日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

数学の図形と認識     20210225

2021-02-24 12:20:19 | 日記
 数学とは不思議だ。

自身が今まで客観視できていると思っていたものから、それが誤りであったことを気付かせてくれたり、正しく理解すれば全く世界観を変えたりもする。そんなことを思っている時でさえ身近な事を振り返れば今までとは全く違ったりもする。

例を挙げるとすればクラスに,いたとする仲間たちでさえ、数人は自殺に追い込まれ、実際におこしたり、また家庭の問題が起きたり、最終的な段階に達したり、更に事故で死にそうになったり、実際に死んだりとあらゆる事が数学的な量的統計で起こったり、それが認識できなくて起きたりと不思議な学問という名の世界だ。例は自身が何とか凌いできて辿り着いたから述べているに過ぎない。

さらに言えば、容易に錯覚したりもする。錯覚を錯覚と認識できなければ、今回起きている武漢ウイルスの現状の様な事が起こる。

マスクが予防に意味が無いのに意味があると錯覚する。実際の医療講義でもマスクに付いては言われていて、マスクに予防効果はないと。

マスクをに予防効果があるとすれば自分が媒介になって病気を院内感染をなるべく防止する為であるが、それでも個室のたびにマスクを変える必要があり、気休め程度しかないというモノと話されていて、直接大きい咳の飛沫だけでも防ぎたいという思いだけ。そういう事が教育されている筈なのに馬耳東風の如く、何も現実には反映されていない。

そんな瞬間に、当時、何なんだ此れはと私だけが違和感を感じている様な何時もの感覚だけが先にある状態で説明できないものが生じる。当然講義中に生じた事で、説明できない感覚なので友人にも話す事は出来なかった。

そして、講義後に講義の内容と共に、感じた違和感に付いて思いを巡らせることに為るのである。

それが数学の図形と関係しているとは当時は夢にも思わなかったよな・・(笑)
コメント
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