日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

日本と哲学と至誠の課題   20191028

2019-10-24 22:33:14 | 日記
 学習を進めていると、私はどうしても勉強やテストをゲーム感覚としては見ることが出来ない。それを感じる程余裕がないからだろうと思う。やはり菊乃さんは大したものだし、その様な人達は矢張り大した者だなと改めて思うし認める。

そこで、私の向き合い方であり姿勢・至誠は何だろうかと思うときに漸く到達できたのは「闘いと戦いと怒り」であるということだろうか。此処何年かで、やっと尊敬する父方祖父の心境に到達する事が出来たということか。ただし祖父は短命であったが(苦々)


その様に観て行くと改めて戦国時代の教育は見事だなっと改めて思う。確実に内的な要点を抑えている。勿論全てではないのであるが。徳川家康等は西洋の数学が伝わった時に学んだというから流石だ。真田家も歴史の人物を観ると当然そうだろう。果たして繋がりのある私の家はどう何だろうか、朧気には話していた気はするが・・。今度質問してみるか(微笑)


 英語も一つであるが例にとれば、英語を学習する上では多く学ぶ方法があると思うが、私は学習を始めるに当たって何か欠けている感覚があった。その感覚について先生に話したが「何を訳の分からないことを言っているんだ」と吐き捨てられ、取り扱われなかった。

 
私としては不本意で軽いショックを受け混乱したのだが、勿論内向型人間なので表面には余り感じられなかっただろう。


 その頃からも疑問に思っていた、頭の構造が違うのではないだろうかと。何故多くの学習方法を選択する余地がないのだろうか? 何故に女性と男性ではこれ程に考え方に違いがあるのにっと。


そのモノを真正面から誠の精神でということ。この事が余りにも軽視されていたんだなということになるのか。

そして最近漸く解って来たのは、当時先生に話した感覚から繋がるもので、抽象化を上げるという方法だった。よく言われるだろう英語の品詞分けの利用とは違う、記号自体を扱うという行為から見るという姿勢。

この記号自体を扱う事によって、抽象化されているものを言語だけに限らず様々なモノに適応出来るからだが、この考え方自体は数学史を経て理解していないと、何故大事なのかという哲学的な話になってしまうという事だが。その哲学的な話が日本人は苦手だとも武田邦彦10月28日でも不思議なことに述べるか(微笑)

技術の「安全」の哲学


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数学と共感覚   20191028追記・一部修正

2019-10-24 22:05:58 | 日記
 考え事が中々に、煮詰まらない時は投稿できないがこうして煮詰まってくると投稿したくなってくる。yahooブログでビリーさんが語っていた心境に漸く為れるれるように成ったと言う訳か。
 

 書ける様になったのは歴史学者と称する人に不思議なというか、私としては解決済みな感覚が彼らにはない様に思えたからだが、その感覚の不思議さに付いては此れまで多く投稿している数学から得られたモノだが、その感覚が歴史学にも必要に思えるのにという思いからだ。

(追記) その典型的な人は最近目にした安濃豊という所謂理科系博士の科学的歴史による見方になる訳だが、本来は武田邦彦博士が言う様に理科系文科系なる見方は間違っていて日本だけだし、統一的な科学的手法が用いられている筈なのにそれに達していないと思うからだ。


 歴史学になぜ必要かと言えば、ソレを理解するためには数学の精神、即ち「厳密性」が必要だと数学史から理解できるからだが、ヴェノナ文書の話では特にそう思うものだったけれども、こういう感覚は戦後日本には特に希薄化させられている。戦前の教育を受けた者はその中間の様な感覚だ。その核的なモノと現在の一般的なモノの間の様な認識感覚である。


その感覚について苫米地英人は語って居るのだろうか? 苫米地英人の著作で何点か興味を惹かれた作品が出てきたので読んでみようか。数学的認識の話と武道の話に変性の話だったか。


彼は同じ共感覚の持ち主であるが、共感覚というものは同じでも私とは見えるモノや感じるモノが違うらしいので、別のより進んだ視点が得られるかもしれない。


 
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