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良妻賢母、を目指していた私

2021年06月10日 | 楽しいお話し

 果たして「良妻賢母」という言葉は、今の世の中に存在しているのかどうかも定かではありません・・・ すべての人々がそれぞれの立場に大きく左右されることなく、平等で、幸せであること、が最も大切である、と言われる今日。まさに、その通りですね。誰もが「自分は幸せである」と感じ、毎日を過ごせることは、何と尊いことでしょう
 その思いは一旦横に置いて。最近、私はよく考えることがあります。
我が家では、3作ほど前から、NHKの朝の連続テレビ小説を録画し、夜、主人と一緒に観ています。今回、高校を卒業し、一旦目指した道、大学受験に失敗した女の子が、「いったい自分は、本当はどう生きたいのだろうか?」と考え、悩む、というのが、番組がスタートして半月のテーマです
 震災という大きな伏線もありますが、若い女の子が「自分を見つめ」て、真面目であるが故に悩み、苦しむ・・・
 私はこのドラマを観ていて、気づかされたことがあったのです それは、私は昔、至極真面目な女の子ではありましたが、たった一度も「私は何になりたいのか?」「私はどう生きたいのか?」という大きなテーマに悩んだ経験がない、ということ
 こんなことを言うと、今を生きる「至極真面目な女の子」は、きっと私のことを能天気な子、もしくは、かなり浅はかなバカな子、と思うことでしょうね。

 いやいや、違うのですよ。
私が目指していたもの、それは「良妻賢母」でした
幸いなことに、私の両親が私に求めていたものが「それ」であり、その願いを持って毎日、満足して母校に通い、ほぼ同じ意識を持った友人達と一緒に青春時代を生きていました
 私の母校で一緒に学んだ友人達の中には、音楽家になりたいと音大に進んだ子、芸術家になりたいと美大に進んだ子、ダラダラと?!一貫校で過ごしたくないからと他大学の受験を目指した子もそれなりにはいましたが、音大、美大以外に受験した子から「私は○○を目指したくなったので、○○大学を受験する」と聞いてこともなかったので、たぶん、そういう子達は、一貫校生活を緩い、自分を甘やかしていると感じ、受験を選んだのだろうなあ、と私は理解していました

 良妻賢母。死語かもしれませんが・・・なかなか目指すのは骨の折れること、と私は大真面目に考えていました
 夫が外国の客人をもてなす時のためには、妻はマダムとして外国語の習得は必須でしたし、家族に喜んでもらうため、客人に喜んでもらうためには料理は上手でなければなりません。夫や子どもが季節を感じ、潤いのある暮らしをするためには、花道もフラワーアレンジメントにもたしなみは必要ですし、茶道に関しては、夫がそれなりの地位になれば、そんなたしなみが必要とされる席もあるでしょうから、最低限は経験しておかなければなりません。何よりも日本の大切な文化であり、千利休が活躍した堺で生まれ育った私ですからね。家族のために、時には手作りのセーターも喜んでもらえるでしょうし、子どものお稽古バッグに可愛い刺繍は必須、でしょう?
 一般常識として、さまざまな方面の雑学は、話題提供、話術のうちの一つ。
 ・・・とまあ、こんなふうに考えていくと、多方面で知識を習得したり、技を磨いたり、をしなくてはなりません。そういう毎日は、私にとって、何らかのスペシャリストになる以上に「大変なものを目指している感」を感じさせ、充実していたのでした。
 そういう若い時代を送られたことは、私は本当に幸せだったのだなあ、と感じました

 でもね、そんな私が、さすがに「私は、ちょっとおかしいのかな?」と思ってしまう機会がありました。それは、大学1年時、カナダとのボーダーに近いニューヨーク州の小さな町に短期留学をした時、そして、18か国から同年代の若者達が集まり、3週間をテキサス州やコロラド州、オクラホマ州で過ごした国際ユースキャンプでのこと・・・
「大学では何を専攻しているの?卒業したら、あなたは何になりたいの?」というお決まりの質問に、私は満面の笑顔で「I'm going to get married! And I want to be a mother!」と答えた時。
 その場は一瞬、「???」の空気に包まれ、「What?Sorry, say it again,please.」とキツネにつままれたような表情で、言わせてしまう・・・

 当時の私は、その空気の理由が全く理解できませんでした。
その理由を、何となく理解し始めたのは、夫と結婚し、夫の友人である女友達のそれぞれの生き方を身近に知った頃から、でした
 初めて知った世界・・・その頃から、数年間は、私の過ごした「狭い世界」を恨んだこともありました。もし、私が違う環境で育っていれば、全然違う人生があったかもしれない・・・と。

 でも、私の母は、バリバリ働く女性でしたが、立派な妻であり母でしたし、私の友人のママ達も、ほぼ同じような境遇で、夫の会社を手伝うという形で、皆、仕事を持ちつつ、母業も妻業もしっかりとしていた人達でした。
 そういう環境の中で過ごしたことは、今の私にとっては誇りです。まあでも、きっと次に生まれてきた時には、「I'm going to get married! And I want to be a mother!」とは答えない人生を歩みたい、と思います
  そして、高校に入った頃からは、「私はどう生きたいのだろうか?」と真剣に悩み、受験勉強に励む学校生活を送りたいと夢見ています

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