日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

数学の認知科学  1  数学の歴史 20210903

2021-08-19 22:43:22 | 日記
 無意識的認知。数学の無意識的認知。

正に此れを探していたんだな。こんな言葉を漸く発見するとはな~。もっと早く見つかって欲しかった気もするが、昔はこの文章の前書き部分を読んでも何の事か全く解らなかったもんな。

数学の歴史を遣る前に一度この本を手に取った事があるんだが、その時は全く意味が解らなかったもんな。それでも長年感覚的に疑問に思っていた事はこの関連に付いての事だった訳で・・。

数学に対する認識が間違って居たものなぁー。長岡亮介の本を読むまでは(追記 本に叫んでしまう程に気付かされて、その後何が必要かと思いに駆られ、全体を体系的に知る必要があると判断し、その後に数学の歴史だものな。)

それでも話をする時に、感覚的では同時に、目の前の現実と共に図形が見えてしまったり、数学を学ぶと考えてもいないのに映像が目の前に展開されたこともあったりし。その時は現実の目の前が見えなくなって、恐怖に駆られたこともあったんだもんな。

無意識の感覚との遊離している状態だったからな。

「数学の認知科学」の本が此れ程スラスラと読んで理解できる様に為ったのは良いことなのだが。。s。

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2つへの思い    20210919

2021-08-16 01:07:41 | 日記
 勉強と課題は違うと言う事に今更ながら意識させられる様に為るとはね。

だがそれもいいとも思える。それは世の中では一応体系的とされるものを知ることによって、業界での標準認識が学べるからだという事になるのか。この言葉を書き出す野に随分と時間を要したな。

一応感覚的には解っているだが、それを言葉として意識に登らせる形で纏めるのは相変わらず勇気と根気の要る行為だよな。この事に寄って自分自身の見方が確立されると思えば興味深いことではあるが。


そして勉強とは自分自身の興味の赴くままに知を探求できるという。之は此れで大事な行為ではあるんだよな自身にとって。

こういう事を学んできたんだよな。学ぶことが思ったよりも膨大で此処まで達するのでさえ苦労したものな。

単なる愚痴だな。



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認識できたこと   20210819

2021-08-16 00:41:05 | 日記
 父が私の言葉を解せない様に為ったのは何時頃からだろうか。そう思うとき直ぐには思い出せない事である。

そうする事を感じ始めたは漸く大学で勉強を始められ、自身と向き合う事を始められた時だっただろうか。それまでは知識と感覚だけで判断していたと思える。

それが考える事とはどういう事かと教えられ始めたときに、何を遣っているのか解らなく成ってソレを考え始めて、「考えることを考えている」のかと言うのが結論だった。そしてそのソレを意識しだした時から父が私の言葉を解せ無く為り始めて来た様に記憶している。

父に何度説明しても納得してもらえない事が多く為り、もういいという風に聞く耳を持たなく成ることが多く為っていった。

そして、しばしば納得したものは奇妙な事に、私が話した事を自分が考えた事の様に、錯覚する様に為って行った。最近ではそれはアフガニスタンの事など。

それまでにソレを間違った認識だと指摘すると、大変自尊心が傷つけられるのか、父は存在していても仕方がない、死にたいと言う様な反応を見せたりする。

何故そうなるのかと思う面もあるが自分がしたい、詰まりは学びたいと言うことが出来なかった過去が大いに関係しているのかもしれない。

そして、それでいて私を軽んじたりする事も多々あり、最近は次第にそういう認められないのが父なのかも知れないと最近思う様に成った。

 この認められないと言う事を私が認識出来なくて、現象としてだけの父の姿を見てきた様に思う。だからこそ私自身はとても傷付けられたりしていた。

その一例が昔から父は初めの約束を違える事を軽んじる傾向があり、そして、不平等を言いつつ自分の兄が滅茶苦茶な事を言って居るのにソレを受け入れ、自身の子である幼い私を助けてくれないという行為があたり。更には容易に見捨てると言う行為も幼い頃から度々あった。

その度に傷ついていたが、それも認識できないで居たんだよな。



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昔だったら混乱したこと  20210807

2021-08-03 00:06:42 | 日記
 最近の公教育は思ったよりも改善されて居る様だ。やはり社会とは無関係ではないと言うのが創設時よりの誰からもの題材だったとは思ったよりも、明言されていて少々意外な思いもある。

それと同時に最近の医者の奇妙さと言えば、日本の伝統的な価値観からすれば考えられない程に奇妙に思える行動だろう。と言うよりも、最近になって表面化してきただけなのか?

或いは自身が責任を持って行動するという、ある面での統率する者という行為の内的作業モデルの内製化か出来ていないという事なのだろうか。

その様な行動は明治以降の武士的な精神性を喪失させようと、戦後社会から更に加速させて来た枠組みの力に依れば当然の結果とも見做すことは出来る。

 その結果として、現在の人々のマスク行為とワクチンの関係性。そして、恥ずかしい話だが父の普段語って居る事と行為のちぐはぐさの行動だろう。

 幼い頃だったらこう言う事に、一々混乱して居ただろうな(笑)

 こう言う事を話しても心理師に伝わらないんだよなぁ~。だからこそ、私が成る必要があると思うんだけどな。

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