押しても駄目なら

風が吹けば、と共に非線型現象の第二例でしょう。

昭和史 1926-1945 半藤一利 平凡社 ¥1680-

2005-09-11 14:42:49 | 気になる本
さらさらと読めた。巻末に参考文献表があり、それを見ると主に当時の政府の要職にあった人物とその側近達の日記、回顧録と昭和史などである。少し変わったものとしては永井荷風の断腸亭日乗がある。これらの他に著者のこれまでの関連著書があるようだが、ここには挙げていない。

読み易い組み立てになっているので、是非多くの方々が手にとって読んで頂くのが良いと思います。

むすびの章に著者は、三百十万人の死者に報い、その歴史から学ぶこととして、五つの教訓を挙げています。この本を読んで成程と感じているので、ここに要約して、再掲します。

1.国民的熱狂をつくってはいけない。中略。それは理性的でなく、感情的で、それに押し流されて、前後の見境がなくなるからである。

2.日本人は最大の危機においても抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しない。ソ連が国境線に兵力を集中し、さらにシベリア鉄道を使ってどんどん兵力を増強していることはわかっていたはず。なのに、攻めて来られると、困るから、来ないのだ、と勝手に思い込む、と言う類。

3.日本型タコツボ社会における小集団主義の弊害があるかと思う。陸軍大学校優等卒の集まった参謀本部作戦課が絶対的な権力を持ち、他の部署の意見、情報を一切認めない。軍令部作戦課もまた然り。

4.ポツダム宣言の受諾が意思の表明でなく、終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにはならないという国際常識を日本人(ではなく日本政府でしょう)はまったく理解していなかった。だから、8月9日に対日宣戦布告をしたソ連に対して、ミズーリ号での降伏文書調印は9月2日です。これまでソ連にはポ宣言受諾の外交通告をしていないのです。ここに満州での悲劇、残留孤児の発生した原因があるのだと私は思います。

5.対蹠的な発想はできるが、広い時空間を持つ大局観がまったくない。複眼的な発想がない。と著者は言っています。著者の言う主語は日本人ですが、私は日本人ではないと思います。

私が著者のまとめを恣意的に要約していますが、長々と引用したのは、現在の選挙に象徴される、失われた10年以後、二十一世紀をどうするか?を考えることが必要である事は多くに日本人には異論はないでしょう、その際、これらの反省、近くは昭和史の反省、アジアの近隣の諸国に多大の迷惑を掛けた事も含めて、が欠かせないものであると、思うからです。

あの戦争を遂行するために、兵力を確保するために、農村の基盤をある意味で整える制度的な保障がありました。野口悠紀雄氏が1940年体制と言う著書の中で最初に提唱した考え方です。その制度保障が高度経済成長を支えた一つの大きな側面だという考えです。経済のコミュニティーでは余り評価されていないようですが、これと似た考えを唱える人が出て来ているようです。別の機会に取り上げることがあると思います。

いずれにしても二十一世紀をどう生きるかは日本人が自分の頭で考えなければならない大切な問題です。日本が戦争をしないで、様々な制約を克服した、国の発展(成長では必ずしもない)モデルを世界に提示出来れば、それは素晴らしいことになるでしょう。

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