4月21日、「フランシスコ教皇」が亡くなられました ローマ教皇『Papa Francesco(パーパ フランチェスコ)』イタリア語ではそのように呼ばれます。
世界のカトリック教徒は、13億人以上。その信者はもとより、私のようなカトリック信者でもない多くの人々にも敬愛され、親しまれた方でした。大変失礼な表現で、信者の方々からはお叱りを受けるかもしれませんが… パーパ フランチェスコは、行く先々でどんな人に対してもとても親しく接される「すこぶるチャーミングなお方」だったと思います。あの満面の笑顔を思い出すたびに… とてもとても悲しくなります
フランシスコ教皇は、第266代の教皇として、2013年の3月から在位。本来、ローマ教皇は終身制ですが、一代前のベネディクト16世が体調不良を理由に、異例の辞任を表明。自らの意思で教皇を辞任するという退位は、1294年のケレスティヌス5世(日本では、チェレスティーノと表記されることもあり)以来、じつに700年ぶりのことでした。
266代目の教皇、ということでもわかるように、カトリック教会には長い長い歴史があります しかし、そんな中にあって、フランシスコ教皇は「南米から選ばれた初の教皇」でした。
在位されてすぐのニュースから、私はいかにも厳格な雰囲気を漂わせたドイツ出身の前教皇に対し、新教皇であるアルゼンチン出身のフランシスコ教皇には、非常に対照的な印象を持ったものでした
先にも書いたように、私はカトリック信者ではありません。でも、娘が14年間、カトリック校でお世話になったので、在学当時は様々なカトリックの行事のたびに、多少なりとも「その空気」を感じさせていただき、たくさん学ばせていただきましたが、卒業と共にそれもなくなりました。
そんな私が、フランシスコ教皇というよりも「Papa Francesco(パーパ フランチェスコ)」として、教皇様の死を悼むのには理由があります。
私が娘と二人で、ヴェネチアとローマに気ままな旅行をしたのが2014年の夏。若い頃に、結構あちこちに旅行した私でしたが、イタリアには縁がなく、それが初めての「イタリア」でした。私にとっての旅行は、いろいろと下調べをし、緻密な計画を立てるものですが、それとは対照的に、夫と娘は「気ままな、気まぐれな、その日の気分で行動する」というタイプ。
そんなこともあり、その時は全く「白紙の状態」でヴェネチアに到着。ローマで飛行機を乗り換え、ヴェネチアに着いたのはかなり遅い時間で… 予約していたお迎えのイタリア人に導かれ、訳も分からぬままにヴェネチアの空港から外に出て、暗い通路を通り、ボートに乗って海に出た時には、娘と二人、すっかりハテナ状態
長いフライトの疲れがなかったら、「空港から歩いて外に出て、暗い外を歩き海に出て、小さなボートに乗せられた」という状況だけで、すっかりビビッていたことでしょう
そんな私達の目の前に現れたのが、美しくライトアップされた大運河の入口にある「サルーテ教会」でした 真っ暗な海に突然、ぱっと現れた水色のドーム。その前を通り過ぎ、今度はいくつかの狭い水路に入り、ボートは止まりました。
さあどうぞ と水路からいきなり明るい建物に案内されて、陽気なフロントマンに歓迎してもらいチェックイン。「え?どういうこと?私達って、水路からホテルのロビーに入ったの、かな?」キツネにつままれたような感覚ながら、その夜はバタンキューでした
そして翌朝。前夜の記憶をたどり、ロビーを通り抜け、ボートで到着した水路に出て… 娘と二人で発した第一声は「わあお… す、す、すごい… まるでディズニーシーみたいだ…」
いやいや、何ともヴェネチアには失礼なことを思ったものです ディズニーシーがヴェネチアみたいなのであり、本家本元のヴェネチアの水路を前にして「まるでディズニーシーみたい」などと言った母子の失礼さ
この一連の出来事は、それから長い間、何度も何度も思い出しては笑う「楽しい楽しい旅の思い出、無知の大披露
」になりました。
まさに、自由気ままにヴェネチアで3日間過ごし、今度は電車でローマに移動 そして、翌日の早朝からサンピエトロ大聖堂へ向かいました。その当時は、フランシスコ教皇は在位されてから、まだ1年数か月。けれど、すでに人気はとても高く、親しみやすいお人柄は多くの人々から愛されているようで、ヴァチカン周辺のお土産屋さんやレストランでもよく話題に上り… それは驚きでもありました。
この旅行を機に、すっかりイタリアの大ファンになった私は「ああ、もう私は生涯、イタリア旅行しかしないと思う」とまで思ったほどで 帰国後、すぐにイタリア語を習い始め、九段下からほど近いイタリア文化会館というところにも頻繁に足を運び、予習復習にも余念がありませんでしたが… 残念ながら50代後半の脳ミソは、記憶の領域はかなり鈍っていたようで
その学習意欲とは裏腹に、なかなかイタリア語は脳に定着してくれませんでしたねえ、トホホです
でもね、私は家族や身近な人とイタリアの素晴らしさを共有したく、まだ存命だった母、夫、友人…と一緒に、それから何度もイタリアに行き、ローマを、ヴェチカンを訪れました
話を「Papa Francesco(パーパ フランチェスコ)」に戻しましょう
在位してまだ間もないこと、南米から初の教皇、人懐っこいお人柄、等々、イタリア語の学校でも、よく教皇様のことは話題に上りました。そこでも、ローマ教皇は「Papa Francesco(パーパ フランチェスコ)」でしたし、ローマに行き、ヴァチカンを訪ねる度に、お写真やカレンダー等々で触れる教皇様も「Papa Francesco(パーパ フランチェスコ)」でした。
そんなことから、私がよくよく耳にするのは「ローマ教皇」でも「フランシスコ教皇」でもなく、「Papa Francesco(パーパ フランチェスコ)」であったのです 恐れながら、Papa Francesco(パーパ フランチェスコ)は、遠いイタリアから常に私に微笑みを送り続けてくださった「パーパ」でした。私は勝手に、宗教、信仰という意味でのカトリックの域を超え?、「大きな愛」「人々への祈り」を常に注いでくださる方… そうおう思いを持ってローマ教皇であるPapa Francesco(パーパ フランチェスコ)を受け止めていました
(ちなみに。イタリア語で「お父さん、パパ」は、「papa」ですが、この時の発音は「パパ―」です。教皇様も、文字で表すと「papa」となるのですが、「パーパ」と発音します)
昨年からちょくちょく体調を壊され、養生をされているというニュースが流れるようになり、心を痛めていましたが、88歳という年齢を思えば、それも当然のことでしょう。
それでも、ついこの間の4月20日のイースターサンデーには、ヴェチカンのバルコニーにお姿を見せてくださり、代読という形ではあっても、全世界の人々に「平和の尊さ、重要性」を訴えられたパーパ。訃報は、なんと、その翌日のことでした…
奇しくも、昨年2024年、邦題「教皇選挙」という映画が公開されました この「教皇選挙」こそが、教皇の死去後、よく耳にする「コンクラーベ」と呼ばれるもの、です。今回、次の教皇を決定するため、世界中から枢機卿が集まり開催されるコンクラーベは、5月7日からと決まりました。
私は去年、この映画が公開された時、パーパフランチェスコのお歳を鑑み、なんだか嫌だなあ…と感じたものです
この映画云々はさておき、ローマ教皇をテーマにした映画は他にもありますよ。2019年に公開された「2人のローマ教皇(原題 The Two Popes)」という映画で、ネットフリックスで観ることができます。
コメディータッチに描かれている部分も多かったようにお記憶していますが、私は2時間、ほとんどの時間、涙を流していました それほど、いろいろな意味で感動する映画でした。
この映画、2人の教皇役をイギリスが誇る名優アンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライスが演じています まさに、前教皇ベネディクト16世と、他界されたフランシスコ教皇のお話です。実話をもとに描かれた心あたたまる素晴らしいストーリーであると同時に、あまり身近には感じていなかったアルゼンチンの近代史を学べたり、知ることは多いです。そして何より、システィーナ礼拝堂を含むヴァチカン内部の様子を見ることも出来る素晴らしい映画です
映画の中でも、お二人が、素晴らしいローマ教皇の夏の離宮のお庭を散策する様子(この贅沢な離宮は、フランシスコ教皇の即位後は、多くの部分が一般人が見学可能な博物館等になりました)や、ピアノを弾き、音楽を楽しむご様子など、仲睦まじく話される様子が描かれていました。お二人は聖職者としては全く相容れないお考えが多かったものの、老名優のお二人が、見事に味のある、見ているだけで泣けてくるような素晴らしい姿を演じられました
そんな場面を思い出し… 前教皇ベネディクト16世と、他界されたフランシスコ教皇お二人が今頃、天国でどんなお話をなさっているのかな… などと考え、また泣けてしまいます…
このゴールデンワークに、もう一度、ゆっくりと見返してみるつもりです