押しても駄目なら

風が吹けば、と共に非線型現象の第二例でしょう。

あの戦争は何だったか 保阪正康 新潮新書125 ¥756-

2005-12-22 14:21:46 | 気になる本
半藤一利の昭和史(1926-1945)を読んだが、こちらの保阪正康の本は題目は違うが、扱っているテーマは殆んど同じで、併せて読むと視点の似ている部分、違う部分、異なる見方などなど、著者の個性が浮き出て来て面白い。

半藤一利氏は少し説教口調で、巻末に、五つの反省点を上げています。一番目は 
1.国民的熱狂をつくってはいけない。中略。それは理性的でなく、感情的で、それに押し流されて、前後の見境がなくなるからである、とあります。
これは私個人としては余り気に入りません。例えば、では、「小泉劇場」には反対でしょうね。今回の衆議院選挙、その結果には国民的熱狂があると、私は思います。しかし、55年体制を崩す、崩した、一つの手法として、注意深く評価する必要があると私は考えます。この話題はちょっと別なので、ここまでで留めます。

保阪正康氏の議論の展開は余り説教口調ではありませんが、冷静で説得力があると私は感じました。例えば、
第一章 旧日本軍のメカニズム
第二章 開戦に至るまでのターニングポイント
    1.発言せざを天皇が怒った「二・二六事件」
    2.坂を転げ落ちるようにーー「真珠湾」に至るまで
*ここは面白い。陸軍が戦争を始めたと思われているが、実は海軍が始めたのだ、と言う説。これは保阪氏の独自説かどうか知らないが、説得力がある。関連して、戦争へと導いたのは軍人ではなく、軍事官僚だという話は初めて聞いた。更に、次章でもあるが、戦争を始めたら、どこでやめるか?それが判らないなら、始めない方法は考えられないのか?というような話があったらしい。*
第三章 快進撃から泥沼へ
    1.「この戦争はなぜ続けるのか」ーー二つの決定的敗戦
*快進撃は「真珠湾奇襲」で二つの敗戦は「ミッドウエー敗戦」と「ガタルカナル敗戦」である。この二つの敗戦で、物量戦、情報戦で問題にならないことが明らかになった、という。*
    2.曖昧な“真ん中”の昭和十八年
*そうした反省に立って戦争をやめる、という動きが曖昧にあったらしい。*
第四章 敗戦へーー「負け方」の研究
    1.もはやレールに乗って走るだけ
*しかし、坂道を転げ落ちるだけになった。*
    2.そして天皇が動いた
第五章 八月十五日は「終戦記念日」ではないーー戦後の日本
*八月十五日はポツダム宣言を受諾した日であって、敗戦の日は戦艦ミズーリの上での敗戦の調印式である。それまで満州では戦闘は続いていた。敗戦交渉は日ソの間ではなかった。この為に関東軍のシベリア抑留、民間人のソ連兵による蹂躙などなどの悲劇が起きた。残留孤児の問題もここから生じた。

戦争をいつ終わらせるか、は日露戦争では最初から考えられていたと言う。太平洋戦争では全体構想が曖昧なままで始まり、負けても、曖昧なままである。ここが一番の問題。

軍事官僚は今の自衛隊には生き残っていないのでしょうか、再生されていないのでしょうか?

1940年体制、55年体制、2005年体制などなどの議論の際にもこのような視点を保持しながら考えたい。


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