昔々に録画して、ずっと気になっていた番組をようやく視聴できました。
■ 「3.11後を生きる君たちへ 〜東浩紀 梅原猛に会いにいく〜」
昔すぎて、番組内容紹介がネット上に残っていません(^^;)。
言論界の若手のホープであった東 浩紀(あずま ひろき)氏が、
哲学界の長老である梅原 猛氏を訪ねてインタビューをする、という企画です。
東氏は当時、現代日本の社会現象をどう読み解くかという研究に没頭していました。
著作もあり、「言論界の若手ご意見番」という存在でしゃべりまくりました。
そして「東日本大震災」(2011.3.11)に遭遇しました。
現地を訪問した東氏は、そのあまりの惨状に言葉を失いました。
この震災被害をどう捉えて、どう表現して、どう人々に伝えるか・・・
その術が見つからないことに、彼自身がショックを受けました。
「自分の世代は、東日本大震災を語る言葉を持ち合わせていないのではないか?」
自問自答の末、
「日本の歴史・思想を俯瞰して研究してきた哲学者、梅原氏はどう捉えて言葉にするのだろう?」
と頭に浮かび、梅原氏に教えを請うため、京都東山の梅原宅を訪れたのでした。
梅原氏は当時87歳。
外見は隠居老人のようですが、
一旦話を始めると、眼光鋭く、発する言葉の端々に力強さを感じました。
梅原氏は語ります;
【西洋哲学の限界を知る】
「東日本大震災に伴う原発事故を知った後、これをどう捉えるべきなのか、西洋哲学を今一度検証した」
「すると、西洋哲学に限界があることを突き止めた」
「エジプトは自然崇拝の文明であり太陽と水を信仰していた農業文明だった」
「しかしギリシャ文明で自然崇拝が消えてしまった」
「ギリシャ文明は海賊文明、征服して剥奪する文明であった」
「そこから派生してヨーロッパ文明が発達した」
「その思想の象徴は、デカルトの“我思う、故に我あり”である(17世紀前半)」
「デカルトの言葉には“自然は数式化して支配できる”という続きがあり、人間中心、天動説的概念であった」
「その流れで科学が発展し、確かに多大なる恩恵を人類に与えた」
「科学の発展の最終到達点が原子力である」
「莫大なエネルギーを得られる反面、使い方を誤ると多くの被害が発生する」
【西洋文明を取り入れ、その弊害を被った日本】
「日本は西洋文明をいち早く取り入れて、アジアで唯一植民地化を免れた国である」
「科学技術も貪欲に取り入れて西洋に追いつけ追い越せで発展してきた」
「しかし科学の究極の成果である原子力の被害を、不幸なことに2回も経験することになった」
「1回目は広島・長崎の原爆投下、2回目は東日本大震災の原発事故である」
【日本は世界の文明に自然との共存という方向付けを】
「欧米にとって、原爆・原発事故は当事者になっていないため、一部他人事である」
「だから日本人が西洋人に訴える必要がある」
「人間中心に展開してきた西洋哲学に基づく西洋文明の方向はこれでいいのか、と投げかけるべきである」
「日本の哲学である自然と共存する信仰、仏教の“草木国土悉皆成仏”(※)という考えを取り入れるべきではないか、とアドバイスすべきである」
※ 草木や国土のように心をもたないものでさえ、ことごとく仏性があるから、成仏するということ(仏教用語)
東氏に同行した若者達からも質問が出ました。
「東日本大震災の被害を受けて亡くなった人々に、我々はどう向き合えばよいのでしょうか?」
梅原氏の回答は、
【戦死者・原発被害者へどう向き合うか】
「累々と重なる死体は、第二次世界大戦が終わったときのことを思い出させる」
「戦地で勇敢に戦って命を落とした兵士に比べ、私は“生き残った後ろめたさ”をずっと感じて生きてきた」
「おそらく私の世代の日本人は、口には出さないが、多かれ少なかれ誰しも同じ感情を持ち合わせている」
「原爆で亡くなったたくさんの日本人の視線も感じる」
「なぜ私は死ななくてはならなかったのか、教えてほしい、と」
「生き残った我々は、非業の死を遂げた人々に申し訳が立つように生き延び、彼らの代弁をする義務があるのではないだろうか?」
「津波被害・原発事故でも同じ事だと思う」
「彼らは科学文明の被害者として我々の身代わりとして亡くなっていった」
「それを反省・検証し、次の世代に生かす役割・義務を君たちは負っていると思う」
以上、一字一句は正確ではありませんが、私が受け止めた内容です。
“京都学派”という言葉があります。
東京大学の学者達の王道を行く学問と比較し、
より広い視点から捉えた学問という意味だと私は感じています。
梅原猛氏しかり。
中沢新一氏(文化人類学者・宗教史学者)なども複数のフィールドを股にかけた思索で活躍されています。
ときどき、小松左京氏(SF作家)のような才能も出てきます。
梅原氏の学問のはじまりは西洋哲学でしたが、
そこに限界を感じて日本や仏教の研究を始め、
日本の歴史の底流に流れる思想を解き明かし、
「梅原日本学」と呼ばれるレベルまでに到達しました。
その一般向けの啓蒙書はベストセラーになり、
私も何冊か読んだことがあります。
歴史家からは「検証が甘い」「想像で書いている」などと非難を受けることもあったようですが、
その斬新な視点はインパクトがあり、日本中が魅了されました。
梅原氏は2019年1月に93歳で亡くなりました。
たくさんの知的財産を残していただいたことに感謝します。
合掌。