先日、ちょっと気になったことがありました
長年、横浜で暮らした私にとって「中華(料理)」は気軽なランチです。横浜の町のど真ん中に暮らしてはいなくとも、中華街まで電車でも車でも20分程度のところに暮らせば、中華料理ほど身近なものはありません。巷でよく言われるようになった「町中華」とも違い、中華街のお店で提供される700円、800円というランチは、本格的な中国料理でありながら手ごろなお値段
東京に暮らすようになって、一番懐かしいと思うのは、この「中華街のランチ」です。
我が家の近所に、リーゾナブルでおいしい中国料理店があります。
中華街ランチということでもありませんが、都心にありがちな「テーブルクロス+ジャスミン茶のポットサービス」という高級店でもなく、いつも近隣のワーカー達に人気です
コロナ全盛期は休業だったお店も、再び大繁盛。私は久しぶりにランチタイムに一人で出かけました。狭い店内ですのでね、お隣の席の様子はすぐにわかります。
私が食べ始めた頃、お隣のテーブルのワーカー達は、そろそろお食事の終わる頃でした。そして、私がフッとそちらの方を見た時のことです。2人連れのうちの年長のほうの方が、自分の食べた食器の中に、他の食器を重ね始めた?積み始めた?
むー・・・何というのでしょうか・・・お丼(確か、担々麺を食べていらっしゃったと思います)の中に、点心の小皿、その上にデザートの小鉢、そして、その上にお湯のみ。お丼の淵から、斜めに積みあがったお湯のみが見えていました・・・
あっという間にテーブルの上は片付きました。確かに、彼の前のスペースは広くなり、片づけにこられるお店の方は、そのお丼を持ちあげるだけで、すべて片付く・・・片付けるためのお盆も必要なく、一気に片付く状態になりました。
でもね、私はその時、妙に違和感を感じたのです
普段は、相手のことを思い、気遣う行為の出来る人を目にすると「ああ、この人は何と気に利く方だろう、ステキだな、私も見習おう」と感じるのですが、この時ばかりは「果たして、本当にこれは正しいのかな?」ととっても心がザワザワしたのでした
マナーズのクラスで、年長児クラスの子ども達に「あなたが毎日、欠かさずしているお手伝いは何ですか?」と尋ねた時、多くの子ども達は「お食事の前にお箸やお茶碗をテーブルに並べて、お食事後は、お台所に食べたお皿やお箸を持っていくことです」のように答えてくれます。
私は今まで、子ども達がこのように答えてくれた時、「それは良いお手伝いねえ。きっとお母さんも喜んでくださるでしょうね」と言っていたものですが、この「お皿積み上げワーカー」の行為を目にした時、急に心配になったのでした・・・
「お食事の後、お台所に食べたお皿を持って行くお手伝い」をしている子ども達は、いったい、どんなふうに食器の運んでいるのだろうか?
お店によっては、食器を重ねることを嫌われるところもあるでしょう。
お皿やお鉢の裏側のいとじりが、お皿の表面を傷つけることもあるでしょうし、食べ残しがあろうがなかろうが、食事の後の食器を重ねてしまうと、お皿の汚れが他の食器の裏側についてしまいます。やっぱり、そういうことに対して「平気」になってしまうことは、あまり良いことではないように思うのです・・・
確かに時代は移ろい、昔の常識、昔のご法度が「今はOK」ということも少なくありません でも、何事も「ちょっとかしこまった席」のことを覚えておくほうが、長じた時に恥をかかないで済むことも多いもの、です
私の母も、決してざっくばらんで非常識、というタイプではありませんでしたが、私のお姑さんは、こういう日常の「何てことない」と思えることに対し、とってもいろいろと教えてくれたものです ただ、単に「べき、べからず」を教えるということではなく、「こういう理由で、こうしたほうが良いわよ。こんな風に見えるから、こうしないほうが良いわね。」というように、つねに「なるほど」と思えることを教えてくれました。
そんな知恵袋を喪って2年になります。もう奥の手の「知恵袋」はないのだから、私も一人で頑張らなくてはなりません