日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

精神と精神性と衝撃的繋がりと外界

2022-08-27 07:23:35 | 日記
 「中り矢」あたりやか。此れであるなこれが重要なことだったか。物事の精神性に通じる弓術に付いての話で抜けていたのはコレか。此れが欠けていなければ真直ぐに取り組む事は出来たな。

射る状態は射ないことで、射ないことは射ることであるか。見事だな確かにそうかもしれない外人には何のことか分らないらしいが、私はこの言葉で分った気がする。

けれども混乱していた当時の自身の状態時にこの言葉で内容を汲み取れたかな・・。思い返してみると、そう言えば射る状態はいないことで、射ないことは射ることである、という言葉は何処かで聞いた事がある気がする。

袴を着て歳を経た人が大学の若者講座でやっていた時に遭って僅かの間だけ話した人だったかな。だが話が途中だったのか切り上げられてしまったが、中り矢という言葉があって初めて次の文節の射る状態はの処の意味が解る様に思う。

未だ冒頭ではあるが何だが、芯にビリッリと響く感じはした。丁度その日に雷が光って0.x秒で近くに気象現象ではあるが落ち、家が揺れた。

幼き日の祖父母宅で目の前に雷がマンホール蓋に落ちた瞬間に、金属製の窓にピリッリと身体に流れた瞬間を思い出した。その時もある核心の感覚に付いて考えていた時である。

こういう事って昔から在るんだよな何故か精神の話と精神性が衝撃的に繋がる時に外界に似た性質性が起こるという。

なんなんだろうな。
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図と図形と感じると見える

2022-08-24 09:46:25 | 日記
 図と図形の話として図形を基本軸の形で型として組み立てて行くという話を以前、祖父が話して居たことを暫く前に思い出す。思い出したのは何時頃だろうか・・・・と思うとき矢張り心辺りがあるのは以前の記事で書いた、現実世界のあらゆる処に、相似が1感じ、2見える様に為った時からだろうか。

 初めに1の感じてから次に2の見える様に成るという事だから、脳の感じる所での軸索が強化されたということなのかな。最近になって漸く関係していると思われる幾何と情報関係の書籍も出始めたからこの本から、研究に繋がる手掛かりが見つかれば良いのだが。

しかし、時間もないのに遣りたい事や遣らなければならない事が多過ぎて本当に参るな。教授からはその儘研究に進んだ方が良いと助言を頂いたから、継続しつつという思いなんだけどな・・。

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修辞学と数学と記憶と

2022-08-17 23:56:54 | 日記
 思った通り修辞学という事か。西洋社会では普通に自分の言語に付いて意識的になる為に当たり前にある学問分野。無意識的に利用しているものを意識的段階に持って来ることの必要性。

これも数学史を学んで発見があったことの一つではあるが、以前の同級生もそして親戚の女の子もそして祖父もそれぞれ段階は違えども体験していた。文章を作るにあたって精神的負担が掛かるという行為については私の以前の数学で叫んでしまったことが起こっていない状態なんじゃないかと思ってしまう。

そういう必須的なことが含まれてい居ないから日本人が英語が何年勉強しても外国語が出来ないという作為的な事が起こっていると思はずには居られない。正面からマトモに考えて認識しようとしていないじゃないかと思う。

人々の為にやろうと考えていないんじゃないか、それとも認知形態を理解していないのか。後者の可能性が高いか。

それはそうか数学の認知科学という本は読み途中だが非常に示唆的で興味深く面白いし為にもなるが、以前は此れ私も理解できなかったものな。読みたい本に、他に勉強しなければならないことが多くて参るな本当に。
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感覚と水の中と弓道精神日本文化と数概念

2022-08-13 23:47:54 | 日記
 自身の学習の傾向が見つけられて、改善できたとすれば何処だろうかと最近よく考える。そう思うとき現在はそれが出来ていた、その感覚が確信を以て、ある気がする。

その感覚の源泉は川で溺れて水を沢山の飲み死を感じ、目の前が息苦しくて少し明るい水中での視界が外側から徐々に暗くなっていく瞬間に、考える時間が欲しいと繰り返し願って、計算上4キロ流されて助かった時と同じ感覚だから憶えている。

 やはりre-mainのOP歌詞と音階は見事だな歌い手は微妙だけど。曲とだと感覚と共に頭が纏る。

やはり数概念の誤認識から始まった4年生位だろうか。発達心理学的にも抽象的な事が理解出来始める時期ではあるけど、遅生まれに近い生まれだからなあの時期の数ヶ月はとても影響が大きいのは今ならわかるものな。

確かにあの時期に身体も精神も重なり、5年生位から白髪に為り始めたんだよな今はそれは治っているが。治るとは思わなかったけど治ってしまって自分でも驚いているものな。


余談 それで強烈に弓道精神での日本文化を知りたいと思うのかな。


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刺激と感覚と記憶と共感と数学

2022-08-05 10:06:55 | 日記
 最近刺激からか思い出したことがある。初めて学習した時に何だか通じる友人M氏がいて、感覚が通じるものもあるが、何時も一歩先を行って居る様な感じがした彼。

そして爺さんと同じ所へ憧れで行きたかった同じ高校も難無く向かっていってしまった彼が、ある夏休み期間後に纏めていたものがあった。それが今思えば日本語文法に付いての物だった。

当初彼はそれを隠していたが、観られて嫌なものなのかと問うたらそれを否定して見せてくれた。もしかしたら恥ずかしい思いもあったのかもしれない。

そうした時にそれが日本語文法に付いての内容だったことを思い出したのは矢張り相似形なのかな。(笑)

その纏めたものについて全部その内容なのかと質問して、見せてあげるよと応じてくれた。数秒で一通り見たが全てその内容だった。

それから何か途中の様だけどと質問したら、その通りでもう一冊あるということだった。加えて何故こんなモノを作ったのと質問したら、初めはこんなに量になるつもりじゃなかったんだと、でも時間が無いから夏休み中に纏めたかったんだという風に答えてくれた。

 不思議な感覚で、興味を惹かれ何故まとめようとと思ったのと問うたら何と無くという事で。何だか納得がいかなくて何と無くとはどういう事という話をしたらもう良いだろうという風に言われてしまった。

 今思えば、ソレが核心だったのかもしれない。

その何となくというものは何なのだろうという事が私はいつも思ってしまう。もしかしたら知っていても話さない、或いは話したくない、又は面倒くさいという事なのかもしれない。

 今思い出した。どうしても気になり再び問うた時に、そんなに知りたいのかと問われそうだと答えて、そこで教育の話が出たのだった。

現状の話から、これまでからの今の話へ。大分端折ったがそんな内容だった。

正直言って流石だなと思った。現状を離れてみることができるなんてと思いその事を伝えた。

どうしてその事を知っているのかと思ったら、何だかオカシイからと思ったからだと。その通りでそのオカシイ思いに私も共感して意気投合してしまった。

 それから、意外にもその思いに共感してくれる人が居ないらしいという話を聞き私は驚き、その後彼は成績が急上昇していった。

蛇足 そう言えば後に見る夭折した親戚の女の子は似た内容を小学校3年生から4年生の間にやっていた気がするな。何故覚えているのかと言えば、本当に解っているの?と問うた事があるからで、当時は女の子故の特質なのかと思っていて自分は愚かだな、なんて思っていたが自分の姪達を観ているとそんな片鱗は無くそれは全くの思い違い。
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