な~んにもない

もう、わけわからんわ。

初夏へ

2020-05-08 08:03:22 | 日記


少し寒いくらいがちょうどいいと感じる私にとって
朝晩の冷え込みが心地よく感じる季節に入ってきた。

つつじは花を落とし始めた。

新型肺炎は花粉を飛ばしながら、どうなっていくのだろう。




ゴールデンウィーク中は

知事や大臣に大学教授と言った権威に頼った報道と、

現場は知らなくとも弁の立つと言われている人のコメントが花盛りだった。

各社独自で集めて来たデータやその情報分析と提言なんてところを探してみたけれど、花はなかった。




各医療機関やデータ調査会社からの数値発表を待っていたわけではないだろうけれど、

あらゆる情報が集まる場所となっている専門家会議から出されるデータ発表は、不思議とこれと前後する。

江戸時代からの官僚主義流伝統が脈々と引き継がれているかのように。



ロシアや南半球地域への感染拡大状況から察するに、
日本では新型コロナウィルス直接の死者から、自殺者・うつ病等の環境破壊による死者へと関心は移るのだろう。

私事でいえば、コロナ関連による特別融資も申し込みからそろそろ一ヶ月経つが、いまだ順番待ちは続く。

非常事態宣言に乗っかって、今後の対策と称され、全体主義や独裁主義色も強くなるのだろう。

「蛙の王様」みたいにならないと、いいのだけどな。


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こどもの日

2020-05-05 10:54:34 | 日記



親の背中を見て子は育つ。

親はなくとも子は育つ。

親のこころ、子知らず。




いかに金儲けを有利に展開するのかが、
手段ではなく、気付けば私の人生の目的となっている。

場当たり的で、ご都合主義で、無い物ねだりを幾つ実現させたのか。
これを幸せと呼んでいるところが、私にはある。

また、
こどもあっての親という役割とは考えず、
養っている意識ばかり強く、所有物と勘違いしている。





こどもの期間より、大人の期間の方が長い。

その貴重な時間を、
こどもはこどもらしく、と
こどもの成長と自立心の芽を摘むのはいいけれど、
何の為に犠牲を強いるのかは深く考えない。

人間なんて、それでいいのかもしれない。





かたや、腫れ物に触るように育てられていくこども達もいる。

こども社会に首を突っ込む親も増えた。

夫婦間の子育て価値観も多様化している。





こどもらしからぬ子供が増えても、こどもはこどもである。

人の今日のあり方を写す鏡である。

これまで何度ハッとさせられたことだろう。




私は何者になりたいのだろう。

何者にもなりたくないのだろうか。

既に好き嫌いを越えて、
無意識なだけで何者かであるのかもしれない。

少なくとも世間様は、
互いにそうやって日々をつないでいるようにみえる。




今日もウグイスの声が渡って行く。

帰路に着いた友人の背中を思う。

惰眠を貪る我が子を眺めて漏れる溜め息は、
刃となって胸元へ帰ってくる。


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邪推

2020-05-04 08:37:57 | 日記


安倍首相が改憲論議を持ち出してきた。

「武漢ウィルス恐れるに足らず」
と言う本音がついに出たか、
という思いが走った。

この国の代表は、この騒動を不安と恐怖で一丸となる空気作りに利用したかったんだ。




実行再生産数が4月10日時点で、
全国的にも東京を切り取ってみても「1」を切っていた事も公表された。

これは欧米では非常事態宣言解除の基準数値。
しかも今はもう、5月。専門家会議も当てにできないと言うことか。

まだまだ未公表データはあるのだろう。
モリカケ問題のやり口からしても想像がつく。

善意の第三者を装う報道関係者はいつ舵を切るのだろうか。




命の問題と今は大騒ぎする人も変身する日が近づいてきた。

しかし、本当に怖いのは緊張が解けた後の無関心。

新型肺炎ウィルスの好む環境条件が、
人間の快適空間と重なる可能性は残されたままだ。


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ウィルスの二次災害

2020-05-03 12:08:49 | 日記

好天で始まったゴールデンウィーク。

今夜から中休みを向かえる予報に少しホッとしている。

我が身に、このタイミングでの夏日は、
ちと早すぎて気力が落ちるからだ。




GWが始まると、非常事態宣言延長を受けて、
電波にはコロナな色が、より一層色濃く塗られている。

あちこちから、こだまばかりが反響してくる。

本当に語っているのは、何人いるのだろう。




ようやく、命の問題と経済の問題を分けて考える声は小さくなってきた。

まだ、季節や気候と感染の関係について触れられる機会がこないけれど、
これも後少しなのかもしれない。

しかし、無理矢理引き裂いた傷は、
癒えるどころか止血と輸血に追われる日が続きそうだ。




妬み・嫉み・やっかみから、
心ない方法で自粛強制を訴える人もまだあると聞く。

正しさは、いつだって簡単に悪に変わる。

分断の風が強過ぎて、飛ばされたり流されてしまっている。

決して他人事ではない。





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心の扉を夕日が彩る

2020-05-01 09:14:24 | 日記


苦しいこともあり、言いたいこともあるだろう。

不満なこともあり、腹の立つこともあり、泣きたいこともあるだろう。

これらをじっとこらえてゆくのが、明治の男の修行であったとか。

男が世の中を動かし、女はその男を動かしていた、とまで言われてみると、

男女同権に染められた脳の中に、違った色彩が拡散する。





夕暮れの山際を見つめながら帰路につく。

街並みや足元に視線を移しては、また同じ方向へ視線を送る。

すると、小さな色の変化に突然気付くことがある。




西洋式に彩られた学校で、人の頭の中の機械的な働きをいくら鍛えても、わからないことはある。

ギリシャ式に知・情・意だけではわからなくとも、感じる何かを頼りにそれぞれの核に迫っていく。

時間をかけなければ、知っていてもわからないままな扉が誰の心にもある。

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