クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

娘の子育てで気づくこと、いろいろ

2022年06月30日 | ためになるお話し

 孫が生まれてから、そろそろ2ヶ月になろうとしています
最初の1ケ月は、頻繁に娘の家に行き、孫の世話というよりは、食事の支度を中心に助っ人として手伝いました それ以降は、週に3回程度、でしょうか。
 産後2ケ月以内ではありますが、もともと、娘夫婦は引っ越しすることが決まっていました。その引っ越しも無事に先週末に引っ越しも終え、私としてもホッと一息です 助っ人は、この2ケ月、たくさんの活躍の場を与えてもらいました、はっはっは

 娘は正直、人並み以下の苦労で子育てをしています。本人も重々それを認識しています。そういう子育てをしている娘を客観的に見ている私には、「なぜそうなのか?」がいろいろと見えてきます。
 孫が手のかからない子である、というよりも、手のかからない子育て方法を徹底して実践している・・・信念を持って、自分の信じる子育て方法を貫こうとしていることで、結果的に「比較的、楽な子育てになっている」ということなのだと感じています
 娘が信奉する?!子育て方法については、また別の機会にお話をすることとして・・・
私は、この2ケ月間で、いろいろと見えてきたこと、気づいたこと、考えさせられたことが山ほどあり、本当に充実した濃い毎日を送っているなあ、と感じ、それをとてもありがたく思います

 今は、何でもインターネットで調べ、インターネットでつながり、インターネットで癒される時代です。同じ大事に取り組み、苦労をしている人達とインターネットでつながり、苦労を共感することによって、その苦労や疲労感を軽減させている・・・すばらしいですね
 でも、不思議なことに、誰かが苦労をしている、ということを知ると、「ああ、同じ苦労をしてる人がいるんだな、私だけじゃないんだ」という安堵を覚えながらも、時には「でも、私のほうがもっと大変よー」と感じ、不思議にそのことによって傷つくのではなく、不思議な高揚感を覚えることもある???

 今は、多くの夫達も当然のように育児参加をしています。昭和の頃のように、「母は育児、父は仕事」という時代ではありません。
 しかし、妊娠の期間、出産を経て、子育てに突入する・・・やはりこれは女性だけが経験することで、多くの女性達は夫達や、世の中の男性達に対して「私は大変な思いをしたんだぞー」とアピールしたい気持ちが強く、育児が始まっても、対夫、対男性だけではなく、常に「私こそが大変なことをやっているんだ」という「苦労している思い」を糧にして(他に適切な言葉が見つかりません)、次なるエネルギーに変換している・・・ような気がしています。
 これは、子どもがもっと成長していっても同じことが起こっているように思うのです。「うちの子の方が、もっと大変」と思う負の思いを、決して「負」だけに留めず、時には自虐的なエネルギーに換えていく???

 いやいや・・・大変失礼なことを言っているのかもしれません。ごめんなさい でも、昔の私も含めて、母親達には、そういうところがあるのではないか?という気がしたのでした。

 日本全体が亜熱帯になったような暑さです
この「まいったー・・・」という思いを、少しだけでも癒していただける機会をご紹介させてくださいね

  サマージュエリーフェアのご案内 

   日時 : 7月16日(土) 午後1時30分 ~ 午後6時
   会場 : JPタワー KITTE 丸の内 5階 カンファレンスルーム B1

 キラキラパワーをもらって、この暑い夏を乗り切りませんか? 開催の日時にご都合がつけば、是非ぜひ会場においでくださいね。ご来訪の時間が決まれば、どうぞメールでお知らせください。楽しみにしております


 

 

 

 

 

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「気づく」ということ

2022年06月20日 | その他

 今朝、テレビを観ていて大笑いしたことがありました
いつもと何ら変わることなく、朝ごはんを主人と一緒に食べながら、NHKの朝のニュースを観ていた時のことです。主人がお馴染みの気象予報士のオネエサンが出てくると・・・
 「おっ髪、切りはったんやな。」と言ったのです。
 いやいや、びっくりです。私が美容室に行き、同じショートとは言え、かなりスタイルが変わっても、髪の色が奇抜になっても、ほとんど気の付かない主人なのに、気象予報士のオネエサンのカットには気づくんだあ ほんと、笑えました。実際、オネエサンには、それほどの大きな変化はなかったのですよ。妻や夫は空気のようだ、と昔から言いますが、まさにそうなんだなあと実感する出来事でした

 まあね、これは夫婦間での話なので「笑い話」で済むのです。
でも、これが夫婦ではなく、父と子、母と子、であれば、ちょっと悲しい・・・いえいえ、髪形のことを言っているのではありませんよ。子どもの変化、異変に「気づかない、気づけない」ということ。それは、大問題に発展する「小さな変化を見落とす」ということであったり、子どもの何らかの「異変をキャッチできない」ということであったり・・・
 いずれにしても、気づいていさえすれば、注意深く「見守ったり」、ちょっとした「声をかけたり」と、子どもの心に触れることができるのですよね

 日々の日常生活は、様々なルーティンの連続です。そこに、何らかの「違和感」「変化」「異変」をキャッチするのはたやすいことではありません
 それに、お仕事でトラブルを抱えていたり、大きなプロジェクトに気持ちがいっていたり、何かの特別があったとしたら、日常のルーティンはルーティン以外の何物でもない。
 でもね、どうぞどうぞ、このことを今一度、心に留めていただけませんか?
「今日の我が子は、もう二度とない」ということを。子どもは毎日、親から巣立つ日にむかって静かに一歩一歩、歩いている、ということを。
 他愛ないと思っている子どもとの食事の時間も、じつは、本当に尊い親子の時間なのです どうぞ、そのことを時々、思い出してくださいね

 

 

 

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乳児期のおもちゃについて

2022年06月10日 | ためになるお話し

 おもちゃについて、考えたことはおありでしょうか?
私の大学当時の夢は、「良い妻、良い母になること」でした どうしてわざわざ「」こんな絵文字を用いたのか、って?フフフ、今どき、そんな「良妻賢母」ということを「夢」として口に出すような女子大生はいないだろうな、と自虐的に思ったから、です まっ「」だって同じ事、ですね。「賢母」は今でも重要事項かもしれませんが、「良妻」などと口にすれば、嘲笑されてしまうかもしれません。
 おっと脱線。そんな話題で今日のトピックを綴るつもりではありません。
今日、敢えて書きたいのは「乳児期のおもちゃについて」なのです。

 さっき書いた通り、私は「良い母になること」が夢でしたので、妊娠中、ずっと「子どもが生まれたら、どんなおもちゃを与えようか?」「どんなおもちゃが、生まれたばかりの子どもにとって有効なのだろうか?」等々、真剣に考えていました。
 1980年代中ごろ、当然、その当時はインターネットなどありません。情報収集をするための場所は、もっぱら「大きな書店」でした。妊娠安定期に入ると、私は当時住んでいた千葉県流山市の近くにある、柏の書店に通いました。時には、千代田線に乗って都心に出て、より大きな本屋さんにいくこともありました
 もちろん、現在でもそうですが、本屋さんは知識と創造性の宝庫 育児書もたーくさんありました。不思議なことに、育児に関しえは「流行」もありますのでね。当時に注目を浴びていた子育ての本が、今は絶版になってしまっている、ということも不思議ではありません。

  さてさて。
40年近く前、妊娠中の私の目に留まったのが「おもちゃの本」でした
 『乳児期、幼児期の子ども達の「脳」に刺激を与え、後々、思考する時に好影響を与えるおもちゃ』
まさに、目からウロコでした。インターネットでの楽な通販などもない時代。デパートや専門店に電話をして、目指すおもちゃを扱っているどうかを確かめ、体調の良い日に買いに出かける・・・なかなか大変なことではありましたが、とっても楽しい時間でした
 流山の社宅はとっても狭くて、息子にとっては、少し大きめのベビーベッドの中が彼の世界でした。でもね、その小さな世界の中で、やっと寝返りが出来るようになった息子は、私が選んだいろいろなおもちゃで、よく遊んでくれました。握ったり、離したり、振ったり、触ったり、叩いたり・・・少し大きくなってお座りができるようになると、積んだり、入れたり、並べたり、転がしたり・・・
 見ている私のほうがワクワクしました ちっちゃな赤ちゃんではあっても、毎日、どんどん遊びが広がっていくのです。同じおもちゃを握っていても、違う握り方をしたり・・・
 並べてばかりいた行為が、ある日から積むようになったり・・・本当に脳が音を立てているような気さえしたものです

 そんな頃、私のお気に入りだったアメリカのおもちゃメーカー。私は孫に当時と同じものをと考え、探そうとしたところ、ほとんどのものは姿を消していました ブランド名は変わってはいないものの、どうも日本人家庭向けに、日本で生産されるようになったのでしょうね。今どきの人が好みそうな「英語で~~」のような、教材的なものばかりとなり、昔のような「脳の発達」を意識したものは激減。
 幸いにも、ヨーロッパからのおもちゃは、以前と変わらないものも多く残っていましたが、やっぱり、私としては残念でなりませんでした

 「前倒し」「先取り」の教育というものは、親の自己満足・・・と私には思えてなりません。いずれ適切な年齢になれば、必ず学ぶものなのであれば、わざわざ先取りしなくても、適切な時期に学べばよい 二人の我が子を育て上げ、孫を持つ年齢になった私は、確信を持ってそう言います。
 特に乳幼児期は、人より少し早い時期に何かをさせたり、普段の暮らしの中では使うことのない10個の外国語の単語を覚えるよりも、「手先を動かし、楽しむ時間」や「自分で工夫をする力」、「感じ、考える時間」が子どもの脳の成長に、とっても大事なことである、ということを知って欲しいなあ、と思うのです 幼児期だからこそ、大切な自己表現の手段である母国語、日本語の語彙を増やすよう、親が率先して正しい日本語を話し、教えてあげることも重要です。

 たかがおもちゃ、されどおもちゃ、です。
いずれ現代を生きる子ども達は、高度な技術を駆使した世界に誇る日本の新しい宝「ゲーム」をするようになっていきます。だからこそ、その年齢になるまでの時期、今の時代を生きるお父さん、お母さん達には、是非とも「良いおもちゃ」を選び、与え、我が事一緒に様々な工夫をしながら、遊ぶ幸せを感じられれば良いなあ・・・と、心底願っています

 

 

 

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