Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

昨日は、62回目の『長崎 原爆の日』

2007-08-10 20:30:13 | 社会
昨日の記事でも少し触れましたが、昨日は、長崎の『原爆の日』でした。

長崎県がご出身の深浦 康市 八段が、昨日まで行われていた王位戦第4局に勝ち、タイトル奪取に王手をかけました。

感慨深いものがありますね…

長崎市の田上 富久 市長の平和宣言…こちらも、核兵器容認論を断固として許さない、力強いものとなっています。

引用して、一部抜粋しながら、紹介します。

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「この子どもたちに何の罪があるのでしょうか」
 原子爆弾の炎で黒焦げになった少年の写真を掲げ、12年前、就任まもない伊藤一長前長崎市長は、国際司法裁判所で訴えました。本年4月、その伊藤前市長が暴漢の凶弾にたおれました。「核兵器と人類は共存できない」と、被爆者とともに訴えてきた前市長の核兵器廃絶の願いを、私たちは受け継いでいきます。

(中略)

「核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反する」という、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見は、人類への大いなる警鐘でした。2000年の核不拡散条約(NPT)再検討会議では、核保有国は、全面的核廃絶を明確に約束したはずです。
 しかしながら、核軍縮は進まないばかりか、核不拡散体制そのものが崩壊の危機に直面しています。米国、ロシア、英国、フランス、中国の核保有5か国に加え、インド、パキスタン、北朝鮮も自国を守ることを口実に、新たに核兵器を保有しました。中東では、事実上の核保有国と見なされているイスラエルや、イランの核開発疑惑も、核不拡散体制をゆるがしています。
 新たな核保有国の出現は、核兵器使用の危険性を一層高め、核関連技術が流出の危険にさらされています。米国による核兵器の更新計画は、核軍拡競争を再びまねく恐れがあります。
 米国をはじめとして、すべての核保有国は、核の不拡散を主張するだけではなく、まず自らが保有する核兵器の廃絶に誠実に取り組んでいくべきです。科学者や技術者が核開発への協力を拒むことも、核兵器廃絶への大きな力となるはずです。
 
 日本政府は、被爆国の政府として、日本国憲法の平和と不戦の理念にもとづき、国際社会において、核兵器廃絶に向けて、強いリーダーシップを発揮してください。

(中略)

今日、被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られるなか、単に非核三原則を国是とするだけではなく、その法制化こそが必要です。
 長年にわたり放射線障害や心の不安に苦しんでいる国内外の被爆者の実情に目を向け、援護施策のさらなる充実に早急に取り組んでください。被爆者の体験を核兵器廃絶の原点として、その非人道性と残虐性を世界に伝え、核兵器の使用はいかなる理由があっても許されないことを訴えてください。
 
 爆心地に近い山王神社では、2本のクスノキが緑の枝葉を大きく空にひろげています。62年前、この2本の木も黒焦げの無残な姿を原子野にさらしていました。それでもクスノキはよみがえりました。被爆2世となるその苗は、平和を願う子どもたちの手で配られ、今、全国の学校やまちで、すくすくと育っています。時が経ち、世代が代わろうとも、たとえ逆風が吹き荒れようとも、私たちは核兵器のない未来を、決して諦めません。
 
 被爆62周年の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にあたり、原子爆弾の犠牲になられた方々の御霊の平安をお祈りし、広島市とともに、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくことを宣言します。

2007年(平成19年)8月9日 
長崎市長 田上 富久

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国民が糾弾した、長崎2区選出の久間 章生 前・防衛大臣の発言から、政治家の中には、核兵器容認の意思が見え隠れすることに対する危機感を訴え、憲法第9条の観点から、恒久的平和を一層強く願う内容ですよね。

本当に、心から平和を願う力強い平和宣言で、秋葉広島市長の平和宣言と同様に、色々なものが集約されていると感じます。


さて、広島の原爆の日である6日に、アメリカでは、4千万世帯が加入する、あるケーブルテレビ局が制作費を捻出し、日系アメリカ人のスティーブン・オカザキ監督が製作した映画『ヒロシマナガサキ』(日本語タイトル)が、このケーブルテレビ局で放映されたそうです。
(その記事は、下のリンクから、先方が削除するまで読むことができます。)

原爆ドキュメンタリーを全米放映 被爆者の証言中心に(朝日新聞) - goo ニュース

この映画の完成までに費やされた年月は、何と四半世紀の25年。

9・11のアメリカにおける同時多発テロから、アメリカ国内でも「核兵器が使用されるのではないか…」という危機感が漂っている中での上映です…。

画期的ですし、とても意味があることのように思います

この映画の上映によって、アメリカ国内で、核兵器の恐怖が日本と共に共有され、恒久的平和が保たれることを、切に願ってやみません。

そのために、日本が果たすべき役割…「被爆者人口全国第3位」の山口県から8人目の総理大臣として輩出された安倍 晋三 首相ご自身が、「日本のリーダー」であればこそ、それをしっかり理解し、丹念にその大役を担っていかなければならないのではないか…と感じます。

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