日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

音楽とチューニング感覚   20191109

2019-08-26 06:17:22 | 日記
 忘れていた感覚をまた思い出す。それは不思議に思い感じていたこと


この感覚は好きな音楽を聴いて居る時に偶にやってくる感覚。


だからと言って好きな聞き慣れた曲を聴いているだけでは訪れない感覚。それは心から楽しいというか、心地よいというか、愉しめるという事なのかもしれないが、それを感じている時のあとに訪れる。


それは不思議な感覚で、自分の中に始めに落とし込んだ後に、再びチューニングする様な。そう言えば名称を忘れていた算盤の珠タマに似ているかもしれない。

苫米地英人は音楽についても考えを出しているらしいが後で動画でも見てみるか。安らぎの音というものは見てみたがそういう感覚には為らなかったから、音楽については別の見解を持っているのかもしれない。


チューニングという感覚はあらゆる行為をするときに影響しているかもしれない。


そう言えば剣術に例えると感覚から生じる、場面ごとの適切な型の流れの様な。それは兵法の待から生じ自然と優位順に感じる事の様なモノであること。日本の精神そのもの様な感覚だったもので、そう言えば陶器に向き合う時の感覚とも似ているかもしれない。陶器の方はハツを生じた後の感覚であるが。


此れを記録する気になったのは音楽について話せたからで、彼ら彼女らに感謝。
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朧気な姿と四重性

2019-08-15 23:27:51 | 日記
 自分の考えをまとめて事で、なんとなく己の研究の方向性が見えてきた。そういう意味でもやはり数学史は学んだ意味があったな。後は途中である記号論理学を実際に理解してきているから、それを刻みつけるという段階になってくるのか。


そうするとようやく研究論文にも発展的に行えそうだ。随分かかってしまっているがな・・。死を認識する感覚と、安全策を図ろうとして、人間としての欲の小学生じだいからの嫁を見つけ結婚したいという思い。


家庭環境というか、相手の気持が見えない母。それから、この人ではない祖母の様な人を探す思い。結局は気高い女性が自然と惚れてしまうという事がわかり、好きという思いの両方で埋まるものなんだという精神とそこに生理的なものが加わるものなんだと認識するに至る。ようやくのようやっと、自然とという意味が「認識と云う」概念まで登ってきたということか。


本当に、どうにもならないよな・・。


まあ、三度無くなりそうな命で、最後のときは4.5段階まで行ったんだし、消えていてもおかしくなかったんだしな。。。



捉えている姿が、丸でAMDのアーキテクチャの考え方のようで、それが四重性ね(微笑)
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