conparu blog

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奥の畦道

2014-11-19 19:29:12 | 随想

本道の脇道から畔道へと道は細って、果たして行き着くところは奥の迷い道か?堂々巡りの狐火か?
最近になってSONY CLUBの電子書籍から1000円分の図書券を頂いた。それを元に『古代史の秘密を握る人たち 誰が本当の歴史を封印したのか?』と『古代史 残された謎 あの人物・事件・遺跡の常識を180度覆す』ともに関裕二著(PHP研究所) を購入してこれから読むところ。

巻末に近いところを拾い読みしてみると、『古事記』や『日本書紀』の中で垣間見える古代史の闇の領域が、次第に明らかになりつつあるらしい。その背景には考古学の発掘調査による、文献と実証の突き合わせがあるそうだ。であっても間あいだには推測の繋ぎ合せが欠かせないだろう。読み物としてはその方が面白いのだけれど。

「『古代』誰が本当の歴史を封印したのか」?このタイトルだけでも美味しいに違いない。
太安万侶が古事記の編纂を任されたとき、「ああしろ、こうしろ」と上の方で指示した者がいたようで、決して表には顔を出さない、したたかな御仁は・・・なんと大化の改新の立役者の一人に係わると云うから、大胆な推理にぶったまげた。

古事記には『トカゲの尻尾切り』ならぬ『トカゲの頭なし』で後世の人々を面食らわせてきたところがある。
今で言う『ゲーム感覚』であろうか、「分かるもんなら解いてみな」とせせら笑っている御仁が浮かんで来る。
時は天智天皇の弟、天武天皇の時代から絡んでいて、天皇の皇后や妃を送り出し、権勢を欲しいままにわが世を謳歌した人。
一門から排出した姓は数知れず、(実は自分もその流れの端切れではあるけれど)反響はさておいて推理には推理の論があるだろうから、「時の人」の如何にして関与したかについて、本文を追って覗いてみたいと思う。

祭祀をつかさどる中臣氏が神宮の設立とどんな関係にあったのか。出雲大社を代表する出雲系の神事に関与していたのだろうか、
巻末の一部つまみ食いでは分かる筈もない。

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