conparu blog

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新しい都

2014-11-09 09:00:00 | 随想

「天照大神を太祖とする天孫族が天から『高天原』に降ってきた。」
古事記の神
には太陽神を信奉してきた天孫族の伝承が垣間見える。高天原とはいったい何処なのだろう。
瓊々杵の父、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)から始まる北九州上陸の拠点が、即高天原と云うのは短絡に過ぎるだろう。

カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)までの三代の勢いを見れば、渡来する以前の勢力がかなり強大であったことが覗える。
海の彼方の祖先の王国が幻のような存在であったならば、望郷も込めて「彼の地」と上陸した拠点を「高天原」と呼んでもおかしくは無い。
出雲が先住民の王国とするなら、北九州は天孫族の新興王国として勢力圏を拡げて来た。そして出雲は国譲りして影を潜め、大和の長髄彦は駆逐されて諏訪に逃れたが、捕えられて息の根を止められた。出雲の血統としては宇摩志麻治によって引き継がれるのである。宇摩志麻治は饒速日と御炊屋姫との間に生まれた子であるから、天孫族と出雲族(海神族)両方の血を受け継いでいる。

前回の「神武東征」に載せるべき足取りです。(参考まで)


神武の橿原宮の造営に始まる大和朝の皇室の中で、婚姻関係を結びつつ重要な職責を果たしてきた物部氏こそ、宇摩志麻治の後裔として出雲族の陰の存在を続けていくのである。(私の古代散策はこれでおしまい)

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