解っては居たつもりだった。わかって居たつもりだったが自身の進度の遅さに何とも言えない心境になる。
これは情けなさなんだろうか、それとも何かの後悔なんだろうか。私は多くの場合に体の調子の悪さから、予定が狂うことが多い。
此処まで体調不良が絡むと、次第に自分の身体が弱いのではないかと思い始めるそんな頃のこと。認識が曖昧であったが、それでも時が次第に身体は壮健な筈だという段階から、実は普通なのかもしれないを経て、それすら通り越して、普通でもないかもしれないという段階へと向かい、結果的に身体が弱いのかもしれないという段階に至り、そうして身体が弱いという事を頭では分かっていたつもりだったが、実際は受け入れられなかった。
弱いというのを頭で分かったのは部活動時代の時か。同じ服装をしている事を確かめた上強要され、更に体育館で、同じことを強要された時に、その場所から離れる際に私だけ悪寒と、怠さに襲われるという様な事が度々あり此れは私だけ体質が違うんだなという事が分かり始める。
その後、そして自身の身体の弱さを受け入れ始めた時に、漸く少し見えて来たものがあり、その度に修正して来た積りだったが、幾度も判断を誤ることがあり、その度に腹痛を起こしたり体調不良になったりしながら積み重なる日々を思い出す。いつ頃からだろうと思う時、昔から不具合はあった様な気がするから、食事を考えるようになった時か。
それまで食事がただ飢えを満たすだけのモノから、身体を支配し構成し造るものという意識を持ち始めた時か。必須栄養素は一応考えていたが、弱さを受け入れ、意識を変えたのは大学で加瀬英明のタルムードの本に感動した時か。と言う事は二十代半ばにしての漸くの修正か。
混乱の極みだったそれ迄の歩み。考える手段としての数学の間違った学習認識の拡がりから、その事が頒布されて誤った認識で受け入れ、考える事とはどういう事かということを理解して居ない、混乱の渦に嵌っている状態。
成人してから更に未だ学ぶ為の自身の問題を突き詰めている時に、漸く気付いた事で、こういう日常的で、支援的なものは成長時に母が気に掛けてくれるものだったということ。
その自身の問題を突き詰めている時に、大学で学業をしながら母親業をしている方々と話をする機会があり、「随分自分の母親とは違うな」という姿に驚きと衝撃を受け、加えて「これが私の思う普通の女性が持つ母性というモノだったのか」と具体的な姿見で更に衝撃を受けて二重に驚きで、その時に不思議な感情が浮かんだよな。この感情を忘れ無い様にしようと思ったんだった。
母は子供が嫌いだったらしい。だからか、当時はそう言うのが欠けた存在で家庭崩壊の問題を起こしたりして相当に精神的に負担を強いて来たものな。
これは情けなさなんだろうか、それとも何かの後悔なんだろうか。私は多くの場合に体の調子の悪さから、予定が狂うことが多い。
此処まで体調不良が絡むと、次第に自分の身体が弱いのではないかと思い始めるそんな頃のこと。認識が曖昧であったが、それでも時が次第に身体は壮健な筈だという段階から、実は普通なのかもしれないを経て、それすら通り越して、普通でもないかもしれないという段階へと向かい、結果的に身体が弱いのかもしれないという段階に至り、そうして身体が弱いという事を頭では分かっていたつもりだったが、実際は受け入れられなかった。
弱いというのを頭で分かったのは部活動時代の時か。同じ服装をしている事を確かめた上強要され、更に体育館で、同じことを強要された時に、その場所から離れる際に私だけ悪寒と、怠さに襲われるという様な事が度々あり此れは私だけ体質が違うんだなという事が分かり始める。
その後、そして自身の身体の弱さを受け入れ始めた時に、漸く少し見えて来たものがあり、その度に修正して来た積りだったが、幾度も判断を誤ることがあり、その度に腹痛を起こしたり体調不良になったりしながら積み重なる日々を思い出す。いつ頃からだろうと思う時、昔から不具合はあった様な気がするから、食事を考えるようになった時か。
それまで食事がただ飢えを満たすだけのモノから、身体を支配し構成し造るものという意識を持ち始めた時か。必須栄養素は一応考えていたが、弱さを受け入れ、意識を変えたのは大学で加瀬英明のタルムードの本に感動した時か。と言う事は二十代半ばにしての漸くの修正か。
混乱の極みだったそれ迄の歩み。考える手段としての数学の間違った学習認識の拡がりから、その事が頒布されて誤った認識で受け入れ、考える事とはどういう事かということを理解して居ない、混乱の渦に嵌っている状態。
成人してから更に未だ学ぶ為の自身の問題を突き詰めている時に、漸く気付いた事で、こういう日常的で、支援的なものは成長時に母が気に掛けてくれるものだったということ。
その自身の問題を突き詰めている時に、大学で学業をしながら母親業をしている方々と話をする機会があり、「随分自分の母親とは違うな」という姿に驚きと衝撃を受け、加えて「これが私の思う普通の女性が持つ母性というモノだったのか」と具体的な姿見で更に衝撃を受けて二重に驚きで、その時に不思議な感情が浮かんだよな。この感情を忘れ無い様にしようと思ったんだった。
母は子供が嫌いだったらしい。だからか、当時はそう言うのが欠けた存在で家庭崩壊の問題を起こしたりして相当に精神的に負担を強いて来たものな。