クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

トルコ共和国に行ってきました

2019年06月30日 | ためになるお話し

 「えーっ トルコに行ってきたって
という声が聞こえてきそうです。そうなのですよね、2月にエジプトに行ったばかり。
 「4か月しか経ってませんよ~…ちょっとお気楽すぎませんか?」
はい 本当にすみません

 じつは、出発1か月を切った時点で、急遽、叔父のピンチヒッターで行くことになりました。10年前に叔母と死別した叔父が、昨年末に再婚。本来ならば、ハネムーンを兼ねた旅行として私がいろいろと段取りをしたものでしたが、叔父の体調はすこぶる良いものの、ストマの調子が1か月前あたりから芳しくなく… 楽しみにしている叔母にキャンセルを強要してしまうことを辛いと思った叔父の苦肉の策、でした。

 現在のトルコは、正式にはトルコ共和国、という国です。
1923年、第一次世界大戦後に建国。現在も国民に尊ばれ、慕われている建国の父「アタチュルク」と呼ばれているムスタファ・ケマル氏によって、しっかりとした国作りがされていきました。人口約8000万人、国土は日本の2倍強。親日の国として有名です 親日の大きな一因となった「オスマントルコ海軍の軍艦、エルトゥールル号の難破と救助」の話は有名です。これは、映画「海難1890」でも描かれています。トルコ人のガイドさんから聞いたお話では、小学校4年生の社会科の時間に詳しく教わることだそうで、教科書にもたくさんのページが割かれ、このエルトゥールル号と決死の覚悟で救助に当たった和歌山の人々について記載されているのだそうです
 何なのかな?と興味を持たれた方は、是非またお時間のある時にでも調べてみてくださいね。このお話は、1890年の古いお話というだけではなく、それから約100年後、1985年のイラン・イラク戦争の時にも再度、クローズアップされる…という、胸の熱くなるエピソードに繋がっていきます

 旅行、としての楽しさは、きっといろいろな形で、たくさんの人達が書かれていると思うので、ちょっと別の観点から1つ、書くことにします
 私は6年前にイタリアに行き、ローマ帝国時代の様々な遺跡や歴史に魅せられました。それ以降、ローマ帝国についての色々な本を読み、イタリア語にも興味を持ち、立て続けに何度かイタリアを訪れました。 
 初めてローマを訪れてから3年後には、エーゲ海を見たいという母の願いを叶えるためにギリシャへ。そこでは、ローマ時代よりももっと古い、ローマ帝国の数々の皇帝が憧れ手本としたギリシャ文明の遺跡をいくつも見学し、学びました。
 そして、今年の2月、エジプトを訪れます… このエジプトの各遺跡は、ローマやギリシャの時代よりもずーーーーーーっと昔。カイロ郊外にあるギザの3大ピラミッドの一つ、クフ王のピラミッドは、紀元前約2600年に建てられたと考えられています
 奇しくも、ローマ(イタリア)、ギリシャ、エジプトと、時代を遡っての旅行となりました。ローマでは「ローマ帝国の遺跡」を、ギリシャでは「ギリシャ文明の遺跡」を、そしてエジプトでは「エジプト ファラオの時代の遺跡」を見てきたわけですが… トルコでは???

 トルコは、エジプトに負けず劣らず古い時代から人が生活を営んでいたことがわかっています。しかし、その後は強い力を有したオスマントルコとして広大の地域を支配するよういなるまでには、常に幾多の戦争を繰り返し、西側のエーゲ海からのギリシャ、分裂したローマ帝国のうちの一つ、東ローマ帝国(この国の首都はコンスタンチノープル、現在のイスタンブール)、エジプトやアラブの国々(当時の)からの脅威の中で存在していきます。
 だから、この国に残っている多くの遺跡は、紀元前の古い古いものもあれば、ギリシャの神殿の遺跡、ローマ帝国時代の遺跡、セルジュックトルコやオスマントルコの時代のもの等、時には同じ土地に何層も違う時代、違う文明の遺跡が重なり合って発掘されたりしているのですよ、すごいと思いませんか?
 トロイの木馬、のお話で有名なトロイという国は、エーゲ海に面していた国(町)で、再三、ギリシャの侵攻に苛まれ、あの木馬の逸話が生まれます。まさにこのトロイの町には、9層にも重なりあった町が見つかっているのです

 イスタンブールの「アヤ・ソフィア」という有名なイスラム教寺院(現在は、お寺としてではなく、博物館として機能しています)は、6世紀の建立当時は、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の世界最大のキリスト教の教会でした。「アヤ 聖なる、ソフィア 叡智(英知)」という名前の大教会は、トルコ共和国が建国し、イスラム教の寺院として改装されるまでの1000年間、ビザンチン芸術の粋を集めた教会だった… あらためてじっくりと眺めると、その形はイタリアのヴェネチアにある「サンマルコ寺院」と本当によく似ています。

 いやいや… 歴史や地理が大好きな私にとって、今回の旅行は「学びの宝庫」でした
エジプト旅行の時、ノートを持参せずにとっても悔やまれたので、今回はB5のノートと書きやすい3色ボールペンを持参したのですが、最終日にトプカプ宮殿を出た時には、ノートは残り1ページになっていました、はっはっは 
  ここは、かなり大きくなって、ある程度学校で世界史を学んでから行ったほうが楽しめる国かもしれません。せっかくのガイドさんの各所での説明が「長いだけで鬱陶しいもの」と感じてしまうのは、あまりにももったいなくて、残念なように思います もし、まだまだ幼いお子さんとご一緒に出かける家族旅行ならば、私は別の国をお勧めする…かな

               

 ジュエリーマナーズ「サマージュエリーフェア 2019」のご案内

  7月27日(土) 午後 1 時 ~ 午後 6 時
   「ガレリア UCHIHARA 」地下2階ホール 東京都港区六本木7-2-7

 珍しく週末の設定です。ご都合が合えば、おいでになりませんか?

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日日の気づき

2019年06月20日 | その他

 最近、「歩く」ことを意識しています
50歳になったことを機に、トライアスロンに挑戦することを決めた11年前。宣言通り有言実行で、石垣島トライアスロンを完走して以来2年間で3レースに出て、2レースを完走しました あの頃は、まさに運動に「はまった」のでしたねえ・・・今思えば。
 中高でも運動部に所属していなかった私です。小学校1年生から、両親が所属していた山岳会の人達との北アルプス登山(中2の春、慕っていたおにいさんが遭難。滑落死という結果に終わり、それ以降、山に行くことを止めました)、スキー、テニス、ゴルフ、と、私が楽しんだスポーツはすべて「個人プレイ」ばかりです
 そんな中、トライアスロンは個人競技であるにも関わらず、主人と共に「チーム」に所属したおかげで、初めて「皆に応援され、支えられ、やり抜くスポーツ」を経験することが出来ました
 あれから10年、そんなすべてが思い出になりました。自分で勝手に「トライアスロンを卒業した」と決め、すっかり運動から遠ざかり・・・体型も元通り
 さすがに、このままでは問題あり、と一念発起をした昨年の秋、馬鹿げたことで右膝を痛め、治ったと思ってはまた痛み始め、なかなか完治はしません たぶん、もう「ランニング」をするまでには治らないのだろうなあ、と思います。
 でも、まわりのお親しいドクター達は「走る必要なんてまーったくないよ 歩けばいい、歩けば。健康的に速足のお散歩で十分」とおっしゃり、「歩けば歩くほど、保険料が安くなる」という保険の効果もあり、最近では「歩く、ウォーキング、散歩」にはまっています わざわざ歩く日もありますが、ほとんどは「ここは今日はバスには乗らずに、歩く」とか、「一駅手前で降りて、歩く」というような方法。難なく、楽しんで歩けます。気にして歩いていると、町のあちこちに「坂の名前とその由来」とか「その場所の説明」というようなものがたくさんあり、歩いていたからこそ知られることも少なくありません

 今日は、すでにバスで10分弱の息子のところまで歩いて、届け物をしました。20分程度、でしょうか。区立公園で咲き誇る「あじさい」群の横を通ったり、オフィスに急ぐ人々の様子を見たり・・・と、いろいろと感じ、考えて歩くのは楽しいです
 今朝は、途中でコンビニに入り、母が重宝しているコンビニブランドのメガネ拭きを購入。レジに向かうと、何とそこに立っていらしたのは、ゆうに70歳を超えているであろうおばあちゃま きっとそのコンビニのオーナーさんで、そこの地主さんなのでしょうね。日中は大抵レジは外国人の方ばかりで、おばあちゃまを見たのは初めてでした。今日は「ちょっとしたお手伝い」なのかな、と思いました
 「おはようございます」と言って、メガネ拭きを出すと、「ああ、これっていいわよね。私も便利に使ってるのよー。」と満面の笑顔で話してくださいました。その間も、しっかりと手は動いていましたので、後ろに並んでいる人に迷惑になるような長い時間ではありません。「ちょっとした、ひとこと」です。
 私は「あっ、これは大丈夫です。このままでいただきます!」とレジ袋をお返しすると、「あらそうなの、ありがとう!いってらっしゃい」の声。

 大事ですよね、こういうこと。
「知らない人に声をかけられても、返事をしちゃダメよ」と教えなければいけない物騒な世の中であることは確かです、残念なことに・・・
 でもね、そうではあっても、日ごろから人との「ちょっとした、ひとこと」「ちょっとした、会話」を大事にしてみませんか?意識して、こういうことをしてみる
 ご家族の判断で、「私達はいろいろな人の支えの中で生きている。私達は、人と関わりあいながら暮らしている」ということを感じ、そういうことに感謝できるような「知らない人、偶然関わった人との会話」をする、できる「人としての優しさ、広さ」を子どもに見てもらう、感じてもらう努力は、こういう時代だからこそ必要だと実感した出来事でした。

 帰宅し、購入したメガネ拭きを、いつも入れているブラスチックケースに移し替えました。再び、おばあちゃまの声と笑顔が思い出されました このストックを使いきるまで、私はこれを手に取るたびに、おばあちゃまのことを思い出し、ほーっと和むのだ思います

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サマースクールや短期留学について

2019年06月11日 | ためになるお話し

 「また一日、アップが遅れましたよー、先生
の声が聞こえてきますー ごめんなさい 急に思い立ち、昨日の早朝から大阪に一泊二日で帰省をしてきました。

 私は毎日、朝と夜、大阪で一人暮らしをしている母とメールをします 大事なことは電話で話したり、そのつどメールをしたりはしていますが、私としては一日の始まりと終わりに、88歳の母の無事を確認したい・・・母は私に「私は元気ですよ」と知らせたい・・・ということで、すでに15年以上、この習慣が続いています。
  そして日曜日の夜、母からいつものようにメールが来ました。「これからお風呂に入ってきます。おやすみなさい。明日は、お父さんのお誕生日です。私一人でお祝いをします。お父さんは喜んできれるかしら。」というメールでした。 
 むー・・・考えてしまいました。そのメールを、一生懸命に時間をかけて打っている母の姿を想像し、母の気持ちを考えて・・・普段通りに「おやすみなさい」とは返事のメールを打てませんでした。
 父はすでに3年前の10月に亡くなっているのです。亡くなった人のお誕生日なのだから、サラリと読んでしまえば良い
 幸い、月曜日と火曜日には私の個人的な予定以外は大きな予定はなく、どなたかにご迷惑をおかけすることもない・・・夫も月曜日の早朝から出張の予定。
 ということで、結局は「二人でお父さんのお誕生日を祝いましょう明日の11時前には行きますよ。」の返事を打ちました。
 父は喜んでくれたかな?

 さてさて。
以前にも一度、ご紹介をしたことがあるのですが、今日またあらためて。 
 みなさんに「(株)海外教育研究所」 http://www.kaigaikyoiku.jp/ をご紹介します
世界はどんどんと狭くなり、今では私立の小学校のみならず、外国語教育に力を入れる時代になりました。私自身も小学校2年生から英語を習い始めました。昭和40年だったことを思えば、私の父はかなり進んだ考えを持っていた人かもしれませんね。実際に、私が本当に自分自身で英語の必要性を通過したのは高校1年の時だったので、7歳からの9年間は「準備体操のような期間」だったとは思いますが、今とは時代が違いますから・・・
  そして、大学生になった私が、英語での日常会話には困らなくなった頃から、アルバイトの一環として、海外のサマースクール、サマーキャンプへの添乗が始まりました。
 小学校3年生から高校2年生までの子ども達の「お世話係 兼 通訳」として、カリフォルニア州での子ども向けプログラムに参加していました 
 当時、私が参加していたサマーキャンプでは、ハイキングや乗馬、ボートでの川下り、スケート、クラフト等々、プログラムは盛りだくさん。当時は「若いおねえさん」の私でしたが、英語しか話せないアメリカ人のスタッフ達との毎日の暮らしの中で、子ども達が毎日、どんどん成長していくのを目の当たりにし、本当に感心したことを今でもよく覚えています この頃の経験が、幼児教室マナーズ開校への思いに繋がっています。

 ・・・と、話はすっかり横道に逸れてしまいましたが、是非ぜひ、一度、(株)海外教育研究所のホームページをご覧になってください 代表の方、そしてスタッフの方々と私とは古いお付き合いです 
 海外での経験や、短期留学等、たとえ期間は短いとしても、パパやママは大事なお子様を「千尋の谷に落とすような覚悟」を持ってお考えになることでしょう。そんな時、全く知らない、よくわからないところに手配やアドバイス等々、様々なことをお任せをするのは不安ではありませんか?
 大学生の留学や、社会人のインターンシップなど、こちらに関しては「エデュ・ジャパンhttps://www.edujapan.jp/ をご覧くださいね
 もし、ご連絡やお問い合わせをされる時には、幼児教室マナーズや、私の名前を必ずお伝えください

 語学力もさることながら、母国以外の国で、共に時間を過ごし、築いた人との絆・・・その国は、その時から「特別の国」になります 幸い、私の両親のおかげで、小さな頃から多くの経験をさせてもらいました。それらの国々は、どんなにニュースで日本との関係においてマイナスの報道が流れても、私にとっては「揺らぐことのない大切な国」。だって、そこには私の大切な人々が今も暮らしている国だから。

 私の経験から、声を大にして言います かわいい子には旅をさせよ、です 

 

 

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