来月8月の後半に、ブログのお引越しを予定しています。それに伴い、いろいろと考えていて…
ということで、今日は7月30日のトピックとして、この「表情って大事ですね」をアップすると共に、他に3つ、「ジュエリー・マナーズについて」「ライフ・マナーズについて」「お子様の留学をお考えになったら…」の3項目も一緒にアップします。
私のライフワークである「ジュエリー・マナーズ」と、私の経験に基づく提言「ライフ・マナーズ」、そして、お役に立ちたいという思いからの「お子様の留学をお考えになったら…」の3項目。時々、この3つに関連した話題になった時、みなさまから「え?それって何ですか?」とご質問があるので、今回、それぞれをお知らせする媒体として、ブログ項目として残します。
まずは、今日の「いつものブログ」から、スタート
「暑いですねえ」というのが、すっかり「こんにちは
」のあいさつになっています。「暑い」と言えば言うほど、その暑さを実感してしまいますし、繰り返して言ったところで涼しくなるわけもなく。にも関わらず、思わず口から出てしまう「暑いですねえ…」に、苦笑する毎日です
さて、今日の話題は「表情について」です。
私が「韓国ドラマが大好きだ」ということは、以前にお話をしたことはあったでしょうか?ドラマ好きだ、というわけではありません
日本の番組で観るドラマは、NHKの大河ドラマと、内容によって、同じくNHKの朝ドラだけで、ほとんど他のドラマを観ることはありません。(そう言えば、半年ほど前には、珍しく夫と二人で『不適切にもほどがある』というドラマにハマったことがありましたが
)
そんな私が、どうして韓国ドラマはよく観るのか?
私は主にNetflixで韓国ドラマを観ているのですが… いや~、韓国のドラマは、ストーリーもよく作り込まれているなあ、と、大抵、どんなドラマを観ても思うのですよね 歴史的なシリアスなドラマも、犯罪物も、アクション物も、ラブコメディーも… ジャンルは違っても、どんなドラマも筋書きが本当に面白く、展開にワクワクします
頻繁に主人公が交通事故に遭いながらも、不死鳥のように短期で回復する、というお決まりのストーリーは笑えますが、それさえも陳腐だと呆れたり、腹を立てたりすることなく、次の展開に期待をしてしまいます
そんなことを思いながら、ジャンルを問わず、次から次へと観てしまうのですが… 最近、そんな韓国ドラマを観ていて、今さらながら気づいたことがありました
それは人の「表情について」。
何を観ようかな…と探していて、久しぶりに歴史ものを観ることにしました。日本でも、歴史もの、時代劇と言っても平安朝、鎌倉時代、戦国時代、江戸時代…といろいろあるように、それは韓国ドラマでも同じこと。4世紀から7世紀あたりまで、朝鮮半島の「三国時代(高句麗、新羅、百済)」と呼ばれる時代のものもあれば、14世紀以降の李朝の時代のものもあり、それぞれの時代によって衣装や髪型も大きく違い、とても興味深く、楽しめるのです
そして… 私はお気に入りの李朝の時代のドラマを観始めました。
そのドラマの主人公は、王の正式な後継者「世子(セジャ)」。演じるのは、若手の人気俳優Pさん。王にも、その世子にも、いろんなバックグラウンドがあって、権力を握ってはいるものの、世子は特に常に愁いを帯びた表情で、ほとんど笑うこともない… 話す時は毅然としていながらも、物静かで伏し目がち。Pさんは、その役を本当にすばらしく演じていたと思います
Pさんは有名な俳優さんです。なので、私がPさんを知ったのは、今回のドラマが初めてのことではなく、他のドラマでも何度も見たことはあったのですよ。けれど、歴史劇では世子や両班、現代劇でも医者や弁護士など、どちらかと言えば「お堅いイメージ」の役柄が多い俳優さんだったので、これらはすべてドラマだ!とわかりつつ、すっかり私の頭の中でのPさんは、「真面目で穏やか。教養豊かな知的な人」になっていました。
何と言うのでしょうか… テレビで週に1回放映されるドラマだと、当然、次の回までに1週間、自分の普通の暮らしを営んでいるので、ドラマの中への没入感は低いですが、Netflixやアマゾンプライム等でドラマを観る場合は、週末の夜だったり、お教室がなくなった今では、時間が許す時には「2話続けて観る」なんてこともあり…
その上、韓国のドラマは、1話が1時間半という長いものもあったりして、どんどん、ドラマのイメージは私の脳に
刻まれていきました、ハッハッハ。
そして、16話でめでたくそのドラマが完結し、「さあて、次は何を観ようかな…」と思案。何となく「Pさん」で検索し、彼が主役の現代劇、中でも私が滅多に選ばないラブコメディーを選び、観始めると… Pさんは大爆笑し、はしゃいだり、おどけたり。時には変顔をし、騒いだり、大泣きもする
私はすっかりキツネにつままれた思いで… あの「物静かな世子(セジャ)は、いずこ
」
そりゃあそうですよね 実力派の俳優さんなのですから、どんな役でもその人に成りきり、しっかり感情移入、演じるのは当然と言えば当然です。でもね、そういうことではなく、私がその時には感じたことは「こうも人は、表情によって、こんなにも人柄が違って見えるのだ
」ということ、でした。
私は、よくみなさんから「先生の笑顔が素敵です」と言っていただきました。とてもありがたいことです
でも、私はそれほど努力をしてその笑顔の表情をしているわけではありません。少々気に病むことがあっても、体調の悪いことがあっても「まどかちゃ~ん
」とか「松下さん(私の旧姓です)
」と呼ばれると、勝手に笑顔になって「は~い
」と振り返る…
基本的に私の通常の顔、通常の表情が「笑っている」「微笑んでいる」顔なのだと思うのです。
それは、私の育ち方も関係しているのだと思います。私は大阪で生まれ育ち、特に父が起業して以降は、大阪で言うところの「商売人の家の娘」になりました。
もう今ではそんなことは言われないのかもしれませんが、私が子どもの頃や独身の時代は、大阪では「笑顔千両」と言う言葉がありました。女の子の笑顔は千両にも値する、というほど、娘の笑顔は重要視されたのでした。そんな風潮の中で私は育ったわけです
また、幼い頃、祖母、叔父達、叔母と一緒の7人家族だった私は、子どもだからと我がままや気ままを許してもらえる環境ではありませんでした。暴君だった父の顔色を見て過ごす習慣も、母としっかり者の祖母、嫁と姑、小姑との間の緩衝材として陽気に暮らすことも、私にとっては必須でしたのでね
そんな私には、何年経っても忘れられない苦い、辛い思い出があります それは、娘との出来事。
小学校3年生だった娘は、あまり「柔らかい表情」をした子ではありませんでした。仏頂面というほどではありませんが、少なくとも『笑顔良し、と言われている私』の娘であるにも関わらず、私のような表情をしていない… 私はそんな娘を、正直、密かにちょっと不満に感じていたのでした。
その思いには伏線もあり… というのは、南坊の血筋の女性達は、総じてそういうタイプ。物事は、常に表裏、陰陽がありますからね。このことを悪く言うと「あまり柔らかい表情をしていない女性達」であり、良く言うと「凛として、聡明な空気を漂わせている」でしょうか いえいえ、不仲だったり、嫌っている、という意味ではありません
ただ、私とは大きく環境が違いましたのでねえ。
私は10年以上、「商売人の娘達」の通う一貫校で、「笑顔千両の風土」の中で育ちましたし、よく笑顔をほめていただいていたので、母親の我がままかもしれませんが、是非とも我が娘には、その私の「良い部分が似て欲しい」と強く強く思っていたわけです。
そしてある日、堪忍袋の緒が切れた状況がやってきて… 娘に対し、強い口調で言ったのでした。「あなたは、日頃から笑顔が少ないと思う。愛想が悪いと思われることは、決してプラスにはならない」と言うふうに。
すると… 娘はポロポロと涙をこぼし、「そこのことは、自分でも自覚してる、わかってる。でも、私はどうしてもママのようにはいかない。愛嬌のある女の子のように笑顔になろうとがんばっても、なかなかそうはなれない。ママのようになれないことを、ずっと残念だと感じていた」と。
私は、背後から不意打ちでガーンと殴られたような気分でした…
娘には、しっかりと自覚があったのです。私がそのことに気づいていなかっただけで、娘は、私が彼女に望んでいる「笑顔、愛嬌、愛想、etc.etc.」に関して重々承知をし、そのようにしようとずっと試みていた ところが、そんな思いとは裏腹に、なかなかそうはいかない自分に情けなさ、悔しさ、そんな思いを持っていた…
何とかわいそうなことを言ってしまったのだろう 涙を流す、10歳の娘を眺めました。猛省したところで、後悔先に立たず、覆水盆に返らず、です
年月が流れ… 一児の母となり、37歳になった娘は今、母として妻として、社会人としても、とても明るくよく笑う、「愛想の良い人」と言われるタイプになっています。
「私はなかなか笑顔になれない」と嘆いたあの10歳だった娘が、今の雰囲気に変貌していった過程… 様々な出来事や経験があり、そのつど感じ、考える… そんなことがたくさん、たくさんあったのでしょう。そして、喜んだり、悲しんだり、努力をしたり、反省をしたり… 母親ではあっても、それらがどんなことであったのか?は想像もつきません。
私はね、愛想良しになった娘を自慢したくてこの思い出を書いたのではありませんよ あくまでも、ある母と娘の出来事としてお伝えし、それぞれに、もし何か感じることがあれば、お役にたてていただければ…と思っています
先ほども書きましたが、私は小さな頃から育った環境の元、笑顔でいるための努力をした記憶もなく、いつも笑顔が習慣になっているお気楽さんです なかなか、そういうことは稀なのだとすれば、多くの人達は「柔らかい表情で人と相対する努力や訓練」をされるのだと思います。
ただ、私はやっぱり思うのです。硬い表情より、やはり柔らかい表情のほうが、そこにいる人を和ませると
ある特別な状況にいる人が、人の笑顔に苛立つ、ということはあるかもしれません。自分はこんなに困難を抱えているのに、幸せそうにお気楽に笑顔を見せるなと。けれど、ほとんどの状況下では、人の笑顔は相手をホッとさせるのではないでしょうか?
表情によって、その人の人柄や人格を云々され、それが評価であったり、価値判断であったり、なにらかの意味を持つのであれば、日頃の表情について考え、時にはちょっとした精進や努力も必要かもしれません。そんなふうに思いました