日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

命から己へ

2013-03-30 23:49:16 | 日記
エマソンの本と脳とホルモンという本を買った。きっと、本を買うことには意味はない。何だかこのシリーズ他にも種類が豊富にある学術書の様である。しっかりと利用しなければ意味はない。

 やはり、学士レベルは自分で取得するという道が良いようだ。院でなければ得られぬらしいな‥。何とも中途な状態という奴か。あの時は命について語らねば成らなかったのだろうが。

だが実際は人の命は軽い。特に海外のアメリカでは死んでも2千万弱で片付けられる。

それは戦前の日本でも同様だった。それが負けた理由でもある。日本では自衛隊が死ねば2億とか言われているが、金に替えられるモノなのか。

資本主義は全て金に替えられるという社会である。経済の合理性で安い方に行くという。しかし、同じものが多少安くても、私は感じの良い方の店で買う。一般的にいう合理的でない。

恐らくポーズでも、そう出来る事が必要であったのだろう。毎回こういう選択肢で逃げなのか、回避なのか、尻込みなのかをしてしまう。悪いところだよな本当に。改善しないとな。
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清きみちを

2013-03-19 10:03:52 | 日記
 人の出会いは必然という。私もそう思う。来談した方も同じことを話されていたのが気になる。

 そしてそこで出会った人から、別の方向性を示唆された。そのときは気に留めずにいたが、微妙な違和感の感じが気になっていた。恐らく「他の話」を知っていて敢えて言わなかったのだろう。それは当然だ。そこに所属している方なのだから。それを忘れてはいけない。それを超えるようなことは言いたくても言えないのだ。


 そしてもう一人、知り合うことになった方からの具体的な啓示。此れは正にそれだろうということになる。エステル記の様に。


 人を介してお伝えになる。人間は生体端末のようなものだと思い感じている。そして、量子論の様に似たような状態が起こっているである。

 これと似たようなことを感じている女性に逢ったことがある。その人の話も興味深かった。共通なようで共通でもないという状態。しかし、共通なように感じているようなところも在る。この感覚を感じたときから、今までの不思議なことを思い出し、次第に感覚で憶えている断片が繋がっていく。

 一つの点→湖であったものが、線→河になって行く感覚である。


 これではジョブズと似たフレーズではないかと思うが(笑)元の文を読解した訳ではないし、文脈の後ろにある感覚は対面でないと分からないことが多くあるだろう。


 仏教者には似た感覚を感じる処がある。今回の御伝えさせた者にも似た感覚があった。


 
 


 





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マタ例の・・

2013-03-18 14:06:14 | 日記
http://blog.goo.ne.jp/photo/11822?fm=usch  

Let me be there



 こう言う緑の視点でのアングルが幾つも見るけど本当にきれいだよな・・。

そういう複数の視点の一つが、今回写真に写っていて驚く。

 そして、飲み屋にいって父達数人が囃し立てていた安倍首相似の人が亡くなったという話を聞いた。

前回帰るとき、暗い中らしいのか妙な薄いもやみたいなモノが、見えたのだがまさかと思って居た。そうしたら本当に亡くなっているとは。

その話を夜の湖と森とを抜け帰るときに父に話したのだが忘れて居たようだ。



 人の死相と謂うヤツなのだろうか?




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キャラクターの(微笑)

2013-03-13 23:35:02 | 日記
どうしてこう、判断力が己に及ぶと、滲んだ円の様な行動になってしまうんだろう。ああそうだった。臆病か慎重故か、回避性があるのを忘れていた。臆病なのか?

そう言えば、猫が最後に残される子がたまにいるが、そう言う子のが好きだったんだよな・・。


では何故、遅くなってからの行動かといえば、確実性が上がってから行動してしまうからか?

自分が分からないからか・・?分裂だから、仕方がないと言えばそうかもな・・。


それを如何にか・・。やはり、あと一手だったなぁ~。

この感覚中学生の先読みの感覚ににてるな~。

一手不足で、空条承太郎の状態か(微笑)

憧れの承太郎に成れてきたのかな(微笑)

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ウツロイ

2013-03-05 22:26:47 | 日記
 なかなかね。強い意志に憧れるのは揺れ易い自分への呆れる思いへの裏返しだろう。基本は変わって居ないのだが、時期や機会を逃してしまって居る場合が多い。

 この場合やはり、適切な判断を逐一下さなければならない。それは己のイクサ・戦なのである。モノを弄んで居ると志しを失うと立花道雪が何かの本から言ったらしいが、本当にそうであったと思う。


jojoに惹かれるのも、その美しさ故、世界観故だと思う。そして、幼い日々と重なる数々の場面。登場する女性達の正にそれぞれが好きなのである。そのソレは正に祖母にみていたソレであった。

 でも、自分に寄り添って、共感してくれる存在が居てくれたらどんなに心地良いだろうかと思ってしまう。しかし、そんな事あり得ないとも、解っている自分も居る。でも、それが恋と言うものなのだろう。盲目になる幸せというか、盲信というか。


 でも、あり得ないことでも、この世に一人でも居れば、そんなに素敵な事は無いじゃないかとも思う自分もいる。


 
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