日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

道程の蟠り

2017-02-28 17:03:21 | 日記
何時の頃からだったか、と自身にしばらく前から、問うていた。


それは統計などのデータを処理するすのが初めて面白いなと感じる頃のことだった。


はじめは中々思い出せなかった気がする。しばらくすると確率の計算をすることが数学の中で、久しぶりに面白いと感じられた頃だったんだろうかと思っていた。


けれども、自分の性格として、唯の理論だけの時に判断や、感じる筈が無いと思い直し、眠ているときに考え直したりしていた。


すると、自身が活動で気象のデータを集めたりしている時に、こういうデータを処理で来たら面白いだろうに。と、思った事を一人の寒い中で計測観測をしながら思っていたことをフッと思い出したのだった。


その時に、こういう事を職業にしたいなと思ったのだが、当時の先生に話しても、そんな職業は判らないという様な事を言われた様な気がする。それで担当の場所に行ったが、馬鹿にするばかりで、マトモに取り合って貰えなかった様な気がする。


そうか、そうだったんだな当時はそういう制度や体制が十分でなく、資格すらも十分でなかったもんな。そういう教師みたいないい加減で、無責任で、傷つける様なことをいう存在には成りたくないな。目的を達しつつ、そういうことを改善出来る存在というのが希望かな。
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学習速度と精神的負担

2017-02-06 22:20:22 | 日記
 言葉をしっかり理解するとはこういうことかという感じる。本をというか文章を読んでいてこんなにも精神的負担が違うのかという感覚。日本語感覚は滝浦直人に近いと思う。解説の通りの疑問をよく感じていた。


名文と呼ばれる文章の話とそれを敢えてしないこと。今までの何処かズレている感覚のある学校の授業とは違う。


ここで青山繫晴が出てくるが,彼の理論に依ると眺めていると見えて来るらしい。私から言わせればそんな阿保なという感じだ。それは理論で無く感覚だ。判って居る人は解って居ない。此れは世の常だなといつも思う。


彼は恵まれた環境で親の愛に包まれ,更に彼に望ましいと思われる,教育を授けたのだ。その豊かな素地素養があったからこそ,「眺めているだけで」というフザケた言動でそういう,本が解かるのだ。


私の場合は解らないものを幾ら眺めていたって,眠たくなるのが間欠に襲ってくるだけで解る筈も無い。こういうところが彼の問題であり,些か信じられないし,不信の様な所なんだよな。


私が興味あるところはそういう認知科学であり,脳科学であり,AIに繋がるところなんだよな。色にも,音にも,絵画にも関係するし。言葉にも繋がる。それに社会心理にも。


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それにしても,化学の理解が早くなっている。精神的負担が違う。教育改革が必要だよな~。内的な意味でも外的な意味でも。
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