クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

選手達が「楽しむ」オリンピック

2021年07月30日 | その他

 テレビから聞こえてくる「日本、〇メダル」の声。自国開催とは言え、本当にたくさんのメダルを取っている大会だと思います。オリンピックが始まってからは、朝一番にすることは、お仏壇にお水、お灯明、お線香…とこれは変わらないものの、その後はテレビをつけ、すぐにリモコンで「テレビの番組表」を見ること。在宅の日は、観る競技の決め、観たいものがかぶっている時には録画予約。
 そして、夜は主人と二人で賑やかに観戦。毎日、仕事の前に2000m泳ぐ主人にとって、競泳は一番力の入る競技です。でも、今回は「自分達の好きな競技を観る」というだけではなく、今まで馴染みのなかった競技でも、少しルールを知ることによって、本当に興味津々で観戦、楽しめることをあらためて実感しています

 1つ前がリオデジャネイロ、2つ前がロンドン、その前が北京。じつは、私はこの北京オリンピックあたりから、感じ始めていたことがあります。それは、選手達がよく口にする「このオリンピックを楽しみたいと思います」という言葉。「む?楽しむの?」

 1964年の東京オリンピック以来、私が思っていたオリンピックとは、「日の丸を背負い、悲壮な思いと責任を感じて競技に臨む」というもの。楽しむなんて、とんでもない・・・
 円谷幸吉さんが東京オリンピックで勝てず、次のメキシコシティー大会こそと期待を寄せられ、その重責ゆえに自ら命を絶ったこと。小学生だった私にも、このことは本当にショッキングな出来事でした 
 オリンピックとは、そういう「責任を感じて臨むもの」と無意識のうちに感じていたのです。そんな私にとって、インタビューを受けた選手達が、笑顔で「楽しみます」「楽しみたい」という言葉には大きな違和感を感じたものでした。

 その北京オリンピックから13年という年月が流れ、世界的にも世の中の意識がどんどんと変わってきていることを感じます。
 そして、2021年。このコロナ禍で開催されているオリンピックに出場している選手達。マイクを向けられた選手達のすべてが語る「感謝」の思い。
 昔の私は、「一生懸命にがんばることは、辛くて苦しいこと、でなければならない」と思っていたのですねえ・・・日の丸を背負うのだから・・・と。
 でも 今まで辛く苦しい練習を繰り返し、繰り返し、やってきたからこそ手に入れたオリンピック出場。努力の集大成となるオリンピック出場だからこそ、十分にその時間を大切にし、楽しまなくてはあまりに残念。
 選手達ががんばる、ということは当たり前のこと。多くの人々の期待と応援を受け、今までの練習の成果をぶつける。その結果としてメダルがついてくれば、こんなにステキなことはない

 こういう選手達だからこそ、心の底からまわりへの感謝の思いが湧いてくるのだな、と初めて気づいたのでした

 まだまだオリンピックは続きます まだまだ私は毎日、大忙しです

 

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オリンピックのために祈りましょう!

2021年07月20日 | みなさまにお願い

 コロナ太りはピークを迎え、このままではあちこち、身体に不具合が出てきてしまう・・・と真面目に自分を戒める思いになりました
 14年前、60歳になった時、記念として何かを始めようとトライアスロンのレースにエントリー。ちょうど、エントリーをした頃、今の私と同じくらいの体重でした。そこで、一念発起した私は、ありとあらゆる手を尽くし、1年半かけて20キロの減量に成功。アスリート体型を手に入れ、3レースに出場
 そして、それから11年かけて、じっくりと、じわじわ、元の体重に戻ったというわけです、はっはっは。この年齢では、今の体重は笑い事ではありません。病気の予備軍になってしまいます 4年前に両方の膝を痛めたこともあり、今度は、何の志もありませんが、とにかく健康のために少しは体重を落とさなければ・・・

 そんな思いで、日曜日、一念発起してウォーキングに出かけました
最初は、近くの公園の周回コースをぐるぐると回る予定でしたが、もう少し足を延ばし、国立競技場の周辺を見に行ってみよう、と思い、途中からはコースを変えて歩きました。
 青山通りに出たとたん、朝7時半だというのに、おまわりさんがわんさか、でね。絵画館前のイチョウ並木は車両通行止めになっていて、通りは警察車両の駐車スペースになっていました。日曜日は、群馬県警と広島県警。今日の朝は、栃木県警と福岡県警のおまわりさん達が警らの担当になっていたらしく・・・ 走ったり、歩いたりしている人の数よりも、ずっと多い警察官が立っていたように思います。当然と言えば当然ですが、国立競技場は遠望するだけで、いつものようには近くには歩いていくことは出来ません。
 私はこの数年間、国立競技場が出来ていくことをとても楽しみにして、眺めていたのです。そしてやっと完成。木をたくさん使った、素晴らしい競技場が出来上がった時、あらためて「ああ、ここで東京オリンピックが開催されるんだなあ・・・」と、ワクワクしたものです。
 ところが、あれよあれよという間に、新型コロナウイルスが世界に広がりました

 本来ならば、多くの人達に拍手と歓声で眺められるはずの国立競技場。今は、人が立ち寄ることも出来ず、ただただたくさんの警察官と警備の人達に守られ、静かに立っている・・・

 1964年10月10日。小学校1年生の私は、日本選手団と同じ赤のジャケットと白のスカートを履いて、テレビの前で行進 見たこともない民族衣装に身を包んだアフリカの国々の選手が、旗手一人、関係者一人、という行進。とにかく、世界のあちこちから集まった選手達にテレビの前で拍手を送り、一生懸命に国の名前を覚えようともしました
 「チェコスロバキアのチャスラフスカ」は、私にとっての「すごい国のすごい人」でした。スポーツ好きの両親でしたので、とにかく、いろいろな競技をテレビ観戦したものです。
 そして、閉会式、暗くなった会場に映し出された「メキシコシティ―で会いましょう」の文字。「ああ、オリンピックは終わるんだ・・・」と、私はボロボロと涙を流して泣いたことを今でもよく覚えています。

 確かに、問題は山積。本当にこんな状況の中でオリンピックをして良いのか?そんな疑問は、正直、誰もが持っていることなのではないか、と密かに感じています。
 それでも、もう「する」ことになったのです。選手村には世界中から多くの選手達が集まってきています。今は、それが必須で大切な事とは言え、目先のことを、ある意味、近視眼的に必死に考えている私達ではありますが、間違いなく、今の私はそうであるように、この東京2020の一瞬一瞬の思い出を、50数年後に思い出し、感動をよみがえらせる・・・という幼い子ども達がたーくさんいます その子達のために、私達は日本人として、このオリンピックを成功に導かなくてはなりません。
  テレビの前で観戦し、気持ちを盛り上げ、静かな青い炎を燃やして、無事を、成功を、ずっとずっと祈らなくては・・・

 明日の朝も、孤独にひっそりと建っているように見える国立競技場を遠くから見て、エールを送るため、ウォーキングに行こうと思います

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これからの子ども達

2021年07月10日 | ためになるお話し

 つい先日、ある若い夫婦と一緒に昼食をしました
このご時世ですから、家族以外との食事は控えてはいるのですが、今回は特別。その夫婦の奥様(Hさん、としましょう)が、来月、アメリカに出発するから、なのです
 結婚から3年弱。夫婦共に商社勤務ですが、じつはHさんには夢があり、それを実現するために留学をすることになったのです。難関、狭き門を突破しての大学院への留学で、Hさんのご主人(Yさん、としましょう)は一番の夢実現の理解者。Hさんの留学中は、2年間、別れて暮らすことになります。
 そのYさんにも夢があり、現在は準備中 いずれ、YさんもHさん同様、商社を退社し、夢実現のため、留学をすることになると思います。
 二人とも、そろそろ30代半ば。彼らのまわりのカップル達は子どもをもうけ、「一家」として暮らし、子どもの将来を「両親」として語る人達が多くいます。そんな中にあって、HさんYさん夫妻は、敢えて「夫婦2人での人生」を選択し、自分達の夢を語り、それに向かって日々努力精進をしています

 ちょうど1か月前の6月10日のクラブマナーズ・ニュースでは、「良妻賢母を目指していた私」というブログをアップしました。あれを読まれて「ウフフ」と笑われた方・・・「へえ~、知らなかったなあ」と驚かれた方・・・「良妻賢母 そんなもん、今どき、死語ですよ、先生」と呆れられた方・・・
 いずれにしても、そんな私からすると、HさんYさん夫妻が「夫婦として」歩もうとしているの人生は、想像をはるかに超えた、びっくりの人生です これが3,4年前であれば、きっと私は壮行会を兼ねた食事の席で、皮肉の一つも言ってしまっていたかもしれません
 でも、幸いというのでしょうか・・・私の世界観?認識?見識?が広がったというか、「夫婦の様々な形態」を積極的に受け入れられるようになり、今は心底、HさんYさんが夢に向かって夫婦で歩む姿勢にエールを送り、自分に出来る応援は惜しまない、と考えています

 昭和の時代は遠くなりました。
結婚式で、お仲人さんが「二世誕生の吉報を待っています」などというようなスピーチが定番だったなんて、今では信じがたいことでしょうね。子どもを持つも持たないも、その夫婦の考え方、生き方次第です。


 パパ、ママとなっているみなさん 今はまだまだ小さいお子様達、若いお子様達も、いずれは親元を巣立つ日がやってきて、独立していきます。その時、いまのみなさんと同じ人生を歩むかどうかは、不明ですよ
 ついつい親は、自分が歩んできた人生をスタンダードとして考えてしまう傾向にあります。否、「たとえ我が子であっても、別人格だ!」と重々認識していても、何か事が起こると、そういう広い見識は鈍ることがあるものです

 子ども達が、少しずつ成長してきたならば、是非ぜひ、子どもの人生にばかり思いを寄せるのではなく、むしろ「子どもが巣立った後の自分の人生」のことを考えることを楽しみとしてくださいね 人生の先輩として、みなさんへアドバイス

 

 

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