Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

「名優」を産んだ、『メジロ』…寂しい幕引き

2011-05-17 23:59:59 | 競馬


読者の皆様、こんばんは。

管理人のDanchoです。

先ずは、「東北地方太平洋沖地震」(東日本大震災)で、犠牲になられた皆様のご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。
また、この大震災で被災され、多くのものを失い、今もなお、避難生活を余儀なくされている皆様に対し、謹んでお見舞い申し上げます。

更新の日付は、5月17日としていますが、只今、5月16日、20時50分頃です。


5月1日、ヒルノダムールが優勝した今年の『天皇賞(春)』。

「天皇賞馬を作る」という、一貫した哲学を持って、運営されていた「メジロ」の冠名で知られる、メジロ牧場。

しかし、この業界も「セレブ」なのか、44年の歴史に幕が降ろされる事になりました。

タイムリー性は失っていますが、折角書きかけたので、仕上げて更新する事にします。

牝馬3冠、天皇賞3代…メジロ牧場、5月閉鎖へ(読売新聞) - goo ニュース

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 中央競馬で史上初の3冠 牝馬 ( ひんば ) となったメジロラモーヌを生産するなど、国内有数の生産牧場兼馬主として知られたメジロ牧場(北海道洞爺湖町、北野雄二代表)が、来月閉鎖されることが27日、明らかになった。

 所有する現役競走馬は、5月20日付で名義が変更される見通し。生産・育成施設も分割され、同牧場の役員や国内大手生産者が引き継ぐ予定だ。

 同牧場は1967年開場。ラモーヌのほか、G1級5勝の牝馬メジロドーベル、宝塚記念を勝ち 種牡馬 ( しゅぼば ) としても成功したメジロライアンなどを生産。馬主としても、創業者の建設会社社長、故・北野豊吉氏の名義だったメジロアサマから始まり、メジロティターン、メジロマックイーン(馬主名義は、ともにメジロ商事)と、父子3代続けて天皇賞制覇の偉業も達成した。

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「メジロ牧場」の運営や、取り巻く人間関係は、確かTBS系の『ギミア・ぶれいく』の特集で見た記憶があります。

産駒に、世界の偉人の名前が付けられた「最強世代」を形成した時が、最も「絶好調」だった様に思いますし、その時の、先の『ギミア・ぶれいく』で取材された特集が、実にヒューマニズムに富んでいて、競馬も、今よりもずっと面白い時だった様に思います。

本件に関しては、既にくっち~さん書いていますし、「蛍光灯」みたいで恐縮なので、「全体感」みたいなものは、あまり深くは語らないことにします(くっち~さんの記事が、あまりに的を得ていますから)。

私は「メジロ」の馬ではとりわけ、トップの画像にある、メジロマックイーンに注目していました。
この馬に関して、ちょっと私なりに思う事を書いてみたいと思います。

「軍団」の大将格だった、メジロライアンが、4歳牡馬(現馬齢表記では、3歳)クラシック路線を盛り上げる一方で、メジロマックイーンは、夏に函館や札幌競馬で「地味」に使われて、本当に「地味」に賞金を稼いでいました。

当時は、「兄」であり、『菊花賞』&『有馬記念』馬である、メジロデュレン(この世代は、「世界の川」の名前が付けられていましたね…)にも騎乗していた、村本 善之 騎手(現・調教助手)や、管理していた池江 泰郎 調教師(今年2月末で、定年により引退)の厩舎の「兄ちゃん」だった、内田 浩一 騎手(現・調教助手)が、「主戦騎手」として騎乗しており、本当に「地味」ながら、3着以下に負けた事がない「堅実」な成績を残していました。芝もダートも走る、如何にもタフな馬…というイメージでした。

私が忘れもしないのが、『嵐山S』。

単なる「4歳(現・3歳)以上のオープン特別」戦でありながら、『菊花賞』と同じ舞台で行われるレースとあって、にわかに出走してきたメジロマックイーンに注目が集まってはいました。
しかし、脚を余した形で、まさかのミスターアダムスの2着に敗れてしまいます。

この当時の、『菊花賞』出走までの「ヒューマン・ドラマ」が結構泣けます。

この『嵐山S』に騎乗した内田 浩一 騎手の「手綱さばき」の甘さが敗因…という事で、オーナーサイドから、次走に予定していた『菊花賞』の「乗り替わり」が打診された事は、あまりにも有名ですが、池江調教師の「うちの“兄ちゃん”に、もう一度チャンスを」という嘆願がなされ、コンビ続行が決まりました。

実は、オーナーサイドは、これまでクラシック路線で善戦するも「無冠」に終わっているメジロライアンに、『菊花賞』を何としてでも戴冠させ、「独自の哲学」に基づく『天皇賞(春)』は、意識的に配合して生産したメジロマックイーンを戴冠させようという目論見があったようです。
これがもしもオーナーサイドになかったなら、「何とかメジロの馬で、『菊花賞』を…」という意向の筈で、間違いなくメジロマックイーンは、強硬策で別の騎手で『菊花賞』に挑んだ…と思われます。
それと、もうひとつ。
メジロマックイーンの本賞金は、登録時点でフルゲートのほぼギリギリの「ボーダーライン」にあり、賞金を稼いでいる登録のある馬が、出走を表明していれば、『菊花賞』に出走できたかどうかも分からなかった…というのもあったと思います。だから、渋々池江調教師の嘆願を「飲んだ」のでしょう。

出走してくれば、「秘密兵器」として、上位人気する事は間違いなかったのですが、そんな「舞台裏」があって、『菊花賞』を迎えることになります。

メジロマックイーンは、そんな「過酷な条件」をクリアして、18頭フルゲートの『菊花賞』に出走することが叶います。

大将のメジロライアンは、8枠18番に、『東京優駿』3着から急激に力を付けたホワイトストーンが、1枠1番に「単枠指定」される中、やはりファンは賢く、2枠2番に入ったメジロマックイーンを4番人気に推します(因みに、3番人気は、同じ2枠に入っていた、有力馬の一角を担っていたアズマイーストでした)。

レースは予想された展開通りに、マイネルガイストが逃げて、2番手のオースミロッチをピッタリマークする形で、メジロマックイーンは、絶好のポジションでレースを展開し、2周目の第4コーナーを回って、長く良い脚を使って、単枠指定された2頭の追撃を退けて「兄弟制覇」を達成しました。
皮肉にも、メジロライアンに戴冠させたかった「タイトル」を、「血統の差」でメジロマックイーンに持って行かれたのは、オーナーサイドとしては複雑だったでしょうが…。

騎乗した内田 浩一 騎手も、様々の雑音を退け、「師匠」の期待に見事に応え、結果的に「唯一」となるGI勝利を、ほぼ「完璧」な手綱さばきで飾りました。

以下は、私が現時点で思っている「哲学」です。

恐らく、メジロマックイーンは、ここを勝っていなければ、「その後」も、あそこまで成績を伸ばす馬にはなっていなかった…と、私は思っています。

そう、「内田 浩一 騎手で、『菊花賞』を勝った」から、「名優」と呼ばれ、たくさんGIも勝ち、「マック」と愛称が付けられる程の多くのファンも付き(私もその一人)、当時史上初となる、獲得賞金10億円馬になった…と。

したがって、その翌年の『(京都)金杯』で、「同僚」のメジロマーシャスに騎乗し、自らのミスで落馬して、「師匠」に「失格」の烙印を押されてしまって、武 豊 騎手に「主戦」を譲った形ではあるけれど、私は、「メジロマックイーンは、内田 浩一 騎手の馬」と、今でも思っています。決して、武 豊 騎手の馬ではないと…。

その後の、メジロマックイーンの活躍は、もう言うまでもないでしょう。くっち~さんを「凄い」と言わせるのですから…。

カリスマ性十分のトウカイテイオーとの「頂上決戦」で、2番人気に甘んじた以外は、全てのレースで1番人気に支持された…。
これだけで、この馬の凄さは理解できると思います。
(勝ち方が「完璧」過ぎて、面白味のない馬…と評する方もいらっしゃいますが、それも含めて「凄い」と思うのです。)

また、「最強世代」を担った、大将の座を譲ってしまった格好のメジロライアンも、『宝塚記念』では、メジロマックイーンとの直接対決で勝って、GIタイトルを手にしましたし、「露払い」的な存在だったメジロパーマーも、メジロマックイーンが軽度の骨折で休養している間に行われた翌年の『宝塚記念』と『有馬記念』の「同一年度グランプリレース」を制覇するという偉業を成し遂げる等、「メジロ軍団の底力」を存分に見せつけました。
(メジロパーマーも、山田 泰誠 騎手(現・調教助手)とのコンビでなければ、この偉業達成はなかったかも…ですね。)

ですが、「時代の趨勢」の一言で片づけるには、厳しすぎるかも知れませんが、「オーナーブリダー」ゆえに「閉鎖的」であったがため、生産も育成も「時代」に取り残された結果として、今回の事態に追い込まれてしまったようです。

しかし、「ステイヤーこそ、真の名馬」という哲学は、私には強烈な印象を与えたし、恐らくメジロマックイーンと出会っていなければ、『天皇賞(春)』に、私のほぼ1年分の「予想力」を集中させることもなかったと思います。
『天皇賞(春)』に熱くなれたのは、ある意味メジロ牧場に依るところは大きいと思います。

こうして語り継ぐ事によって、メジロ牧場の「功績」が称えられる一助になっているとしたら、嬉しく思います。


メジロマックイーン…「名優」であるスティーブ・マックイーンから引用されて命名されたこの馬を始め、史上初の4歳(現3歳)牝馬三冠達成のメジロラモーヌ等、枚挙に暇がない名馬を輩出した「メジロ」の冠名は、たとえ「母体」がなくても、色褪せることはないと信じたいです。

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