やっぱり、身体も頭もなまるな~。身体は結構早いけど、頭はまあ、凡人だから仕方無いか。
生きて居る内に、父のに恩返ししたいのだが・・。
正に、いつ迄も居ると思うな道連れと親。だよな~。
やっぱり、身体も頭もなまるな~。身体は結構早いけど、頭はまあ、凡人だから仕方無いか。
生きて居る内に、父のに恩返ししたいのだが・・。
正に、いつ迄も居ると思うな道連れと親。だよな~。
マリア絵画が欲しいな‥。マリアの絵画を見ていると、何だかホッとするんだ。
自分が男性だけど、女性のほうが良かったかな~とか思ったりもする。まあ、男性的な支配欲のようなモノも無いし。
でも自分は微々たるモノで良いからもっと北欧の様な社会に成って欲しいと言う想いがある。
戦前の人は良く分かっていた様で、日本人の没個性は責任者と発言力の抑圧を生むと。故に家制度の僅かでも残そうとしたのだ。
いやぁ本当に眼がねぇなぁ~。座頭市の面白さは目を眼に掛けて、実際の目を見えなくする事で眼を強調するところかなぁ。たまに出て来る「何もかも反対に成っちまって」っていう言葉とかが、戦後の日本に掛けて、見えなくなったっと掛けて、そんな中だけど、人についてはうれしいところは変わっていなくて、そんな所がなんだか変わってないのがうれしく、そして、変わって欲しくないのがこの作品で、石原裕次郎の歌にも表れる。勝新太郎は此れだけは忘れるなということを言いたかったんだろう。
そして、戦後世代の我々に、座頭市の様に生きるしかないとある種の諦観の様な思いを私風に言えばボヤキ、かっこ良く言えば、作品の主題において居たんだろうな~。
やっぱり時代劇って、背景を借りた、西洋でいう所の文学作品、戯曲やオペラなんかと同じで好きだよな-。
人には決められた心的エネルギーが心理学では知られているけど、内部被爆ってミトコンドリアの活動低下から身体が疲れやすくなるという現象を経て、物資の分裂エネルギーを人など生物が取り込むことで補完したように感じる事が皮肉っていうか、滑稽に見えてしまうのは私だけだろうか(苦々)
まあ、自分自身も滑稽か(自嘲・苦笑)
@@@@@@@@@@@@
間違えだ。
身体のエネルギー心のエネルギーが何らかの形で繋がっているんじゃないかということ。
証明はされていないが。間違ったら直ぐに嘲る人も居るが、此処から始まる事は多い。