夕張市長まちおこし奮戦記 -超過疎化からの脱出作戦-という
昭和62年に書かれた本の背に掲載されていた夕張地域全体開発計画。
夕張の面積は東京23区より広い、四国香川県の面積の約半分だそうだ。
当時、5,000億から6,000億円予算で
10年計画として本気で策定進行されていた。
歴史村事業が好調で昭和60年時で
おおよそ185万人の観光客を呼んでいたのだから
意気揚々の計画だったと思う。
しかしながら、62年時点で
約20億円におよぶ財政の手形ジャンプ経営も
中田市長は認識し「地方自治体に倒産はない」と公言もしていた。
そして、2003年4月、夕張市長を勇退した5ヵ月後に逝去、享年77才。
3年後、市は財政破綻に至る事になる訳だけれど、
中田鉄治市長が残した功罪は大きなものがある。
罪過は現在の市民に大きな負担を強いている。
けれど今もって市民に引き継がれている映画祭など功績もある。
どこが、誰がと、破綻の原因を突き詰められないが
この夕張地域全体開発計画(一部反対な計画もある)が
もし実現していたら・・・と考えるのは浅はかだろうか?
いつもHP楽しく拝見させてもらってます。
じつは私も当時同じことを考えました。
夕張本町から大夕張をつなぐ「道路」!
なんて素敵なアイデアかと。
でも私が無謀と言ったのは、それらの計画のどれもこれも財源
(資金)計画と収支見込みがあまりにもいい加減であったことです。
その後、鹿島への「道路」はさすがに無理だと思ったのか
大型ゴンドラで結ぶことも考えたようです。
もちろん夕張岳に考えたスキー場とレースイを結ぶためのものでした。
ケリィさんには、kankanさんのところでお会いしたことがありますよね。
たしかに無謀と言えば無謀ですね。
是か非かを無視して考えると、
当時は夢というか希望というのか
そう言う閉山という過疎化から脱却するための期待感が有ったのは否めないですね。
そして、当然、無理があったから現在に至ってしまったワケですから。
この計画の中で、1つだけ欲しかった物がありました。
大夕張への道路です。
今でも人のいない場所で道路拡張工事が続いていますが
そんな予算があったなら
大夕張へ繋ぐ環状道路があったなら
住民の暮らしもいい方へ変わっただろうなと思います。
25年前、B0版模造紙にカラーマジックで
書かれたこの原計画を見せられた時には正直
冗談かと思いました。
その前からも無茶なのがいくつか出されてま
したが決定的なのはこれです。
その意味で歴史的に貴重なものと言えますが
夕張人にとっては狂気の始まりです。