押しても駄目なら

風が吹けば、と共に非線型現象の第二例でしょう。

文明崩壊

2006-08-01 23:28:46 | 気になる本
文明崩壊/滅亡と存続の命運を分けるもの ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一訳 草思社 上(¥2000)下()を読んだ。
最近の科学的な成果、放射性同位元素による年代測定、年輪年代法、超微量分析などなどを駆使して資料に基づき過去を暴いた上に客観的な推論を構築する。彼は文明の崩壊を招くのは五つの要因があると言う。1.人々が意図せずに環境に与える損傷。2.気候変動。3.近隣の敵対集団。4.近隣の友好集団。5.さまざまな問題にたいする個別社会の対応。この最後の項目が面白い。個別社会が問題をどのように解決しようとしたか、そもそも解決しようとしたか?などを考えなければならない、が彼の視点。
いずれにしてもスパンの長い話で図書館の貸出期間中に読みきって理解するのは困難である。しかし、面白い。
日本の政治家に読んでもらいたいとふと思った。彼は次に、今現在、人類の成人病、特に日本人の成人病、を主題にした本を構想中、執筆中とどこやらの雑誌のインタヴューに答えていた。

ソフト・パワー ジョセフ・ネイ著山岡洋一訳 日本経済新聞社 ¥2100-

2006-03-28 00:11:39 | 気になる本
田中康夫vs岡留安則対談の紹介が書きかけのままだが、田中康夫が引用していた表題の本を図書館で借りて読み始めた。
面白い。買っても良いと思っている。「はじめに」という導入部にソフト・パワーの定義ある。それは、矯正や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力である。ソフト・パワーは国の文化、政治的な理想、政策の魅力によって生まれる。アメリカの政策が他国からみて正当性のあるものであれば、ソフト・パワーは強まる。

以下第一章力の性格の変化、第二章アメリカのソフト・パワーの源泉、第三章他の国や組織のソフト・パワー、第四章ソフト・パワーの活用、第五章ソフト・パワーとアメリカの外交政策、と続いている。

そもそもソフト・パワーの概念はアメリカの実情を省みて生まれてきた概念であるから、解説もアメリカの題材を用いた説明になっている。それはそれで良いのだが、日本に適用したらどうなるのだろう、と言う疑問が読んでいる内にふつふつと湧いて来た。現在だけでなく、過去、60年、100年、400年、800年、1200年と言うスパンで考えてみたらどうだろう。

そう考えたら、買って、手元において、日本の歴史を省みる、省みてみたい。

大局を読む 長谷川慶太郎 ビジネス社 ¥1575-

2006-02-22 01:29:00 | 気になる本
東谷 暁氏の「エコノミストは信用できるか」文春新書によれば、長谷川氏は70-80年代の活躍は膨大なデータの分析から生まれていた。思想的には同意出来ないが、80年代半ばの著作はやはり面白かった、とある。採点チャートによれば、長谷川氏は著作も多く、露出度は高いが、説得力、議論の整合性、時間的な一貫性などで不十分である、となっている。

この事を一応頭において、この本を読む。この本で言う大局とは2005年9月11日以後のある種の政変の捉え方と言う意味と考えて良いようである。衆議院解散があるとは殆どの人々、国民を問わず、政治家を問わず、エコノミスト、ジャーナリストも問わず、思わなかった。そして選挙結果があのようになるとも予想した人は甚だ少数であった。

この本はあの選挙の結果は然るべくしてああなった、とまで言い切っているようである。その意味では田中直毅氏の2005年体制の誕生とディテールは別として、小泉改革を肯定している。

この本で長谷川氏が予測していることがその時点で起こるかどうか、全体の推移がそうなるかどうか、は注目したい。差し当たりは、次期自民党総裁、である。私は一つの考え方として受け止めておきたい。田中直毅氏の考え方についても同様の受け取り方である。

因みに東谷 暁氏の評価は田中直毅氏、ついでに竹中平蔵氏。についても長谷川氏と同様に説得力、議論の整合性、時間的一貫性に欠ける、となっている。と言うことはこうした特性と小泉改革とに共通性があると言うことが考えられる。改革を遂行する人種は確かにこれまでとは違った考えを持っている訳で、東谷氏の分析は正しい面を持っている、と言える。但し、分析結果で善としたことが必ずしも善ではなく、悪が悪とは限らない。正誤が逆転することがある。と言うことになる。これはオセロゲームである。

2005年体制の誕生 田中直毅 その1

2006-01-08 00:55:37 | 気になる本
前に紹介だけしたが、暮正月の間に少し気を入れて読んだ。
まえがきを読むと、『本書は、政治経済学とでもいうべき領域から多くの知見を借りることによって成立した。既得権益打破が新政治体制の誕生につながった事情を見た(第一章:二〇〇五年体制の誕生後、背景にある日本社会の変容を概観した(第二章:なぜ変化は起ったのか)。そして五十五年体制の成立の過程との対比で、二〇〇五年体制における能動性の評価を行った(第三章:二〇〇五年体制における政治の能動性)。続いて二十一世紀の日本の政治領域の変化相を記述した(第四章:変わる政治の領域)。人口減少時代を迎えたにもかかわらず、これと向き合うことができなかった五十五年体制の欠陥を指摘した(第五章:人口減少と政策課題)後、日本政治が立ち合わねばならない国際情勢の分析を行った(第六章:世界への発信と二〇〇五年体制)。そして政治リーダーシップに見る新状況を具体的事例にみた(第七章:日本の政治の新しいかたちと政治リーダーシップ)後、二〇〇五年体制における改革のプラットフォームを展望した。この順序は、筆者が重ねた思考をそのまま追ったものである。』
いささか引用が長いが、章題は私が入れた、論点は良く整理されていると思う。小泉内閣のブレインの一人なのかどうか知らないが、小泉純一郎をあげつらう言葉もないし、よいしょする言葉もないのが気持が良い。

私としては、この本に書かれている事柄を具体的な政治事象で検証してみたいと考えている。差当りの問題は国民参加型総裁選が最初の演習問題であろう。この小泉案?に対し、山崎拓氏、加藤紘一氏が早速異議を唱えている。かつてのYKK揃い踏みである。

日露戦争の世紀 山室信一 岩波新書958 ¥819-

2006-01-07 23:49:31 | 気になる本
なかなか面白い本だった。半藤一利の昭和史、保阪正康のあの戦争は何だったかなどと併せて読んで、考え方の整理が少し出来たように感じた。
まず、日本が近代化以後諸外国と戦争ばかりしていたことに驚く。そして日清、日露戦争では戦争を如何に終結するか?が始める時から考えられていたが、太平洋戦争ではそうした考えは全くなく、ただただ破滅へと突き進んでいることに更に驚かされる。

19世紀末、20世紀初めには、ロシアの南下政策、不凍結港の確保にも象徴される、と大英帝国のアジア地域での覇権、支配との対立があり、日本は近代化してそこに一定の利権を得ようとして、韓国を保護国、併合へと進みます。
日露戦争の結果日本の辛うじての勝利に終わりましたが、アジア諸国の民族独立運動家達に多大の感銘を与えたらしい。ネルー、孫文などなどは日本の勝利を当初は大歓迎したそうな。こうした運動家達は日本での活動の拡大を期待したらしいが、やがて日本は帝国主義的なアジア支配の道を、列強に加わって、辿ることになり、こうした運動家達の落胆を誘う事になる。

最初に述べた半藤一利、保阪正康らの本と併せて読み、これらに述べられた時系列事象を脇において、高見順の敗戦日記、山田風太郎の戦中派不戦日記、永井荷風の断腸亭日乗、中野重治の敗戦前日記、伊藤整の太平洋戦争日記などなどを読むと読むと誰がどのようにどうしてブレていたのか、などなどが各々の読者に理解され、楽しみ、また、この混迷の21世紀を生き抜く糧、知恵を引き出す事が出来るだろう。

最後の段落に述べた事は私自身の課題でもある。ボチボチ始めてみたい。

誤読日記 斎藤美奈子 朝日新聞社 ¥1575-

2005-12-26 16:03:44 | 気になる本
いつもの斎藤美奈子さんらしく、面白い視点からの書評。読者の視点も広げてくれる。善悪、正邪ではなく、視点の広さが主眼なのである。

例えば、174頁、「日本の歴史01 縄文の生活誌」岡村道雄著 講談社 ¥1575-、については、00巻の網野善彦の、・・・<女性、老人、子供、さらには被差別民の社会の中での役割>に目を向ける、と言う宣言に斎藤氏はちょっと興奮したが・・・、読んだら食わせ物だった。01巻は家父長的な、旧来の男社会の記述で、網野先生の宣言とは相容れない、と看破した。
そして、この項の注を読むと、これが例の遺跡捏造事件に関連して、この本は絶版になり、その改訂版が出た。改訂版についても面白い書評が341ページにあり、これらを読むと本当に面白い、斎藤美奈子さんって他人を楽しませてくれる、優れたエンターテイナーである。

因みに、これは図書館で借りた本で、年末が締め切りで、大急ぎで読んでいる一つ。

あの戦争は何だったか 保阪正康 新潮新書125 ¥756-

2005-12-22 14:21:46 | 気になる本
半藤一利の昭和史(1926-1945)を読んだが、こちらの保阪正康の本は題目は違うが、扱っているテーマは殆んど同じで、併せて読むと視点の似ている部分、違う部分、異なる見方などなど、著者の個性が浮き出て来て面白い。

半藤一利氏は少し説教口調で、巻末に、五つの反省点を上げています。一番目は 
1.国民的熱狂をつくってはいけない。中略。それは理性的でなく、感情的で、それに押し流されて、前後の見境がなくなるからである、とあります。
これは私個人としては余り気に入りません。例えば、では、「小泉劇場」には反対でしょうね。今回の衆議院選挙、その結果には国民的熱狂があると、私は思います。しかし、55年体制を崩す、崩した、一つの手法として、注意深く評価する必要があると私は考えます。この話題はちょっと別なので、ここまでで留めます。

保阪正康氏の議論の展開は余り説教口調ではありませんが、冷静で説得力があると私は感じました。例えば、
第一章 旧日本軍のメカニズム
第二章 開戦に至るまでのターニングポイント
    1.発言せざを天皇が怒った「二・二六事件」
    2.坂を転げ落ちるようにーー「真珠湾」に至るまで
*ここは面白い。陸軍が戦争を始めたと思われているが、実は海軍が始めたのだ、と言う説。これは保阪氏の独自説かどうか知らないが、説得力がある。関連して、戦争へと導いたのは軍人ではなく、軍事官僚だという話は初めて聞いた。更に、次章でもあるが、戦争を始めたら、どこでやめるか?それが判らないなら、始めない方法は考えられないのか?というような話があったらしい。*
第三章 快進撃から泥沼へ
    1.「この戦争はなぜ続けるのか」ーー二つの決定的敗戦
*快進撃は「真珠湾奇襲」で二つの敗戦は「ミッドウエー敗戦」と「ガタルカナル敗戦」である。この二つの敗戦で、物量戦、情報戦で問題にならないことが明らかになった、という。*
    2.曖昧な“真ん中”の昭和十八年
*そうした反省に立って戦争をやめる、という動きが曖昧にあったらしい。*
第四章 敗戦へーー「負け方」の研究
    1.もはやレールに乗って走るだけ
*しかし、坂道を転げ落ちるだけになった。*
    2.そして天皇が動いた
第五章 八月十五日は「終戦記念日」ではないーー戦後の日本
*八月十五日はポツダム宣言を受諾した日であって、敗戦の日は戦艦ミズーリの上での敗戦の調印式である。それまで満州では戦闘は続いていた。敗戦交渉は日ソの間ではなかった。この為に関東軍のシベリア抑留、民間人のソ連兵による蹂躙などなどの悲劇が起きた。残留孤児の問題もここから生じた。

戦争をいつ終わらせるか、は日露戦争では最初から考えられていたと言う。太平洋戦争では全体構想が曖昧なままで始まり、負けても、曖昧なままである。ここが一番の問題。

軍事官僚は今の自衛隊には生き残っていないのでしょうか、再生されていないのでしょうか?

1940年体制、55年体制、2005年体制などなどの議論の際にもこのような視点を保持しながら考えたい。

2005年体制の誕生 田中直毅著 日本経済新聞社 ¥1575-

2005-11-17 22:48:27 | 気になる本
11月8日の日経、経済教室に、有権者満足の『05年体制』に、という表題で著者によるこの本の論旨の紹介と思われる記事が掲載された。今日購入したので、これからじっくり読みたい。小泉改革を肯定的に捉える数少ない専門家、知識人の一人と私は理解している。その意味で貴重な意見、見解と考えている。

燃料電池 槌屋治紀著 ちくま新書 ¥756-

2005-11-15 23:13:02 | 気になる本
これも知人に薦められた本である。前のエネルギーの本よりこちらの方が迫力がある。一つはジュニア向けと言う制限がないからであろう。更に想像だが、分野がより狭く著者の研究テーマにより近いのではないかと思われる。
燃料電池は良く知られているように電気分解の逆過程である。水素と酸素とをゆっくり反応させて電気を取り出す装置である。
どうしてそれが可能になりつつあるか、どのようなブレイクスルーがあったのか、などなどが迫力充分に記述されている。水素をどこからどう取り出すか、どのような方法があるか、水素スタンドをどうするか、などなども充分記述されている。そして、それらがそう簡単でないことも説明されていて、その間自動車で言えばハイブリッドカーが充分有効であることも説得力を持って書かれている。こうした中で日本の自動車会社が優れた独創力を発揮して活躍していることも適切に評価されている。
読んで楽しい本である。

エネルギーのいま・未来 槌屋治紀 岩波ジュニア新書 ¥819-

2005-11-15 22:50:42 | 気になる本
ある人に薦められてこの本を読んだ。表題、テーマは極めて今日的である。ローマクラブの『成長の限界』その後のダナ・メドウス等の『限界を越えて』の紹介、再生可能なエネルギー(バイオマス、太陽光発電、太陽熱、風力発電、波力発電)の紹介と説明、自動車のエネルギー源について(ハイブリッド車。燃料電池車)の説明等々万遍なく解説されている。ダナ・メドウスの紹介は迫力あるが、それ以外はどうも引き付ける記述ではない。何故だろうか、と考えた。
ジュニア新書だから、中学生・高校生にこのテーマで勉強しよう、このテーマを一生掛けてやってみよう、などと思わせ、引き込む調子の迫力に欠けているように感ぜられる。そこが残念である。テーマとしては充分である。
例えば、世界のエネルギー消費の平均値は書かれているが、日本はどうか、国内でエネルギー消費がどの産業分野で卓越しているのか、一般生活はどうなっているか、などは記述されていない。そうした学習をしてみよう、という提案があっても良いと思うのだが。
最近はテーマ別の「甲子園」と言うのがあって、高校生にあるテーマを与えて、競わせる、というのがあるそうだ。エネルギー・サステーナブルな生活様式を競わせる、というような「甲子園」が巻末に提案されるような風に全編を書き直したら、面白いし、売れるだろうと思う。

敗戦日記 高見順 中公文庫 ¥1190+税

2005-09-13 21:30:13 | 気になる本
本屋でパラパラ見て、面白そうで、文庫本だったので買った。通読して、面白かった。解説(木村一信)にあるとおり、この日記には三つのトピックスが書かれている。その1は戦時下、それも敗戦間近かという極限に追いつめられた日本とその国民の様子が、きわめて克明に記述されているでんである。これはまた敗戦直後の様子についても変わっていない。第2にカマクラと言う都心から離れた場所に生活を送ってはいたが。文学者(他の領域のいわゆる文化人も含む)がどのように戦時下という非常時を生き抜こうとしていたかについての稀有な記録という点である。中略。第3は、高見の自らの仕事への思いと内面を吐露している点である。

私は半藤一利の昭和史と重ねて読んで面白かった。あそこに書かれている話を補足する面が多々あった、と言う意味である。

昭和20年6月3日 ○聞いた話から。東京でははだしが多くなった。女でもはだしで歩いている。盗難頻々。憂うべき道義の退廃。ある目抜き通りで、焼け残った電柱に中年の男がしばられていて、上に貼紙がしていある。貼紙には、ーーこの男は焼跡で盗みを働いたものである、みせしめにこうしておくという意味のことが書いてあったという。

阪神淡路大震災の時はあの混乱の中で盗みがないと外国人が感心したという記事を読んだ事かある。

今回のハリケーン・カトリーナの後の混乱では盗みを初めとする犯罪が問題となった。

原爆についての記述が多く、正確だと思う。あの時期にこれだけ知り得たのか、と言う、驚きに近いものがある。

敗戦前後の日記はあれこれある。今まで読んだ中では山田風太郎の日記が一番面白かった。永井荷風の断腸亭日乗の面白さは別格である。

昭和史 1926-1945 半藤一利 平凡社 ¥1680-

2005-09-11 14:42:49 | 気になる本
さらさらと読めた。巻末に参考文献表があり、それを見ると主に当時の政府の要職にあった人物とその側近達の日記、回顧録と昭和史などである。少し変わったものとしては永井荷風の断腸亭日乗がある。これらの他に著者のこれまでの関連著書があるようだが、ここには挙げていない。

読み易い組み立てになっているので、是非多くの方々が手にとって読んで頂くのが良いと思います。

むすびの章に著者は、三百十万人の死者に報い、その歴史から学ぶこととして、五つの教訓を挙げています。この本を読んで成程と感じているので、ここに要約して、再掲します。

1.国民的熱狂をつくってはいけない。中略。それは理性的でなく、感情的で、それに押し流されて、前後の見境がなくなるからである。

2.日本人は最大の危機においても抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しない。ソ連が国境線に兵力を集中し、さらにシベリア鉄道を使ってどんどん兵力を増強していることはわかっていたはず。なのに、攻めて来られると、困るから、来ないのだ、と勝手に思い込む、と言う類。

3.日本型タコツボ社会における小集団主義の弊害があるかと思う。陸軍大学校優等卒の集まった参謀本部作戦課が絶対的な権力を持ち、他の部署の意見、情報を一切認めない。軍令部作戦課もまた然り。

4.ポツダム宣言の受諾が意思の表明でなく、終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにはならないという国際常識を日本人(ではなく日本政府でしょう)はまったく理解していなかった。だから、8月9日に対日宣戦布告をしたソ連に対して、ミズーリ号での降伏文書調印は9月2日です。これまでソ連にはポ宣言受諾の外交通告をしていないのです。ここに満州での悲劇、残留孤児の発生した原因があるのだと私は思います。

5.対蹠的な発想はできるが、広い時空間を持つ大局観がまったくない。複眼的な発想がない。と著者は言っています。著者の言う主語は日本人ですが、私は日本人ではないと思います。

私が著者のまとめを恣意的に要約していますが、長々と引用したのは、現在の選挙に象徴される、失われた10年以後、二十一世紀をどうするか?を考えることが必要である事は多くに日本人には異論はないでしょう、その際、これらの反省、近くは昭和史の反省、アジアの近隣の諸国に多大の迷惑を掛けた事も含めて、が欠かせないものであると、思うからです。

あの戦争を遂行するために、兵力を確保するために、農村の基盤をある意味で整える制度的な保障がありました。野口悠紀雄氏が1940年体制と言う著書の中で最初に提唱した考え方です。その制度保障が高度経済成長を支えた一つの大きな側面だという考えです。経済のコミュニティーでは余り評価されていないようですが、これと似た考えを唱える人が出て来ているようです。別の機会に取り上げることがあると思います。

いずれにしても二十一世紀をどう生きるかは日本人が自分の頭で考えなければならない大切な問題です。日本が戦争をしないで、様々な制約を克服した、国の発展(成長では必ずしもない)モデルを世界に提示出来れば、それは素晴らしいことになるでしょう。