Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

春一番が吹いて、春なのに…、スーちゃん、逝く。

2011-04-25 23:59:59 | 芸能界




読者の皆様、こんばんは。

管理人のDanchoです。

先ずは、東日本大震災で犠牲になられた皆様のご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。
また、今もなお、避難生活や屋内退避を余儀なくされ、不自由で不安な日々をお過ごしの被災された皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。

更新は4月25日としていますが、只今、4月24日の19時40分頃です。


このニュース、びっくりしました。
今でも、信じられないです。

「キャンディーズ」田中好子さん、乳がんで死去(読売新聞) - goo ニュース

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 アイドルグループ「キャンディーズ」で活躍、スーちゃんの愛称で親しまれた女優の田中好子(たなか・よしこ、本名・小達好子=おだて・よしこ)さんが21日午後7時4分、乳がんのため東京都内の病院で死去した。

 55歳。1992年に乳がんが見つかり、治療を続けていたが、今年2月に容体が悪化したという。喪主は夫の小達一雄さん。

 東京都生まれ。72年に伊藤蘭さん、藤村美樹さんと共にキャンディーズを結成。「年下の男の子」「春一番」「 微笑 ( ほほえみ ) がえし」などのヒット曲を生み、人気絶頂の78年に「普通の女の子に戻りたい」の名言を残し解散した。80年に女優として芸能界に復帰、今村昌平監督の「黒い雨」で原爆症に苦しむ女性を演じ、90年、日本アカデミー賞主演女優賞を受賞、演技派女優として評価を高めた。

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22日の金曜日の朝、出社して、ちょっとだけポータルサイトを閲覧した時に、初めて知りましたが、言葉を失いました、「え…」と呟いて暫くは…。

私も、小学生の少年の頃、「『キャンディーズ』で誰が好き?」みたいな質問に、「スーちゃん」と答えていた程でした。

正直、今年から『ピンクレディー』も活動を「再開」したし、『モーニング娘。』も、「ドリームチーム」を結成して、「本隊」より確実に売れるだろうと思っていたので、ひょっとしたら『キャンディーズ』も、「あり」だと思っていたましたから。

逆に、『キャンディーズ』が存在したから、『ピンクレディー』もあそこまで売れたし、『おニャン子クラブ』はちょっと異質なので別枠として考えるとして、飛び越えて『モーニング娘。』も、あれだけブレークした…と思っています。

その「功績」は、永世まで語り継がれなければならないでしょう。

誠に残念でなりません。

しかし、ご主人の、小達 一雄 さんは、辛いですね…。

夫・小達一雄さん「治してあげたかった」(サンケイスポーツ) - goo ニュース

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 「がんと前向きに闘っていました」。21日に亡くなった女優、田中好子さん(享年55)の夫で、夏目雅子ひまわり基金代表の小達一雄さん(56)は同日夜、都内で緊急会見。悲しみを必死に抑えながら、その闘病生活の一端を明かした。また、田中さんの墨彩画の師匠だったタレント、片岡鶴太郎(56)は、サンケイスポーツの取材に「入院していたことを知らなかった…」と言葉を失った。


 田中さんの死から約3時間半後。小達さんは憔悴しきった表情で、病院の玄関前に姿を見せた。

 「いつも『女優をやりたい』と言っていました。本人はがんと闘っていくということを前向きに話していました。彼女は非常に強かったです」。1992年から約20年の長い間、がんと闘い続けてきた愛妻の姿が思い出されたのか、たまらず、声を詰まらせた。

 小達さんは85年に妹で女優、夏目雅子さん(享年27)も急性骨髄性白血病で亡くしている。「がんは憎い病気ですが、治らない病気ではない。妻も治してあげたかった」と無念さをにじませ、「田中さんとの最後の会話は?」との質問に「しばらく、胸にとどめていたいので」と頭を下げた。

 一方、田中さんと墨彩画を通じて親交の深かった鶴太郎は、東日本大震災で被災した宮城県石巻市での復興支援活動後、都内に戻る道中で訃報を受けた。2人は8年前にNHK教育「鶴太郎流墨彩画塾」で先生役と生徒役だった。

 「初めは本当に絵が下手でねえ、屈託なくて“おいしいキャラ”でした。それが回を追うごとに上達して、田中さんが熱海にアトリエを借りたんです。毎年、自分で描いた絵をカレンダーにして送ってくれていたんです。今年も届いたんですけど」と振り返った。

 最後に会ったのは昨年10月。その後、田中さんが出演するNHKの番組に、鶴太郎がコメントを寄せる予定だったが、撮影前日に田中さんの体調不良で中止になった。「心配してメールを送ったら『大丈夫』と返ってきたんです。十二指腸潰瘍だとは聞いていたんですが…」。がんを隠し、逝った“弟子”の死に無念さをにじませた。

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記事にもありますが、私が高校1年生の時、忘れもしない昭和60年9月11日。

応援団の練習開始待ちの時に、当時凄く厳しくて怖くて、正直「来て欲しくはないなぁ」と思っていたOBの先輩が、練習の指導のために部室にお見えになるなり…

「(部室にあった、映りの悪いくたびれた)テレビ点けろ!。夏目 雅子 が死んじゃったぞ!」

と「叫び」ながら入室してきて、ショックを受けましたが、夏目さんの「お兄さん」なんですよね。

スーちゃんから見ると、「義理の妹」に当たるわけで、「ご令室」様のスーちゃんも、この度癌で失うとは…。

言葉がないです。


ちょっと長くなりますが、私自身の事を、話をさせて頂けませんか?。


スーちゃんがこの春、「春一番」が吹いて、山口では既に桜も咲いて散り、桜前線も、東日本大震災が起こった事は別にして北上し、「春真っ盛り」の今、信じられませんが、天国に旅立ちました。

拙ブログでは既に書いたと思いますが、改めて書く事にします。

私も、24年前、奇しくも今年と干支が同じ卯年の春、4月3日…「深刻な病気かもしれない」と告げられました。
翌日の4月4日、紹介状を医師に認めて頂いて、癌研究会付属病院(現在の、癌研有明病院)に、両親と出かけました。

入院する事になった4月8日までの「束の間の休息」で、高校の同じ『おニャン子クラブ』のファンである友達2人(うち一人は、中学校からの同窓生)と、不安な気持ちを抱えたまま、代々木競技場第一体育館に、『おニャン子クラブ』のコンサートを見に出かけました。国生 さゆり さんが「卒業」するという節目のコンサートでした。
病名がはっきりするまで、気が休まったのは、この時だけだった様に思います。
因みに、この時、私が入院する事は、一緒に出かけた友人には隠していました。友人が私の状態を知ったのは、始業式後、私の姿がなかったため、友人の一人が、たまたま顧問のM先生が担任だったので、M先生に問い合わせて初めて…の様です。

入院するその日、本来なら「最高学年」としての始業式に出席するはずの私は、「深刻な病」で入院…さすがに落ち込みました。

翌日から、放射性同位体を体内に投与する「骨シンチ」と呼ばれる検査や、手術時に動脈を誤ってメスで傷つけない様に、動脈に造影剤を投与してその「位置」を確認する「アンギオ」と呼ばれる辛い検査…そんな「検査の山」の様な1週間を過ごしました。
ところで、「アンギオ」は、鼠径部(早い話、「股間」)の動脈に僅かに「傷」を付けて、そこから造影剤を投与するため、検査終了後、傷を確実に塞ぐ為、処置した12時間は、「絶対に動けない」状態になるので、造影剤が投与される事よりも、それが辛かったです。
(塞げなかったら、「出血多量のショック死」ですから、凄いプレッシャーでした。)

一連の検査を終えて数日経った4月13日、月曜日。

全身麻酔でしたが、病巣の組織を摘出する目的の30分程の「検査手術」を受けました。麻酔から覚めた後の嫌悪感…戻してしまう程、辛かったです。
ドラマで手術を受けた後、静かに休む患者の姿を何度か見ましたが、実際に受けると「あんなの、嘘や」と思ったのもこの時が初めてでした。

翌、4月14日。結果が判明する時です。

母が、満面の笑みを浮かべて、私の病室に入室してきました。

『左大腿骨巨細胞腫(良性)』

これが、私が罹患した病名でした。

母は、私の命が良性で助かる事が、本当に嬉しかったのでしょう。
私もホッとした事を覚えています。

そして4月20日。

その病巣を取り除き、左右の腸骨(骨盤の前の「出っ張っている骨」の事です)を少し削って移植する、3時間半に及ぶ「本番の手術」(専門的には、「掻爬(そうは)骨移植術」と言います)を受けました。

そこから退院する日までは、とにかく「松葉杖を使ってでも、どうにか歩ける」までリハビリの毎日。
実際には、5月5日に退院しました。


そして、24年後の今年、奇しくも「本番の手術」を受けた4月20日。
その「後遺症」ではないですが、年に1度か2度の頻度で現れる「左膝が痛んで、最悪歩けなくなる」症状が現れました。
22日に峠は越えて、今は「終息」に向かっていますので、もう大丈夫です。

ところで、私が先の病気に、17歳(18歳になる春)で罹患した訳ですが、母方の叔母(母の妹、母は4人兄妹の第2子で、長姉)も、私が生まれる6か月前の、昭和44年2月28日に、今で言うと「卵巣癌」で亡くなっています。享年19歳。

亡くなった叔母は、気性が激しく、気が強く頑固だったそうで、父と母の結婚が決まった後、父に「お姉ちゃん(=母)を不幸せにしたら、私が許さない」と人前で堂々と言い放ったそうです。

その叔母も、私が罹患した17歳頃に、「深刻な病」という事で、東京医科歯科大学付属病院に入院し、当時は婦人病としても「珍しい症例」だったそうで、医学生の関心も高かった様です。
叔母も、「お年頃」でしたから、「恥ずかしい」、「何度も触られて、嫌」と、珍しく愚痴をこぼした様でした。

しかし、叔母は、病を克服できなかった…。
でも、ほぼ「同じ境遇」にあった私は、助かった…。

母方の祖母(私が大学院修士の2年生の時に、亡くなりました)は、私が退院した時、「○○(叔母の名)が、Danchoの“悪いところ”を持って行ってくれたんだろうね」とぽつりと呟きましたが、私もそう思いました、「叔母さんが、“Danchoは、私の分も、生きなさい”と言ってくれたんだ」と。

だから、こうしてブログも書けるんだなぁ…と思っています。


さて、話を戻しますが、実は、スーちゃんの実の弟様も、「骨肉腫」で亡くなったそうです。
私が、術後の「後遺症」で辛い時期に、スーちゃんが癌で逝き、弟様は、私とある意味「親戚」の様な病で、やはり逝ってしまった…。
(私も、悪性だったら、「骨肉腫」の末期で、多分「ダメ」だっただろう…と、退院時に主治医に告げられました。)

とても、他人事には思えず、ショックは大きいです。

「スーちゃんが良いな」と、少年心で思っていたそのスーちゃんに、もう会えない…。

『キャンディーズ』全盛の時、青春真っ只中にあった諸先輩方や、「お母さん」をやっていただいた、国仲 涼子 さんや、深田 恭子 さんは、もっとリアルにその「存在」を肌で感じていたに違いなく、私以上にショックを受けていらっしゃるかも知れません。

『キャンディーズ』周りでは、ランちゃんこと、伊藤 蘭 さんのご息女の趣里さんが、『3年B組金八先生』ファイナルで女優デビューを果たしたという、明るい話題があったばかりなのに…辛いですね。


スーちゃんの「旅立ち」に、ランちゃん(伊藤 蘭 さん)と、ミキちゃん(藤村 美樹 さん)が、お手紙を書いて読み、送り出すそうです。

ランちゃんミキちゃん、お別れの言葉述べる(サンケイスポーツ) - goo ニュース

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 25日、東京・青山葬儀所で営まれるキャンディーズの元メンバーで女優、田中好子さん(享年55)の葬儀・告別式に、グループで苦楽をともにした女優、伊藤蘭(56)と芸能界を引退した藤村美樹さん(55)が参列し、お別れの言葉を述べることが23日、分かった。

 関係者によると、田中さんの夫、小達一雄さん(56)が伊藤と藤村さんに打診し、2人は快諾。弔辞という形ではなく、それぞれ1人ずつ田中さんへ向けた手紙を読むという。

 3人の絆は強く、1978年のキャンディーズ解散後も定期的に食事会を開くなど旧交を温めてきた。田中さんが2月に再入院した際には、見舞いに訪れた伊藤と藤村さんに、自らの口で死期が近いことを告げていた。

 また、田中さんが日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した映画「黒い雨」(今村昌平監督)の美術監督がアイデアを出して、祭壇が彩られるという。通夜は24日午後6時から、葬儀・告別式は25日午前11時から行われる。

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私が『キャンディーズ』で思い出すのは、大学院修士の1年生の時、「仕事」を終え、深夜0時を回った頃に、1学年上の、今は、静岡県に住む先輩から「これから飲みに出かけよう」と誘われて出かけ、「草木も眠る丑三つ時」に、少しだけカラオケを嗜む時に、先輩が必ず歌う歌に『微笑がえし』があった事ですね。

キャンディーズ 微笑がえし


この歌、私が本社の、今携わる事業部とは別の事業部の、開発営業を担当していた当時、辞令が出て、山口に技術者として再び戻る事になった「送別会」で、私が最後に歌った歌でもあります。


「春一番」が吹いた後、本格的な風薫る春を迎えたのに…。
春なのに、お別れしなければならないなんて…。


スーちゃんこと、田中 好子 さんのご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。

合掌。

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4 Comments

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圧倒されました、この記事に。 (川島孝之(表参道の小さな広告屋から)…管理人一部修正)
2011-04-25 21:20:19
Facebookでもコメントしましたが、同文を載せさせていただきます。

「こ、このブログ記事の分量と熱量がすごいです。
すごく迫ってきます。Danchoさん、後遺症で
だましだましの所はあるでしょうが、よかったですね。」

ちなみに私はランちゃんです。
返信する
こちらでも、コメントありがとうございます。 (Dancho)
2011-04-25 21:37:19
川島さん、こんばんは。

Facebookにも、こちらにも、コメントありがとうございます。

一部、個人が特定できる箇所があったので、こちらで加筆修正させていただきました。ご容赦下さい(ですが、もう半分、どうでも良くなっていますが(笑))。

今、凄く不思議な感じがしています。

自分自身の24年前と、このニュースが、一部リンクしていた事を知って、しかも干支が2回りしたちょうどその時に、「後遺症」に悩まされるのですから…。

ですので、改めて、自分自身の事をお話ししたまでで、スーちゃんの事以外は、どちらかと言うと「淡々と」書いた記事ではあります。

しかし、そういう「力み」のない記事ほど、人の心を打つのかな…と、思った次第です。

私も、弱い人間です。

その「弱い部分」は、この大型連休中に書こうかと思っています。

「後遺症」は、罹患して助かって、すぐに「一生の付き合いになるので、お手柔らかに」と思い、そんな感覚で今まで付き合っています。
「だましだまし」…川島さんの仰る通りです。

今回の峠は、間違いなく越えたので、もう大丈夫でしょう。

ランちゃんファン…多いですよね。私が少年の時も、ランちゃんが良い…という人、多かったです。

でも、あまりにも早すぎます。真面目に「再結成、ありでしょ」と思っていた矢先の事だったので…。

ご冥福を、お祈りするのみです。

先ずは、コメントを頂いた事に対し、心より御礼まで。
返信する
病気が気付かせてくれること (齋藤 真之)
2011-04-26 08:14:07
私はDanchoさんほどの病気はありませんが、喘息歴20年、不明熱による入院、シェーグレン症候群、リュウマチのように身動きがとれず1ヶ月寝たきり、様々なことを経験しました。私の世代だと、それほどキャンディーズというものがよくわかっていない。ピンクレディも。モー娘ぐらいがぎりぎりです。先月の震災も今回の有名人の死も私はメッセージと受け止めています。仏教では「生老病死」を苦しみとしています。そういった価値観があるせいか、スーちゃんも「病と闘う」という言葉を残しています。病は敵?悪いもの?戦ってやっつけなければいけない?不謹慎な言葉に聞こえるかもしれませんが、そろそろ我々日本人は、こういった病を含めて、「生老病死」に本当の意味を知る必要があると感じています。病に勝って生きててよかった、病に負けて死んで可哀想、そういった単純なものでもないように思っています。Danchoさんが生き、いまここでメッセージを多くの人に発信しているのにも大きな意味があると思います。経験者だから語れる、言葉の重みを感じます。Danchoさんの優しさといいますか、人柄が改めてわかりました。「思いやり」大切ですよね。この世からいなくなっても、人の心の中にいつまでも残る、そういう素敵な人。私たちもあれほど有名にならずとも、人の心の中に何かを残せるような人生を歩みたいものです。
返信する
齋藤さんへ。 (Dancho)
2011-05-15 18:30:55
齋藤さん、こんばんは。

多忙などに感けて、連休前に頂いたコメントにレスが大幅に遅くなりました。先ずは、お詫びを申し上げます。

色々と下手な文章で発信していますが、所詮しがないサラリーマンの発信ですから、「小さな発信」に過ぎないと思っています。

ですが、こういう時代に、わざわざ日記をある意味ワールドワイドに公開できる…という事は、それなりに意味はあると思いますね。

私の言葉で、たった一人でも良いので、「元気が湧いてきた」と思って下されば、私としてはそれで十分。

最初の方は、他人の目とか、ユーザー視点を重視しすぎましたが、今は、ネット上に日記を書き込む事で、「覚書」となるので、そういう気楽な感じでやっています。それを「ゆるゆる」という表現を用いて、時々拙ブログでも出しています。

東日本大震災で、「価値観」が見直されたのは、私も感じています。でも、それは決して、齋藤さんや私だけではないと思っています。
「感性」は十人十色ですから、他人の感性を批判するつもりはありませんし、むしろ、違った「価値観」から学べる事の方が多いと思っています。

そういう「学び」を得るためにも、ネットに上手に向き合っていきたい…と思っています。

お返事になっているか自信はありませんが、月並みかもしれませんが、とにかくお互い頑張りましょう。

初めてのコメントに、感謝を申し上げ、先ずは、お詫びまで。

今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。
返信する

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