テレビから聞こえてくる「日本、〇メダル」の声。自国開催とは言え、本当にたくさんのメダルを取っている大会だと思います。オリンピックが始まってからは、朝一番にすることは、お仏壇にお水、お灯明、お線香…とこれは変わらないものの、その後はテレビをつけ、すぐにリモコンで「テレビの番組表」を見ること。在宅の日は、観る競技の決め、観たいものがかぶっている時には録画予約。
そして、夜は主人と二人で賑やかに観戦。毎日、仕事の前に2000m泳ぐ主人にとって、競泳は一番力の入る競技です。でも、今回は「自分達の好きな競技を観る」というだけではなく、今まで馴染みのなかった競技でも、少しルールを知ることによって、本当に興味津々で観戦、楽しめることをあらためて実感しています
1つ前がリオデジャネイロ、2つ前がロンドン、その前が北京。じつは、私はこの北京オリンピックあたりから、感じ始めていたことがあります。それは、選手達がよく口にする「このオリンピックを楽しみたいと思います」という言葉。「む?楽しむの?」
1964年の東京オリンピック以来、私が思っていたオリンピックとは、「日の丸を背負い、悲壮な思いと責任を感じて競技に臨む」というもの。楽しむなんて、とんでもない・・・
円谷幸吉さんが東京オリンピックで勝てず、次のメキシコシティー大会こそと期待を寄せられ、その重責ゆえに自ら命を絶ったこと。小学生だった私にも、このことは本当にショッキングな出来事でした
オリンピックとは、そういう「責任を感じて臨むもの」と無意識のうちに感じていたのです。そんな私にとって、インタビューを受けた選手達が、笑顔で「楽しみます」「楽しみたい」という言葉には大きな違和感を感じたものでした。
その北京オリンピックから13年という年月が流れ、世界的にも世の中の意識がどんどんと変わってきていることを感じます。
そして、2021年。このコロナ禍で開催されているオリンピックに出場している選手達。マイクを向けられた選手達のすべてが語る「感謝」の思い。
昔の私は、「一生懸命にがんばることは、辛くて苦しいこと、でなければならない」と思っていたのですねえ・・・日の丸を背負うのだから・・・と。
でも 今まで辛く苦しい練習を繰り返し、繰り返し、やってきたからこそ手に入れたオリンピック出場。努力の集大成となるオリンピック出場だからこそ、十分にその時間を大切にし、楽しまなくてはあまりに残念。
選手達ががんばる、ということは当たり前のこと。多くの人々の期待と応援を受け、今までの練習の成果をぶつける。その結果としてメダルがついてくれば、こんなにステキなことはない
こういう選手達だからこそ、心の底からまわりへの感謝の思いが湧いてくるのだな、と初めて気づいたのでした
まだまだオリンピックは続きます まだまだ私は毎日、大忙しです