日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

景色が違って見える様だ

2018-01-28 07:39:57 | 日記
 長岡亮介の話す数学が分かってから、実際にソレを理解してから学ぶべき科目を学習してみると、学ぶべきものが違った景色で見える。誰も私の質問している真意に寄り添って答えてくれなかったから、自分で答えを探しに行くしかなかった。


お金がある人はこういう事を直接知ることが出来たのだろうか。そう言えば医者の父親の話を聞いたことがあったな。そういうことでは実際は今回学んだ事を子供に学ばせて感じて欲しかったのかも知れないな。私の感動が多くの人に伝わるかは分からないがね。


本当に表面を撫でて居ただけだったんだな・・・。


昨日は計算の試験だったが本当に疲れた。試験も疲れたが、その後に会った話の中で自身の内面について、私が話し易くではなく、相手の理解するパターンに沿って話してくれというので話し手に負担を更に求めるという事は余程の事でもない限り相当な心理負担を要求する事なのに。。


更には初めて会ったときは直接話す興味も無かったのに、急に関心が湧いたみたいな雰囲気で・・。先生も来るというから参加したのにそれもない・・。謀られた様なもんだな。。


それでも、その日は収穫はあった私が考えていた事の科目の中で計算の話は問題が何処で在ったという事が分ったという事が大きい。此れで問題を修正出来るんだから喜ばしい事だ。


*****************************
只、肝心の科目を学習するエネルギーを持っていかれたのは大きい。

小林麻央の話していた「マイペースで~」という心の傾向が私にもあるから、きっと同様な状態になれば枯れてしまうんだろうな・・。
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十二国記 其二

2018-01-23 00:11:12 | 日記
 精神を纏める為の行為として車について書こうと思ったが,既に頭の中で纏まっている事をここに記述するのは本位ではない。簡単に書けば武田邦彦の考えに近いと言う事だけ。私の場合はもう少し厳密ではあるが。


 そこでもう一つ思い致すのは西部邁の事について。父が西部邁について尊敬していたでしょうと思い込んでいたが,私は尊敬と言う気持ちでは見ていないと答えた。ただ勉強や参考にはなるという思いだった訳だ。私自身の尊敬する人と言うのは民の為にあってほしい,誠の人間であってほしいということだそれも最後まで。


そういう意味では私は身近な見方ではアニメのshadow skillでのディアス・ラグであるし,落第騎士の英雄譚での黒鉄一輝でもあるし,十二国記での月渓でもある。私のことを月渓の様だと言う者も身近にいる。


それに該当していたのが私が学ぶ中での先生と呼べる存在でもあり,そういう風に尽くしている長岡亮介先生は素直に尊敬していると言える。私の長年の頭の混乱を解決してくれつつある存在。「数学の二つの心」の中の話で感動を与えてくれてくれている先生でもある。


そして,それを与えてくれている中で何か,頭の中のチラチラと小さいとき浮かんでは消え浮かんでは掴み損ねる或る感覚が在る。これが武田邦彦のジャングルジム火災の話と何だがまた,掠める感覚が在るんだよな。そして,同じように掠める感覚は川崎で起きた中学生の男の子が殺された事件,また2018年1月22日に事故で亡くなった早稲田大学の憲法と教育という教授,また何十年か前に貨物列車の脱線事故で亡くなった話も。
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誠を尊ぶ頭なら

2018-01-20 22:01:29 | 日記
 問題点は多くある。或る人はそれ程難しくなく進んだと言っていたのが私には結構辛い。確かに私の場合高校時代でもデータの処理のこと,即ち数値の処理に付いて学んでいない。私の高校時代は必須ではなかったと言う状況と言うものと学校の科目選択か。


更に言えば中学時代は数学の担任だった為か実験的クラスで個数の処理に関してもまともな授業では無かった。中学時代は成績の上位校だったらしく,クラスの三分の二以上は進学塾に通っていたらしい。それが分かったのは中学二年も終わりに差し掛かった頃の事であるが。


まあ,貧しかったと言うのも大きいか。それ故に英語の教師からは名前を自分で取らされるという脅しと,パワハラと嘲笑を受けると言う当時の私としては驚愕すべき状況に追い込まれたし。


更に引越ししたばかりで周りに相談できる友人も居ないし,加えて家庭内の問題と更に妹の問題に等々・・・。心理学的にも最悪の状況。長岡亮介先生のように,長野で立派な先生からの薫陶を受けられた訳でもない。何故そう思うのかと言えば,尊敬する長岡亮介先生は救いがあったらしく,それは長岡亮介先生が尊敬する藤田至先生と言う方がいて,その先生は根本的基礎理解を促すのが大変優れていたらしい。こういう授業とはどんな授業をする先生だったんだろうか。


それで,自分が求める結果が得られないので,ひたすら行きつ戻りつを繰り返し,何が解っていないのかを探すを求める繰り返しか。それに気づいたのは大学で根本的な理解が間違っていたと言う事に気づかされた時か。何だがその感覚が小学校時代に根本的な理解を捨てたモノを捨てるべきでなかったと再び思ったと言う事か。これが訪れたのが中学時代の数学の授業だったんだな。aを用いた負の証明を見ているだけで良いからと言われた時に,何故か自分が小学時代に捨ててしまっていた事が重なるのか,浮かんでくる感覚があったんだよな。

それが,何故なのか当時の私の追い詰められた状況では深く考える余裕すら無かった訳だな。。


加えて将来への絶望だもな・・。学費なんか無い訳で,米国みたいな最悪でも兵役でお金が掛からなくなると言う方法も無い。フランス見たいに無料でも無い。今は少しは掛かるらしいが。日本の指導的立場に居る上の者達は経済的に縛られるから兵役からの学費免除は良くないと言うが,それすらないのが当時の日本。私の父もそうであったからか非協力的。母は言うまでも無いしイカレてるな。それもあって尚更考えられないし,考えないで自暴自棄になっていたと言えるのか。この言葉を書くのに一呼吸置いたということは辛いところなんだな。。


その何が解っていないのかの繰り返しが現在でも続くか・・。個数の概念は改めて図書館でやったんだもんなぁ。更に難関小学校でやるという問題をやったり,色々発見はあったりしたが,何か違う感じがあったんだもんなそれが長岡亮介の教科書でガッチリという感じだもんな。


完全に方法を間違っていたと言うのが結論か。誠を尊ぶ頭なら「数学は暗記ではない。」この言葉に尽きるか。

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十二国記 其一

2018-01-11 08:48:21 | 日記
Kikunoさんが実際に、実行したんだなぁ。スゴ味というヤツだなぁ。どんな風な苦労があったんだろうかな。前だったらそういう過程が語られてたり少しはされていたと思うんだがな。

亡くなってしまった親戚の子もこういう風な事をしていたんだろうかな...想像する事しか出来ないよな。。なんだか十二国記の陽子が語っていた気がするが、実際に陽子篇の本を読んだ事が無いから読んで見ようかな...。
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為人間と誠人間

2018-01-11 00:08:07 | 日記
 何なんだろうか。あの元AV女優だった者の文章を観た後の胸のムカ付き具合は。癪に障るという感覚なんだろうか。何がそう感じさせるのか・・。女性視点というモノの他に、現代の遊女だと思って私は彼女の事を見ている。それは女の二律性というか共通した気持ちいという判断基準で不可解さ。何というか読み進めるとゲッとするというか癪の段階を超えるというか吐き気を催しそうに成る感覚。

昔の遊女もそういう所があったのだろうか・・。それを感じさせない様に文学では描かれているらしいが・・。そういう作品は筆者が実際に彼女たちに抱いていたものだから美しく映るらしいからな。。

このブログらしいテーマであると言えばらしい題材であるな。

どす黒い汚らわしさか?本能というものだろうか?私は頭でというのではなくボクサーという方が本来の姿であると思うが。。そちらの方が遥かに自然で心地よく思えるし感じる。という事は打算的な様か。

そうかそうか!武田邦彦の言う「為人間と誠人間」か。なるほどなぁ~。

その動画音声 https://www.youtube.com/watch?v=wtGeQEHmn6I


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