クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

食器を重ねる?!

2021年11月30日 | その他

 先日、ちょっと気になったことがありました
長年、横浜で暮らした私にとって「中華(料理)」は気軽なランチです。横浜の町のど真ん中に暮らしてはいなくとも、中華街まで電車でも車でも20分程度のところに暮らせば、中華料理ほど身近なものはありません。巷でよく言われるようになった「町中華」とも違い、中華街のお店で提供される700円、800円というランチは、本格的な中国料理でありながら手ごろなお値段
 東京に暮らすようになって、一番懐かしいと思うのは、この「中華街のランチ」です。

 我が家の近所に、リーゾナブルでおいしい中国料理店があります。
中華街ランチということでもありませんが、都心にありがちな「テーブルクロス+ジャスミン茶のポットサービス」という高級店でもなく、いつも近隣のワーカー達に人気です
 コロナ全盛期は休業だったお店も、再び大繁盛。私は久しぶりにランチタイムに一人で出かけました。狭い店内ですのでね、お隣の席の様子はすぐにわかります。
 私が食べ始めた頃、お隣のテーブルのワーカー達は、そろそろお食事の終わる頃でした。そして、私がフッとそちらの方を見た時のことです。2人連れのうちの年長のほうの方が、自分の食べた食器の中に、他の食器を重ね始めた?積み始めた?
 むー・・・何というのでしょうか・・・お丼(確か、担々麺を食べていらっしゃったと思います)の中に、点心の小皿、その上にデザートの小鉢、そして、その上にお湯のみ。お丼の淵から、斜めに積みあがったお湯のみが見えていました・・・
 あっという間にテーブルの上は片付きました。確かに、彼の前のスペースは広くなり、片づけにこられるお店の方は、そのお丼を持ちあげるだけで、すべて片付く・・・片付けるためのお盆も必要なく、一気に片付く状態になりました。
 でもね、私はその時、妙に違和感を感じたのです
普段は、相手のことを思い、気遣う行為の出来る人を目にすると「ああ、この人は何と気に利く方だろう、ステキだな、私も見習おう」と感じるのですが、この時ばかりは「果たして、本当にこれは正しいのかな?」ととっても心がザワザワしたのでした

 マナーズのクラスで、年長児クラスの子ども達に「あなたが毎日、欠かさずしているお手伝いは何ですか?」と尋ねた時、多くの子ども達は「お食事の前にお箸やお茶碗をテーブルに並べて、お食事後は、お台所に食べたお皿やお箸を持っていくことです」のように答えてくれます。
 私は今まで、子ども達がこのように答えてくれた時、「それは良いお手伝いねえ。きっとお母さんも喜んでくださるでしょうね」と言っていたものですが、この「お皿積み上げワーカー」の行為を目にした時、急に心配になったのでした・・・

 「お食事の後、お台所に食べたお皿を持って行くお手伝い」をしている子ども達は、いったい、どんなふうに食器の運んでいるのだろうか?

 お店によっては、食器を重ねることを嫌われるところもあるでしょう。
お皿やお鉢の裏側のいとじりが、お皿の表面を傷つけることもあるでしょうし、食べ残しがあろうがなかろうが、食事の後の食器を重ねてしまうと、お皿の汚れが他の食器の裏側についてしまいます。やっぱり、そういうことに対して「平気」になってしまうことは、あまり良いことではないように思うのです・・・
 確かに時代は移ろい、昔の常識、昔のご法度が「今はOK」ということも少なくありません でも、何事も「ちょっとかしこまった席」のことを覚えておくほうが、長じた時に恥をかかないで済むことも多いもの、です

 私の母も、決してざっくばらんで非常識、というタイプではありませんでしたが、私のお姑さんは、こういう日常の「何てことない」と思えることに対し、とってもいろいろと教えてくれたものです ただ、単に「べき、べからず」を教えるということではなく、「こういう理由で、こうしたほうが良いわよ。こんな風に見えるから、こうしないほうが良いわね。」というように、つねに「なるほど」と思えることを教えてくれました。
 そんな知恵袋を喪って2年になります。もう奥の手の「知恵袋」はないのだから、私も一人で頑張らなくてはなりません

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新学期が始まりました

2021年11月21日 | 教室の近況報告

 2022年度の新学期が始まりました
新年長児クラスは、すでにスタートさせてはいたのですが、20日の土曜日、年中児クラスを開始。無事に初日を終えました。ホッとしております

 毎年、この時期の私は、複雑な気持ちを抱えながらの新学期。「大人と幼児」という組み合わせながら、しっかりと人間関係を築き、阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)と言っても過言ではないものを作り上げていた土曜日の年長児クラス。
 その子ども達が巣立っていきました。それぞれの子ども達の成長がうれしく、一人一人との時間をしばしば思い出してはニマニマ・・・
 けれど、プツリっと途絶えた子ども達との時間は、毎年、私にとっては本当に痛く辛いもので・・・何回繰り返されても、慣れることはありません
 そして、ご挨拶という形でお教室を訪れてくれる時には、ご両親もご一緒の時間であり、子ども達も今までと違う空気を察知し、緊張気味で落ち着かない その様子を見ながら、私はあらためて「もう二度と、子ども達と以前のような時間を過ごすことはないのだな・・・」と現実を痛感します。

 でも、たくさんのものを手にしようとするのは欲張り、ですよね
昨日、スタートした年中児クラス。子ども達は「ジュニアちゃん」です。お兄ちゃま、お姉ちゃまがおいでになった子ども達。教室に登場したことはなくとも、表情と様子に「さあ、今度はボクの番、わたしの番」と意気込みがムンムン。緊張感を漂わせながらも、明らかに前のめりに「初めての経験」を楽しんでくれていました
 新年長児も、顔を合わせる回数が増え、一気に親しさが増しています。年中児クラスの期間には、毎回、教室に入ってきた時には、リセットされた気持ちを盛り上げるようにがんばっていた様子がすっかり消え、すでに「通い、学ぶ楽しさ」を積み上げてくれていることを実感。確実に「年長児クラスの生徒」になってきています
 そう、新しいマナーズの1年が始まったのです・・・無事に巣立ってくれた子ども達、ご家庭に大きな大きな感謝の思いとエールを送り、新しく「まどかせんせ~い」と呼んでくれる子ども達との間に、また素敵な関係を築きます

 アップが一日遅れました ごめんなさい、失礼いたしましたとってもボケボケの理由を
 年中児クラスを開講し、とても気持ちよくスタート出来たことにホッ パソコンの前に座り、いろいろと思い出しながらレポートを書き上げ、主人の入れてくれたコーヒーを飲み、美味しいクッキーを1枚 そして、ソファーにドカッと座って、いつものようにソファーの背をグググっと倒して・・・
 気づいたら、爆睡 毛布は主人の思いやり。きっと声をかけられても、私は起きなかったのでしょう 時計は12時をまわり、さすがにその状態でパソコンに向かうのは諦め、ベッドへ。
 私も歳をとりましたねえ。マナーズ開校から28年。仕方がないか、はっはっは

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一周忌を迎えます

2021年11月10日 | その他

 早いものです。母が亡くなってから13日で一年になります。
母は、コロナを罹病して亡くなったわけではありませんが、新型コロナウイルスの感染流行が大きな要因となったことは否めません 
 母自身が望んだ、父が晩年を過ごした介護施設に入居し、一人暮らしの不安から解放されてホッとしたのも束の間。入居から10日目に大阪に緊急事態宣言が発令され、私は大阪に行くことが出来なくなりました。4月13日の母の89歳のお誕生日にも帰省は叶わず・・・ それ以降は「顔を合わせて楽しむ」というチャンスが突然奪われ、2ケ月が過ぎました。その後も、介護施設という特殊な環境のため、毎月の帰省は出来ず・・・母の施設への転居後、私が母に会えたのは5回だけ。
 そうこうしている間に、母は信じがたいことにどんどんと弱っていき、転居の時の溌溂とした容姿の見る影もなくなり、思考や記憶も時々混濁し、挙句には起き上がることさえままならなくなる
 人というものは、多少の不安や不満というような「マイナスのパワー」も生きる力なんだな、とあらためて実感したのは、母の変貌から、でした。
 母は、父の入居当時から馴染みがあったということもあり、介護施設で本当に大切にしていただき、「一人で頑張って毎日を生きていかなければいけない」という緊張と不安からも解放されました 本来ならば、そういう整った住環境に、私は今まで通りひと月に一度、2泊3日で帰省をし、おしゃべりをしたり、外食をしたりして、あと最低5年?は元気に暮らせたのではないか?
 娘や孫を自慢するのが大好きで得意だった母は、ご自慢の自室で「ねえ、ええでしょう?このソファも机も、オシャレな仏壇も、みーんな娘が考えて用意してくれましてんよ、ふふふ」と話し、他の入居者から「ちょっと嫌な奴」と思われたかもしれません、笑。
 その母ご自慢の居室。私が手間暇かけて整えた介護施設の一室は、今はそっくりそのままでその介護施設の「モデルルーム」になり、ありがたいことに母の死後もお役に立てていただいています

 この1年間、いろいろなことを考え・・・反省や後悔がたーくさん もうどうもできませんけれど 今度、私が「あの世」に行って、母と再会した時「お母さん、ごめんね」といっぱい言わなければいけません。

 4人の親達がすべて逝き、主人も私も「子」としての立場で考えたり、物を言ったりするこがなくなりました。主人と二人、「一応、責任は果たせたかなあ・・・」とよく話しますが、さてどうでしょうか。主人もやっぱり反省や後悔があるそうです

 母の命日が過ぎたら、今年は母も大好きだったクリスマスの飾りつけのことを考え始めようと思います コロナ禍にあって、納骨も済ませてられないままでの1年。来月早々には帰省して、やっと母の最愛の父と一緒に、またまたお墓で仲良くやすんでもらいます


 陰気な私の独り言をお聞きくださり、ありがとうございます。みなさまに感謝です

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