に(追記・修正)知ったときは驚いたが、科目の歴史だけではない歴史的なものとして、数学にも影響があったという事が解るが。もちろん当時は未成熟で且つ、考えるには不向きな状況の貧しい家であり、当然教育に関しても厳しい状況で、更には家庭崩壊に児童期環境の激変も加わる。当然の結果として仕方ないと言えば仕方ないのだが納得も出来ない。

そうした時の最初に再び戻り、混乱していた事を認識できていなかったという事であり、当然混乱しているから、初期の状態では認識すらも認識出来ないと言う事に為るのは当たり前ことで、そのことも在りつゝ見捨てられた世代の厳しい状況でも、気持ち的には投げ遣りでも、状況を変えようとしていた。それでも矢張り状況は厳しい。

今では言葉がある所謂ブラック企業では到底困難な事を身を以って体験する事に為り、睡眠時間は粗1時間半で、月の休みは最小4日だが、シフトの切り替えがその休みとなり休みと言えるようなものでは無かった。試用期間と称して1年近く有休も無ければ年休も無い。

当然肉体的な内容が主なので、その疲労も過重に掛かり全てを自身も含めて破壊衝動に追い込まれた。

浮かんでいたのは「何の感情も分からない、自分自身も、そして周りも、現実も何が何だか解らない。唯、「誰かが見えない力で自分を殺そうとしている。」」そして、その決断を自身に迫って、更には自分に判断を迫っている。と言う事だけだった。

その時に私は日本語に救われた。自殺という言葉に。

そして同じ様な思いを抱えている人と一瞬話せた事で一時だけ正気に戻れた。今と同じ様に、すべてを戻して行こうと。

結局その時の答えはチャーチルに類するモノだった訳だ彼は何と日本は今後100年は復活することはないと言っていたとか。その通りに成っている。


記号論理学とどう繋がるかと言えば認識の負荷か。
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記号論理学と日本語厳密性 その一

2020-10-02 23:05:19 | 日記
 青山繁晴の話しぶりはどうしてこんなにも解り難いのかと不思議に思っていた。この様な事は私の中では放ってはいけない事柄で、此れは多く人と接すると不思議と結構な割合で生じ、解り難い現象がなぜ生じるのか疑問だった。

解決しなければ、私の認識に一般性を持たせる事が出来ないので、必ず必要な事で、そんな折徐々にだが何か観えて来た気がしていた。それもあり、最近達成した記号論理学の抽象化から、一般化、そして具体化の例を漸く終了して、成程と得心が入ったことがある。

そういう事かと言えば青山繁晴の話し方は前提が抜けている事が多く、その前提条件に依って論理の背反事象が発生し前後し、その前後から考えようとする何とも解り難いものだったということ。普通話す場合は起点の即ち基準を置き、証明して終了したら、次の段階の背反や継ぐモノへと進んで重ねていくが、頻繁にそれが入れ替わるという事。

入れ替わるのにそれも、前提が抜ける事も多く、証明の必要な整序が前後して居たりする事も多く、急に感情の話が挿入されていたりして余計に混乱させようとする。

成程という感じ。基準の話は数学史を学習すれば解る事で、父が青山繁晴は無駄話が多いと言って余り観ない理由が解るな。

記号論理学で数学概念を利用した凡そのものから、確信の函数へと昇華出来そうだ。これから一つの手法とライティング以外の日本語の厳密性へと認知が入って行ける訳だ楽しみだ。
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