日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

本の紋様と感覚からの   追記 20210721

2021-06-23 16:42:57 | 日記
 「本の紋様と感覚」の記事でも書いたが、立体的に見えるという感覚。そんな折に、尊敬する祖父の言葉を思い出して、昔に立体の数学の勉強は大事だと語ったと聞き、そして「立体が視点で大事だ」と語っていたとか。私に起きた数学で叫んでしまった(追記・程の)事である、(追記・革新であり核心)が起きる前だったら何の事かと思うこと。

そして当時の幼い頃に、話を聞いた時は話した伯父に細かく話してくれたらしいが、理解出来なかったという話で、理解出来て居ない人からの話は尚更理解できる筈もなくだが、今なら漸く理解できる。

モノの認識に付いての見方であり、昔は少なくとも其れが認識出来る教育が為されていたということになるのではないか。少なくとも岡潔が受けた教育はその片鱗は在ったのではないか。

その片鱗があったのは少なくとも日本でもフランス語教育が選べた頃だろう事は容易に想像できるのだが・・。

逆にそれは面白いか。今やって居る事にも直接に関連することだしな。


よく謂った言葉を思い出すよなぁ~(微笑) (追記・性質を受け継ぐと言う話だったと思うが)

それに祖母に言われたものな自分のどの子よりも○○○ちゃんが一番祖父に近いし似ているってな(微笑)
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嘆息と言うヤツか・・

2021-06-21 22:51:25 | 日記
 教育の教科書である筈のものなのに、証明的な手続きで言葉が紡がれていないという何ともという文章に接し、こんな所でも自明じゃない事が自明かの様に記述されて、初めの段階から錯覚を起こし易い文章で書かれて居るのかと言うのが正直な感想なんだよな。

それから中々に文系的と言われる本だからなのか、読むのは容易いのだが、それでも知らない事柄だから25頁後半が良い所なんだよな。加えて「・」という表現はあまり望ましくないと言うのを小論文や文章を書くときに私はやったのに、何なんだろうなこの教科書はというもの。

そこで説明されていたあまり望ましくない理由は憶えている。それは文章によってこの記号は、「又は」なのか、「加えて」なのか、「それぞれ強調」してなのか、大まかには3つの意味で、場合によって相応しい言葉を当て嵌め、読み手に負担を与える為に長い文章や論文や正式なものでは余り相応しい表現ではないという事。

とされて居た筈なのに、この教科書と来たら態々頻繫に使っていると言う。日本語学概説でもあった筈なのになぁと言うのが思ってしまう事。これは大学入試の予備校でも教わる事柄の筈なのにな。

やれやれと言う思いであり、溜息も出てしまうよな。
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本の紋様と感覚  20210613

2021-06-11 07:52:04 | 日記
 本でも教科書でもしっかり読み込むと、と言っていいのかすると、そのもの本を凝らしてみた時に何だか色とりどりの立体的な模様なのか、絵なのかが感覚的に浮かび上がってくる。その立体的に浮かんでくるものはまるで万華鏡を立体的に表したもので囲んだようなもの。

それは不思議な感覚なのだが、小学生時代から時々起こり、当時は気にも留めて居なかったのだが、ある時に少々意識した時に頭が変になった様な気がして無視するようにしていた。

心理学を学び続ける中で共感覚を知り、そういう事が頭が変になったのでは無いことに気づかされ、自分を受け容れられる様に為って、それは漸く自身の性質なのだと認識出来た様だった。

けれども不思議なことに、しっかりと読み込んだつもりでも浮かび上がって来ないものが多くあり、その違いは何なんだろうか。浮かび上がって来るのは昔の書物に多い気がする。

そして段階があり、現代に近づくに従って立体的な紋様が無くなって行き、平面になって更には平面でもない線の束が幾重にも連なってるという様になっていく。

そう言う感覚での数学はどうであろうかと思う時、数学は空間となり、映像に為っていく。

本当に何なんだろうな。

記号論理学では人の話に見えていたものに近いものがあって感動したんだけどな。以前にも書いたかも知れないが。
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