日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

数学史 その一  20190215

2019-01-14 23:06:26 | 日記
 日本社会の本質問題が漸く解った様な気がする。


日本は明治維新の時に西洋から西洋数学を導入し理系と文系が発展してきたと思って居たが、それは間違いでというか、完全に間違っているわけでは無いが合っているとも言えない。数学の歴史を完全に終わらせた訳ではないので確定的なことは言えないがこのブログの趣旨に合っているので記録として書ける。


明治維新の時に、西洋数学がどの様に発展してきたかを現在高校などで、広く教えられていないので、その意義について見過ごされていると思うところから。とした上で、数学が発展していった時に、その文化的特性を大いに受けていると思えることが多々あるからである。


数学を発展させている過程で、文化社会の中でどの様に扱われ発展して来たか、更にそれぞれの社会の中で、数学に対する「認識」の癖がどう影響したか。


その様に観て行く時に、日本は奇妙だなぁという考えに至るのである。

 
 日本には数学が無かったのかと思えばそうでもなく、和算と謂れるものもあり、しかし、この辺りと完全に、繋がっているとは思えない。


というのは日本の独自性というか、日本人が認識しやすい形を果たして採っているのだろうかという点。進行形で徐々に学習して,知識を増やしている時に数学史の中で面白い所を見つけた。 


それは図形についてである。4次元以上は比喩に為ってしまいと言う記述があったが、正にこれこそ日本人の得意とするところじゃないだろうか。それとも私を含めた一部なのか? 図の本が多いような気もするのだが・・。この辺りは未だ要確認か。。



どういうことなのかと少し調べると、江戸で武士の必須科目では無かったということを知り、更に読み書き算盤というが、高度なものは武士に普及していないと観たこともあるが、どういう事なのだろうか。藤堂高虎は数学に関係すると思われるものは秘匿で合ったような記述は観たことが有る。


数学史が、そこまで学習が進んでいないのでなんとも言えないが現在の数学教育を受けてきた事を考えると、奇妙としか言いようが無い。


その様に考える時西洋では文系理系分かれず、更にはそれは日本だけで未だに、文系という者たちが施政に蔓延っている。


そして日本に施したとされる洗脳教育WGIPだ。此れによる更なる溝が大きく為っている。此れも致命的だ。




コメント
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