日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

プログラムと感覚統合

2018-07-31 06:10:01 | 日記
 コンピュータプログラムにどうも違和感を感じていたが漸くその原因が分かって来た気がする。c言語は特に外国言語の感性を強く感じるような気がするのか。

だがそれは何となく分かっても,日本語言語感覚のプログラム言語はどんな感覚なんだろうか。日本人が作ったと言うRubyと言うプログラムだったらそう言う違和感を感じなくて済むのだろうか?更にはpythonなども違いを感じるのだろうか?


日本人が優れた言語を開発と言うのが一時期話題になったflowerはt違う感覚なのだろうか?


しかしプログラムで逆関数が出てくるとは思わなかったな~。またまた,理解が不十分な所じゃないか。まあ,数学自身が私の人生に此れほど関係してくるとは思って居なかったというのも私の認識不足と不勉強でもあるのだが。でも,何だか数学が面白く為って来たなぁ~というのが正直な感想なんだよな。


これは忘れていた感覚で何時頃失ったんだったか・・。もしかしたら,小学校時代かもしれないな・・そういえば。否,波があったかも知れない。数の数え上げを学習した時が初めてその小学時代の感覚を刺激されたような気がしたのか。


その時は久しぶりに刺激された感覚で,これは何だったかと言う思いに耽っていたんだったか・・。こういう感覚が好きなんだよな,こういうことが頻繁にあるからそれを統合したいんだよな。
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図形アルゴリズムと儚い

2018-07-27 00:50:15 | 日記
 何時頃からだろうか・・。確か中学時代からの様な気がすることで,自分が訳も分からず探している本があったように思う。具体的に探していた本と合わせて2冊の本。


一つは中村明人の本。もう一つは自分が何故か人に対して時々図や映像の様なモノが見えてしまうので,それは何だろうかと言う思いから,それに類する事が何処かに無いのだろうかと,見当も付かないので,過去の人物を探そうとして,歴史の本を探してしまったのかもしれない。


高校になっても,それは見つからず,仕方なく自分に付いてその事が浮かぶ時に,どの様な現象なのだろうかと,自分の思考を巡らしていると物事認識に付いてで,図的認識と言うことなのだろうかと言うことだけは分かり,念願の大学に行って,心の勉強で探してみたりするがやはり見つからない。


何時しか,そんな映像が見えることの探求を諦めて居た現在,私が求めて考え出した事そのものが,図形アルゴリズムの中に二次元的認識の幾つかのパターンそのモノが記述されている事を学習し,驚きと面白さと,感覚的にはもっとアレ何だよな~と言う思いが沸いてくる。


今になって思うことは私が不思議な感覚があって求めて考えていたのは此れだったんだという思いが浮かんでいる。



そんな時,ある事柄が浮かぶ。高校時代友人にどんな進路がいいのかと。ある観測をしていた時に聞かれたことがあった。

勿論大学に行きたい思いもあったが金銭的に考えられない状況。そういうのを抜きにしてと仮定してと付け加えられ,私はこういう観測などの数値や事柄から,新しい事を見つけることをしたいなと話した。そうすると実験をする人かと問われ,そうではなく実験自体は誰かに任せてもいいと答えた。

友人に理解してもらえず,具体的な行為を答え,「観測をしていると何だか,感覚的にだが何か浮かんでくるじゃないか,それを記述的な思考によって記述したいんだよね」と。


その次に,そんな学部なり大学は全くどんなものか想像も付かないんだと言う話をしたら,それはきっと理工学部だという話で終わってしまい,良く分からないまま,うやむやになった話しを思い出す。
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抽象圧と認識

2018-07-18 11:23:42 | 日記
 数学の夢を見る時とそうで無い時の、不思議さは妙なものだ。


同じように学んでいるつもりでも、自分としては抽象圧がそれ程高まっていないという事なのだろうか。


感覚的には何故か与圧の空間が拡がった感覚を覚える。それと同時に情報の処理量の様なものが微妙に増えたような感じで、そんな感覚を覚える。


それに、その拡張分をまだ十分に遣えて居ない様な感覚がある。それと同時に、思うことで驚いたのは私自身の頭が数学と関係して、直接的に本を読む行為そのものの理解の速度が上がったという事。


本を読んでいると、内容についてが抽象化という行為を経て、数学の数式が自然と頭に浮かんで、その事によって二つの状態が生まれ、没頭する心と、自分がどの辺りに居るのかを同時認識し、組み立てて行く様な感覚があり、その副次効果として精神的に楽に為り消耗しにくくなるという事が起る。


一般の人はどんな感覚で本を読むのだろうか。私は少し前まで2~3頁進み、読んだところを振り返ったり思い返したりしながら、積み重ねて行くという行為を繰り返していた。

これは小学校から変わらぬことであったが、此れの再編をしたのが高校時代の超勉強法という本だった。それを入れ替えるという行為をすることによって、自由にという話。それ以来以上の認識という自分の中では大きな変革だ。


 長岡亮介先生様様だな。数学のちょっとした話が、節の様に繋がって構成していく感覚がある。


青山繁晴の文章をみると子葉に拘泥しているように見えて、実際の話と同じように無駄が多い気がしてしまう。一部読むとそんな印象をもつ文章。


それと同時に思う事が、最近探していた本が漸く見つかって認識についての影響の本。何の題名の本か、ずっと話に触れられて居たが題名が解らなかった本が最近見つかったので気分が良い。そんな話と繋がった思いが浮かんでしまうんだよな(微笑)

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冷蔵庫とまおゆうと黒鉄一輝

2018-07-13 09:48:43 | 日記
 
 冷蔵庫の記事を読み返してみると、自分でも新たな言葉が浮かぶ。前半の何故彼に憧れたのかなと言う思いが、当時は何となくという、曖昧な感覚でしかなかったが言語化してみるとよく解って来る。


それは彼の様であったなら、まおゆうの魔王の女性の様な人に出会えたのだろうなという思いがそう思わせたのかもしれない。現在はそうでないので、この「まおう」の様なモノを持ち合わせて、過去の勇者を救いたいのかもしれない。やっぱり、そういう面では私はやっぱり、女性的なんだろうな(微笑)此れが黒鉄一輝の語る第二話の場面とも重なるんだが・・



いや違うか。河合隼雄の言うモノでは違ったような・・。また、学習する機会が訪れているな。。愛に対しての本も読んでいるし、河合隼雄の本も読まねばとも思っているし、数学の学習に、データ分析と知識の発見も欲しいものの最後の単位で必要だし、Pythonも必要だし、Rも学習せねばだし、javaはその過程で必要な様だし、英語も関門で必要だし、学習することが多いな・・。。


更に教授から勧められた分厚い本が5冊もあるし・・。知っておかねばならない内容の本が、岸田秀もあるし・・他にも他にも。。



  https://blog.goo.ne.jp/dark_angel_jam/s/%E5%86%B7%E8%94%B5%E5%BA%AB
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数学 その六  至誠

2018-07-11 01:12:33 | 日記
 やっぱり,数学の証明をして理解してから問題などの解法などをやるとシックリ来る。数学Ⅱでどうも問題などを解いたり練習したりしていたものが,始めに述べた行為をした後だと,何の頭の奥の滞り無く理解し身に付くように思える。


染み付くというのかそんな感覚とでも言う様な感じだ。まるでDIOのスタンド能力の発現したときの,ジョジョ一族の血を吸った時の様にというのがこんな感じだろうかと想像させる様に。


幾つも,確認してみる。私が使用していた時代の教科書や,薦められて買った,これでわかる参考書なども更には青チャートには微かに表面上のことがあるだけ。当時も感じてM氏に話した気がするが,そんな事思わないけどと言う様な事を言われた事がある。


不思議だな。何故私はこういう長岡亮介の謂うモノがないと,数学が浸透して行かないのだろうか。それともM氏だけなんだろうか。まあ,私は不器用な人間である事には間違いが無いので,その辺りが関係しているのかも知れない。それ故に,至誠という物事に誠を以って当たらないと,本質からズレて,道を間違えて,迷い,更に見失ってしまうと言うことが経験からも,知識からも分かっている。


そこで,頭に浮かぶ図なのか,像なのかが再びあたまに浮かび出すんだよな。。
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