日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

「何故か宇宙戦艦ヤマトには」と対に    20211210

2021-11-29 11:30:09 | 日記
 「何故か宇宙戦艦ヤマトには」でも書いたことの対になることではあるのだが、思い入れられる人物と言うのが最近の作品には増えてきた様に思える。例えば今回の「真の仲間じゃないと勇者パーティを追い出された」のでの作品でもその傾向は出て来た。

今回のこの作品でも人に付いての深い認識から生じている物語だろうと思う。それは人に与えられる加護という形を取って入るが、それは現実世界でも「人にある性質」に付いてで「型」といえるものであろう。

人はこの型に左右されるて、更には惑わされたりもする。つまりは加護は過誤でもあり籠でもあるのである。

日本文化は大したものだな。日本文化の中で言われる重要なものとして、「一義一音一意」この言葉の意味は非常に重要なことではあるが大学教授でさえ共通の認識には至って居ない。ただの語呂合わせ的な認識でしかないと言うのが大半だろう。

更には少し前の「BEASTARS」というアニメも正にそうだろう。此れは人間の本能性に特に焦点を当てた作品と為って居ると言う点で見事な作品だと言えるだろう。

人間の本能という点では凄く少なくて済むという点では描きやすかったのではないだろうか。

それに対して、以前の日本の過去作品の特に宇宙戦艦ヤマト程に思い入れられないものは無かった。そういう思いもあって、家長に尋ねなければならなかったのかな。
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何故か宇宙戦艦ヤマトには      20211129

2021-11-21 23:56:07 | 日記
 好きなキャラクターが居る物語とそうでない物語の違いは何なのだろうか。因みに好きなキャラクターはナルトでは「うちはイタチとオビトである」そして、そうでないキャラクターの代表例は宇宙戦艦ヤマトである。


宇宙戦艦ヤマトに付いては昔からそうであった。昔とは初めて見た時の小学生の時で何回か再放送されて丁度宇宙戦艦ヤマトが世間でも受け容れられて、有名になり大人気の時期でもあって、当時学校で好きでもないのに曲を歌わされて、誰もが宇宙戦艦ヤマトに付いて楽しそうにしているのをみて不思議に思っていた。

それは上級生に行く程に顕著で、先生達まで夢中になっている節があって、私には何もというか誰にも感情移入出来なくて、全体の大まかな物語として観ていたが、何故なんだろう。

という思いだけが募り、そして世間や世の中的に、何故この作品がこんなにも人気なんだろうかという思いだけが募り、初めから観ていないからか?という思いから、始めから観る事にした。けれども始めから観てもそれ程にというか、当初の思いと変わらず自分に特別に響いてくるものが無かった。

それは現在でも、宇宙戦艦ヤマトに付いて必ず物語の中で自分が思い入れられる人が居るという風に、監督と思われる人が評していたが今回も特に居ない様に思えた。心理学的に言えば思い入れられる人は詰りは自分に似ている人という事になるのだが、この作品は何時も何故か存在しない不思議な作品なんだよな。
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