さあ、ようやく一斗の涙を振り絞らされたところにやってきました。
●三段目
【妹山背山の段】
この段、富助さんの三味線が重々しく皮まで叩くようにして始まると、いやが上にも気分が引き締まります。
以前、越路大夫の芸談だったか、この段の枕は重々しく格調を求められるので、若い久我之助を担当する大夫には大変に荷が重い語り出しである、というようなことを読んだことがありました。
そう思うと久我之助担当の文字久さんはもちろん呂勢さんも、いろんな意味で大層汗をかかれたことだろうなぁ、などと思いながら聞かせてもらいました。
気のせいか、文字久さんが久我之助を語っていると、師匠が隣でどんどん渋~い顔になっていくように見えたような・・・
い、いや、き、気のせいですね。
ご存知舞台中央の吉野川を挟んで対立する家同士の久我之助と雛鳥が、愛し合いながらも悪人・入鹿の権力欲が巻き起こす運命の流れに巻き込まれ、お互いを想いながら命を落とすという、悲しいお話。
もう、どこを取っても悲しい。
それは多分、自分が年齢的にどうしても「親目線」になるからだとみた。愛だの恋だのよりも親子の情の方に自然と感情移入してしまうお年頃、ってこと。
まあ枯れかかっているからこそ枯れた芸も段々にわかるようになる、ってことで。
年を取るのも悪いことばかりじゃあありません
と、年寄りぶったところで。
この段、救いは腰元の桔梗・小菊、特にお多福顔の小菊ちゃんがここでも相変わらずご陽気だってところだけ。
母・定高に、もし久我之助を本気で好きで助けたいなら、入鹿に嫁入りするのが貞女の立てよう、と言われ、
「母様段々聞き分けました」
と了解する雛鳥。
しかし母娘ふたりの心の中はとっくに雛鳥の命を犠牲にすることを決意していたというのに・・・
そこで、「でかしゃった」。まず、うるっと第一波が来るわけだ。
その後、雛人形をえいっと打ちつけてからの雛鳥と定高のくどきのシーン、
「穢わしい玉の輿、何の母も嬉かろ。
祝言こそせね、心ばかりは久我之助が宿の妻と思ふて死にや」
「アイ」
「ヤ」
「アイ」
・・・・・・
あーーーうーー (T_T)
私も抱き合って泣く二人に駆け寄って、舞台で一緒に混じって泣きたいくらいでした。(迷惑)
そして、
「命もちじぢり 日もちりぢり」
「ヤア雛鳥が首討ったか」 「久我殿は腹切ってか」
「はあ」 「しなしたり」
・・・号泣。
雛人形を川に流すところから三味線の調べも哀しく、住大夫・大判事と綱大夫・定高の掛け合いの切ないことこの上なく。
結局終わりまで涙の止まる暇なし、でありました。
呂勢さんの雛鳥がこれまた健気で可哀想で・・・
簑助さんの雛鳥は言うまでもなく美しかった。しかも、愛する人の為に命を捧げることなど惜しくない、という気概もまさに表現されていました。簑助さんの遣う恋する娘は、役者がやる以上の生身の娘感があるような不思議。キラキラとまばゆいばかりの娘さん。
私も簑助さんに首を支えて遣ってもらいたいくらいです。
文雀さんの定高も、これまでの女手ひとつで一国一城を守る毅然とした様から、この段では、娘を想う母の情愛がしぐさひとつひとつに現れていてさすがです。
特に、娘の首を刎ねた後に嫁入り化粧を施すところでの定高の悲哀のまなざし、慈しみながら紅をさす手・・・
ううっ、今思い出しても切ない。
久我之助と大判事の人形は実はあんまり見てませんでした。遠かったもんで・・・
す、すみません。
何を置いてもここの段は、やはり大判事と定高の、子の幸せを願いながらもそれ故子を失わねばならなかった哀しみを、住大夫、綱大夫のお二人の語りで聞くことができたことがつくづくありがたいことでありました。
舞台も壮大だし浄瑠璃の詞も曲も素晴らしい、演ずる方はしんどいと思いますが、見てる方は2時間があっという間に終わるので、何回でも見たい、やってもらいたい。
なんだったらまた今年の秋に東京で、どうでしょう?
●三段目
【妹山背山の段】
この段、富助さんの三味線が重々しく皮まで叩くようにして始まると、いやが上にも気分が引き締まります。
以前、越路大夫の芸談だったか、この段の枕は重々しく格調を求められるので、若い久我之助を担当する大夫には大変に荷が重い語り出しである、というようなことを読んだことがありました。
そう思うと久我之助担当の文字久さんはもちろん呂勢さんも、いろんな意味で大層汗をかかれたことだろうなぁ、などと思いながら聞かせてもらいました。
気のせいか、文字久さんが久我之助を語っていると、師匠が隣でどんどん渋~い顔になっていくように見えたような・・・
い、いや、き、気のせいですね。
ご存知舞台中央の吉野川を挟んで対立する家同士の久我之助と雛鳥が、愛し合いながらも悪人・入鹿の権力欲が巻き起こす運命の流れに巻き込まれ、お互いを想いながら命を落とすという、悲しいお話。
もう、どこを取っても悲しい。
それは多分、自分が年齢的にどうしても「親目線」になるからだとみた。愛だの恋だのよりも親子の情の方に自然と感情移入してしまうお年頃、ってこと。
まあ枯れかかっているからこそ枯れた芸も段々にわかるようになる、ってことで。
年を取るのも悪いことばかりじゃあありません
と、年寄りぶったところで。
この段、救いは腰元の桔梗・小菊、特にお多福顔の小菊ちゃんがここでも相変わらずご陽気だってところだけ。
母・定高に、もし久我之助を本気で好きで助けたいなら、入鹿に嫁入りするのが貞女の立てよう、と言われ、
「母様段々聞き分けました」
と了解する雛鳥。
しかし母娘ふたりの心の中はとっくに雛鳥の命を犠牲にすることを決意していたというのに・・・
そこで、「でかしゃった」。まず、うるっと第一波が来るわけだ。
その後、雛人形をえいっと打ちつけてからの雛鳥と定高のくどきのシーン、
「穢わしい玉の輿、何の母も嬉かろ。
祝言こそせね、心ばかりは久我之助が宿の妻と思ふて死にや」
「アイ」
「ヤ」
「アイ」
・・・・・・
あーーーうーー (T_T)
私も抱き合って泣く二人に駆け寄って、舞台で一緒に混じって泣きたいくらいでした。(迷惑)
そして、
「命もちじぢり 日もちりぢり」
「ヤア雛鳥が首討ったか」 「久我殿は腹切ってか」
「はあ」 「しなしたり」
・・・号泣。
雛人形を川に流すところから三味線の調べも哀しく、住大夫・大判事と綱大夫・定高の掛け合いの切ないことこの上なく。
結局終わりまで涙の止まる暇なし、でありました。
呂勢さんの雛鳥がこれまた健気で可哀想で・・・
簑助さんの雛鳥は言うまでもなく美しかった。しかも、愛する人の為に命を捧げることなど惜しくない、という気概もまさに表現されていました。簑助さんの遣う恋する娘は、役者がやる以上の生身の娘感があるような不思議。キラキラとまばゆいばかりの娘さん。
私も簑助さんに首を支えて遣ってもらいたいくらいです。
文雀さんの定高も、これまでの女手ひとつで一国一城を守る毅然とした様から、この段では、娘を想う母の情愛がしぐさひとつひとつに現れていてさすがです。
特に、娘の首を刎ねた後に嫁入り化粧を施すところでの定高の悲哀のまなざし、慈しみながら紅をさす手・・・
ううっ、今思い出しても切ない。
久我之助と大判事の人形は実はあんまり見てませんでした。遠かったもんで・・・
す、すみません。
何を置いてもここの段は、やはり大判事と定高の、子の幸せを願いながらもそれ故子を失わねばならなかった哀しみを、住大夫、綱大夫のお二人の語りで聞くことができたことがつくづくありがたいことでありました。
舞台も壮大だし浄瑠璃の詞も曲も素晴らしい、演ずる方はしんどいと思いますが、見てる方は2時間があっという間に終わるので、何回でも見たい、やってもらいたい。
なんだったらまた今年の秋に東京で、どうでしょう?
ほんとに東京でもやって欲しいですよねー
きっと毎日満員御礼ですよ。