日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

数学史 その七  アルス・マイオル 20190815

2019-06-25 01:11:53 | 日記
 混乱してきた。こういうときは自由に文章を書くのがいい。


ヴィエトの話をみて、以前学習したフランス関連の講義の所を思い出す。


この時にも同じ様にヴィエトのことが出て来たが、イマイチしっくり来ない感覚を覚えたんだよなこの当事。


そしてデカルトに繋がる訳だが彼の功績は多く書かれてもいる。その当時も同じ様にも書いてあった記憶がある。


同様のことでは方法序説に幾何学が典型だろう。


書かれてあることの典型でも良くあるように、完全な題名は「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話」という方法序説の正式名称だろうか。


そこで,依然恥ずかしながら書いた論理学の記事があり、不足していたそのモノの核心を探していたんだなと至る。徐々に得心が行ったが、確実だなと思ったのが、ジョン・ディのところだろうか。これは細かくは伏せられていたが・・。


何れにせよ、それまでの認識はアルス・マイオルであるという事だったと数学史の学習の結果に至るが、だが果たしてそれが何処まで浸透なのか、日本へ伝播したのかと考えていた時に、その様はなんだか「基礎と基本」が違う話や「単純と素朴」が違うことや、以前記事にしたことがある長岡亮介の「数学の二つの心」の話にも通じているところもあり、それぞれ同じこの他の部分を述べていたに過ぎないのだと思う至る。


更には実際の数学の世界に置いても、アルス・マイオルに過ぎず、後半に為るに従い当初最優先していた確実性の揺らぎと為っていく訳だが、途中で分離し発展したのがアルス・マグナで、それが記号論理学に為っていく。



けれども、現実世界においての具体的な事の現れとしての事象をとしては何かと、書き始めの時から考えていたが、今話題のNHKから国民を守る党だなっという結果になったわけだ(笑)




蛇足 この記事を完成に至る日が、終戦記念日というのも、何だか日本の負けた原因と弱点を示しているようで、興味深いことだよな。
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数学史 その六  アルス・マグナ

2019-06-09 00:01:44 | 日記
 数学の歴史を困難ながらも、理解しながら進めていると、前回投稿した事を下地にしつつも、コレだなと感じ入って、頻繁に停滞に陥ったりすることがある。


それは今までの事は何を指標として学んでいたのだろうかと思ったり、以前の教師や教授などの回答を振り返ったり、私自身に問題があったんだろうが、自分は何故拾いきれなかったか、などと逡巡する。


結果を言えば、「素朴な疑問である、質問の答えが、教師の「「おざなり」お座なり その場かぎりのまにあわせ。いい加減。」な対応に、私自身が「「なおざり なほざり」 余り注意を向けず、いい加減にするさま。」が重なって、私の中で大変重大な事であったのに、人任せに教師という存在に頼ってしまったというのが。


更に教師という存在への盲目的に為ってしまったこと。幼さか・・。


聖職者と謂うモノを信じていたし、疑っても居なかった時期故か。。 


今なら、両方に誠が欠けて居たということが解るが、そういうものを「詰まりは三種の神器の精神」を重視しない社会であるから、起こっている現象であるのにソレを知らぬが故に気付かない訳だ。



現在日本には完全に浸透していないと思われる数学史の中の重大なこと「アルス・マグナ」コレをウィンストン・チャーチルも突いてきたし、ダグラス・マッカーサーも同じ様にしてやったりと、日本人の虚を突いたと思って馬鹿にしていると思われる。


その片鱗が視えるのがジョン・ディとロバート・レコードらの系統に進展し、一つは隠匿されるところとの繋がり。



日本人の特色なのか、誠と素朴さを本当に大事にしなければ、現在の現実でさえ影響している様に思える。原発や政治や教育や歴史や精神や人心や家族の在り方等々。


蛇足  ドイツに付いても、同じ傾向があるのは数学史の中でも面白いところで、現在でもその傾向が伺われるのには興味深いのだが(微笑)

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