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クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

旅行中、です(*^_^*)

2025年05月30日 | 楽しいお話し

 5月30日… ついこの間、GWが終わった~と思っていたら、あっという間に6月も目前です。ここ数年は、この「あっという間に」という感覚ばかりに襲われます「あっという間にお正月が終わり、もう節分です」とか、「ついこの前までは桜の開花を待っていたのに、あっという間につつじが満開の季節です」や、「梅雨入りが早いなあ、と思っていたら、あっという間に猛暑の季節の到来」等々。こんな風に、またたく間に1年が過ぎてしまう… どんどん歳をとってしまいます~

 さて、もしみなさんがこのブログをタイムリーに、5月30日に開いてくださったとしたら… その30日、じつは私は「クロアチア旅行」の最中です。
 正確には、30日はクロアチアではなく、クロアチアの北西にある国、スロベニアの首都「リュブリャナ」という町を巡っています
 コロナ禍の数年間がやってくる前、スロベニア、クロアチアは、海外旅行好きの中でも「渋めのテイスト」を持った人達の人気の渡航地となりました。ヨーロッパと一口に言っても非常に広い地域ではありますが、その中でも、イタリアやフランス、スペインという国々とは一味違った人気、とでも言うのでしょうか…
 クロアチアもスロベニアも、旧ユーゴスラビアの中の国でした。旧ユーゴスラビア「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」というのが正式名称で、この国名が示すように「連邦」国家でした。もともと信仰や言語共に違うものを持った人々、地域が、社会主義の旗印のもと、1国となっていたわけですが、1991年の6月、比較的、西・中ヨーロッパに近い文化を持っていたスロベニアが独立。その後、長い長い紛争の時期を経て、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェコビナ、コソボ、モンテネグロ、北マケドニアという、独立国となりました。とは言え、実際には、まだまだ火種を抱えた国々もあり… こういう、なかなか一筋縄ではいかないものを考えると、お気楽な旅行は出来ないのですが、決して言い訳ではなく、まずは「知る」という意味でも訪れ、見て、聞いて、学んできたいと思います
 旅行を決めると、私は必ず最低限「知っておくべきこと」として、訪問する国の歴史や文化について、少しだけ勉強をしていくようにしていますが、旧ユーゴスラビアに関する問題は、簡単に理解しえることではないな、と実感しています。

 5月31日には、クロアチアのザグレブに移動します 帰国したら、また、少しだけでも紀行文的にお話をさせていただきますね

 

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ちょっとした「目からウロコ」のおはなし

2025年05月20日 | 楽しいお話し

 以前も書いたことがあるかもしれません。私が長年、お世話になっている美容師さんのことを
Iさんのお世話になりはじめたのは、今から30年ほど前。その後、独立をされて元町にお店を構えられました 一時は、私だけではなく、息子、娘、そして、夫まで通っていた時期があったものです。

 私がIさんのところに通うのは、美容師さんとしての様々な技術もさることながら、美容に関わらず、どんな分野の話題になっても、いつも「しっかりとご自分のお考えをお持ちで、それを整理して、はっきりとお話をしてくださる」というお人柄に魅せられて、というのでしょうか よく、昔、テレビドラマを観ていたりすると、美容院のシーンでは、お客に「ええ、ええ、そうですよね」のように、話しを合せている美容師さんが描かれていましたよね。確かに、美容師さんはいろいろなお客様と接する職業なので、当たり障りなく、他愛のないその場限りのお話をして「ありがとうございました」と技術を提供することが大事なお仕事なのかもしれませんが、誰に対してもどうだとすれば、それではあまりに味気ない
  Iさんとの時間は、骨太な時間というのでしょうか… 楽しみなんですよね
 それこそ、息子が高校卒業後、3年間の引きこもりをした期間のこと。毎日、自分の部屋で新聞各紙を読み漁り、どこにも出かけなかった息子なのに、月の1度の「美容室」だけはしっかりと予約を入れ、時には差し入れの手土産なども持ち、必ず出かけていました。その時の美容師さんも「Iさん」なのです。きっと、あの当時の息子も、Iさんとの時間が「世の中との接点」のような、イキイキとしたものだったのだろうなあ…と、毎月、美容室の帰り道、そんなことを思い出したりもします。
 Iさんのご趣味は「海釣り」。マグロなどの超大物から小さなムギイカまで、釣られるものはいろいろですが、どうやらその道では「知る人ぞ知る方」らしいです。
 毎月、そんな釣りのお話も聞かせていただきますが、カットやカラーの間、話すことは多種多様。いやー、本当に有意義な時間なのです

 そんなIさんとの会話の中で、最近、2人で妙に「納得」し、「うんうん」と目からウロコの気分になったことがあります。
 その日、ひとしきり釣りのお話をお聞きした後、AIの話題になっていました。その時にIさんがおっしゃったのです。
 「世の中では、こんな風にAIの技術がどんどん進み、何でもかんでもAIがやってくれるようになると、『そのうち、人間は何もしなくてもよくなるのではないか?』などと、したり顔で言い、将来を危惧しているような学者が評論家のような人がいるでしょう?でもね、僕は思うんですよ きっと、そんなことは絶対にないって どんなにいろんな技術が進んでも、人間にはいつまでも「すること」「しないといけないこと」「おぼえないといけないこと」などがたくさんあって、AI技術がどんなに進もうが、人間が何もしなくて良いなんて日、なんてものは、絶対に来ない、ってね。そんな風に僕は確信してるんだすよね」と。

 私は、最初は「えっ???」という気分になりました。
なぜかって?だって、大抵、こういう技術の進歩の話しのオチというか、最後の〆は「だから 人間はどうなってしまうのでしょうねえ大丈夫なのでしょうか」という、少々不安げな「問いかけ」となり、そして、うんうん…本当だね…と終わるもの。それが自然な流れ、と感じていたからです。
 Iさんのように「そんな心配はない」「そうはならない」などと、話しを締めくくられるのを聞くのは初めてのように思えました。
 だから、その意見も、そんな感覚も、その時間も、ものすごく新鮮に感じました。

 すると、まるでオセロゲームの隅っこの色が裏返った時のように、と言うのでしょうか… 急に私の「なるほど… うん… 確かにね…」という方向に急に思考が動き出して、AIの技術がもっと進んだとしたら、本当に人間は楽になるのか?することがなくなるのか?」と考えてみました。
 そして私は、Iさんに、こんな話をしたのです
これは、まさに以前、まどか先生の『ママ達のおやつ』の中で書いたことがあった、そんな気がします。以下のようなことを、私は大真面目に、将来への危惧?として、書いた内容です

 「私の息子や娘が私立小学校に通っている頃には、今のような「Suica」や「PASMO」はありませんでした。彼らが持っていたのは、自宅の最寄駅から学校の最寄り駅までの電車の「定期券」。だから、彼らは、休日にお友達のところに遊びに行く時には、自分の定期を持ち、そして、必ず駅に到着すると、改札の前の券売機の上にある「大きな路線図と料金表」を見上げて、不足分の金額を確かめ、必要な金額の切符を券売機で買って、乗ったものです…」と。

 つまり、こういうことです。東横線の「菊名」から「九品仏」までの定期を持っていた娘は、等々力のSちゃんのところで遊ぶ日は、往路は等々力駅で改札を出る時、乗り越した不足分を精算するために精算機に自分の定期を入れ、財布からお金を出して、支払いました
 帰りは、券売機で、日頃使っている定期の区間外の「等々力から九品仏までの料金」の切符を券売機で買い、その切符で改札を通るわけ、ですね。そして、菊名駅の改札を出る時には、改札に切符を入れて、定期もタッチする?むー、すみません、このあたりはどうだったのか、ちょっと記憶にありません
 まあでもでも。とにかく今ならば、何も考えることなく、改札に「Suica」や「PASMO」定期券をタッチするだけで万事OK けれど、当時はそういう「定期券にデポジット機能のついたカード」のようなものはなかったので、そのつど、対応が必要だった、というわけです 私はそういうことを言いたかったわけです。
 だからこそ、私がそのブログを書いた時には、「昔の子達は、こんなややこしいことをクリアして、そのつど考え、クリアしていったのに、今の子ども達は『タッチだけ』で終わってしまいます。こんなことで良いのでしょうか???」のように問題を提議し、子ども達には『もっと考えさせましょう』『楽ばっかりしていては、バカになってしまうかもしれませんよ』と注意喚起をしたわけです。

 けれど… 今の子ども達は、ちっともバカになんてなっていませんよね?
そう、美容師のIさんがおっしゃったように、世の中では「次から次へと新しいことが生まれ、次から次へと新しいことを覚え、頭を働かせないといけないことが出てくる」のです。まさに、その通りです
 改札の前で路線図や料金表は見あげないけれど、もっと別の、昔にはなかったもので、必須になったことを覚え、それを使いこなせるように努力し、そんな一つ一つを上手くからめ、日常の暮らしに取り入れて生きていかなければならない
 確かに、家事全般でも、まさにその通りです。何でも便利になってはいるけれど、便利になったからこそ、新たな知識や知恵を必要としていることばかり。薪で火をおこして料理をする手間はなくなり、川で洗濯はしませんが、多機能のオーブンレンジも、全自動のドラム式の洗濯乾燥機も、しっかりと使いこなすのは至難の業、です。私に関しては、多少、加齢のせいで、徐々にあやしいところは出てはきますが、やっぱり技術の進化があったからといって、私を含め、世の中の家事をする人達もバカにはなっていません
 Iさんの言葉。いやいや。「目からウロコ」でした

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本のご紹介させてください!

2025年05月10日 | 楽しいお話し

 GWも終わり、いよいよ本格的に今期が始まるな…という気持ちになります
前ローマ教皇が亡くなられてから半月。新しい教皇が決まりました。2013年の教皇選挙、コンクラーベの時には、これほど日本で話題になったっけ?と思うほどの、想定外の盛り上がり ちょっと不思議な気がします

 新教皇になられたのは… コンクラーベの日程が発表された後、メディアで報じられた4名のイタリア人の枢機卿でもなく、アジア初の教皇となるか?と目されたフィリピンの枢機卿でも、アフリカからの枢機卿でもありませんでした。確かに「非ヨーロッパ人」ではありましたが、アメリカからの新教皇選出は、まさに予想外であり… 不謹慎をお許しいただくならば、私としては何とも「むー…そういう手できたか」という感あり、の決定でした。
 前回のブログでは、私は「世界のカトリック教徒は、13億人以上」という書き方をしましたが、実際には「約14億人」と表現するほうが正しいでしょうね。
 アメリカでトランプ大統領の就任以降、「いろいろ」揺れている世界です
人口約3億4年万人の大国アメリカのトップ、ドナルド・ジョン・トランプ大統領。かたや同じアメリカ人であり、約14億人の頂点に立ったロバート・フランシス・プレボスト枢機卿、いえいえ、すでに「レオ14世」ですね。新教皇は、改革派だった前フランシスコ教皇からの信頼も厚く、概ね、改革路線をとられるのではないか、と言われています。

 GWが終わった7日、私は「教皇選挙」を映画館で観てきました 平日のお昼ど真ん中だったのに、映画館はほぼ満席状態 この映画への関心もなることながら、奇しくも、実際のコンクラーベが日本時間、この日の深夜から始まるとあって、映画館の中にも「娯楽観」だけではない空気があった気がしたものです。
 映画を観終わり思ったこと。たくさんの「なるほど~ へえ~ お~」のある内容でありつつ、エンタテイメント性もあり、本当にとても良く仕上がった素晴らしい作品だったなあ、と。
 2019年の「2人のローマ教皇」という映画が、内容が濃くもありながらも、最後は涙の止まらない心温まる映画であったのに対し、今回の「教皇選挙」は、タイミングがあまりにピタリであったという奇跡もあり、最後の最後まで緊張感のまま、でした。

 実際の教皇選挙「コンクラーベ」が終わり、カトリック信者ではない私ではありますが、ヴァチカン、新ローマ教皇のお力もお借りして、世界が平和でありますように、世界中の人々が、一人でも多く心の平安のもとで暮らせるように、と心の底から願っています

 今日は一つ、みなさまにお知らせです
1冊の本を紹介させてください それは、角川書店からの新刊書「金魚すくいのように」という本です。
https://kadokawa.co.jp/product/322408000998/

https://x.com/sakakumo1101/status/1918291048578908170?s=53&t=d0NIV1PN1iITMuXVgqOTSA

 著者は、マナーズの卒業生である小林理央(こばやしりお)さん。
すでに社会人となり、昨年、大阪に転勤後、現在も大阪在住。歌人でもある理央さんにとって、この本は2作目で、1作目は「20÷3」(2019年に刊行)。こちらは、彼女が5歳から15歳までに詠んだ短歌集で、今回の「金魚すくいのように」は、高校から社会人1年目までに詠まれた短歌集です。
 りおちゃん(敢えて、そう呼ばせていただきます)は、母方のおばあちゃまの影響で、保育園生で短歌を詠みはじめ、中学3年生では「歌会始の儀」に選出され、宮中へ。この時、私はテレビにかじりつき、一生懸命に「りおちゃんだけ」を観ていました
 2019年には「第10回角川全国短歌大賞」。その他「NHK短歌年間大賞」など、多数の受賞があります。ピッカピカですよね。

 でもね、まさに私がりおちゃんを知った頃から、彼女はちょっとした「問題児」。
パパやママは、我が子を信じ、心から愛しながらも、なかなか厳しい保護者生活を送られたのでした…  学校に幾度となく足を運ばれ、そのつど、深々と頭を下げ… 時には「状況を思えば当然、です…」と心の中で思いつつも、先生方からの辛辣な、皮肉を込めた、悪意があるのでは?ともとれるような言葉の数々に、膝の上の手を震わせられました…

 そんな暮らしも、我が子が社会人になれば「過去の、泣き笑いをする思い出」となります 私は約20年間、ご両親とのお付き合いがありますが、本当に本当に,、本当によくがんばられたと思います 
 嫌味な言い方ですが、どちらかと言うと順風満帆の子育てをされ、学校からの呼び出しなんてされたことはない、というご両親にはわからない「独特の辛さ」ですよ、ほんと
 「金魚すくいのように」に載っている、社会人1年目に詠まれた短歌からも、彼女の苦しみや辛さ、悲しみは読み取れますが… とにかく、彼女は確かに学校生活を終え、今は自分の力で稼ぎ、生きています
 学校生活中は、当然、親は目の前の成績や何や、学校生活に関わることで一喜一憂するものです。当たり前ですね、それが「すべて」ですものね。でも、私自身も、波乱万丈の我が子の成長を見守ってきた経験から、最後の最後、人にとって最も大切なことは「自分の力で生きていくこと」だと思えてなりません
 学校時代、「常に成績優秀で、親の自慢の子どもだった人」が、様々な事情があるのだとは思いますが、学校生活が終わると、生活力がなく、自分一人では生きていけず、結果的にずっと親の脛をかじったままで暮らしている…という人もいる世の中です その反面、「学校時代には勉強嫌いで、実際、成績も全く芳しくなく、早々と学校生活に見切りをつけた人」であったとしても、その後は逞しく生き、しっかりと稼ぎ、自分の人生を謳歌している、という人もいる
 「生きる力」は、本当に重要ですね
 りおちゃんのお母様がつい先ごろ、おっしゃっていたこと。
『手を出しすぎてもダメ、出さなすぎてもダメ、親として何が悪かったのか、足りなかったのか、学校との板挟みもあり当時は相当辛かったです… でも、確かに今は何とかなってます」と。
 そして、「娘の学校時代をお伝えすることが、悩めるお父様、お母様の励ましに、少しでもお役に立てれば幸いです」と言って下さっています。
 我が子の「今」に悩んでいるパパママがおいでになるとしたら、私で良ければ、いつでも一緒に悩みます 愚痴もお聞きします。一人で悩んでいるのは、あまりにも残念です。人は誰しもガス抜きが必要ですからね。
 
 りおちゃんの新刊「金魚すくいのように」。そして、「20÷3」は、親としてもいろんな気づきがあります。そして同時に、あらためて「日本語」、言語の持つ力を、しみじみと実感する時間になっています

 

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