クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

〇〇くん、〇〇ちゃんの桜は元気ですか?

2024年03月30日 | 楽しいお話し

 今年は3月に入ると、あっという間に桜が咲くのでは?という予想を見事に裏切り、寒の戻りや菜種梅雨と、すっかり「素敵な日本語」を実感する天候のおかげで、例年よりも10日ほど遅い開花となりました 満開は、4月4日くらいになるとのこと。まさに、入学式シーズンの頃なのでしょう。

 みなさんは、「〇〇くんの桜」「〇〇ちゃんの桜」のことを覚えていらっしゃいますか?
お子様達がマナーズに通ってくださっている年、私は3月中旬になると「お家から近くて、毎日見ることが出来る桜の木を1本決めてください」とお願いしました。
 そして、それは「桜の木や花の観察記録を作るためではなく、あくまでも『自分の桜』と決められた桜の木を毎日愛しく眺め、その変化を楽しみ、いろいろな感情を持って欲しいから、と解説をしました。慌ただしく幼稚園、保育園に送っていく道や、バタバタと買い物を済ませて急ぎ足で帰る道… そんな道の桜の木が「自分の木」となり、毎日移り行く姿を眺める… お父様、お母様にも、そんな「ひと時の優雅」「風流な思い」を味わってもらいたい
 じつは、マナーズ在学中よりも、むしろマナーズを巣立たれて2.3年経ってから、「久しぶりに〇〇くんの桜をしみじみと眺めました」や「今年も咲きました!娘の桜が。」のようなご連絡をいただき、私は本当にありがたく思ったものです
 私は「愛でる」という言葉が大好きです。この音の響きも素敵ですよね。「見る」というと、ちょっと味気ないですが、「愛でる」という行為には、「立ち止まり、意識的に眺め、ほれぼれする…」というような光景が見えてきませんか?
 あらためて調べてみると、この「愛でる」という言葉には、「可愛がる」という意味もあるようで、我が家の子犬を愛でる、というような使い方もするそうです。私は「愛情を持って眺め、その美しさに感動しながら鑑賞する」という意味だけだと思っていました。調べて、賢くなりました

 24日の日曜日、「神田川」「江戸川橋付近」の散策に行きました。あちこちへの出張がかなり続いた夫は、金曜日に帰国。「やっと帰ってきた」という実感が欲しかったようで「懐かしい界隈で、桜を愛でる」をイメージしていたようです。
 家を出る前に、何度も「桜はまだ『蕾かたし』なのよ」と話したのですが、考えが一途な夫は、自分のイメージが頭の中で先行していたようで、笑。現地に到着し、神田川の桜並木を見て、落胆 「そうかあ、なんも咲いてないんかあ…」と本当に残念そうでした。けれど、全く桜の咲いていない桜並木ではありましたが、夫は学生時代のいろんな思い出話をして、とても楽しそうでした もちろん、結婚41周年を3月に迎えましたからねえ。「ああ、その話は何度も聞いてるよ」というものもありますが、それでも、夫も思い出の中にある神田川の桜並木は、とってもたくさんの記憶、思い出の詰まった場所なのだなあ、と、私にとっては、全く馴染みのない界隈なのに、何となくほのぼのとした時間でした。

 そう言えば…
マナーズの卒業生には、お名前に「桜」の字の入ったお嬢ちゃまが何人かおいでになります。やはり、これから生まれてくる我が子に、生まれてきた我が子に、美しい桜を重ね、命名された素敵なお名前です

 これから約10日間、五部咲きから満開になり、桜吹雪となり、道をピンク色に染めるまで、いろいろな桜を楽しみたいです。そして、枝々が青々とした葉っぱが豊かに茂るまで、あちこちの桜を愛でたいと思います

 

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「知って、考える」という作業

2024年03月20日 | ためになるお話し

 ここ2年ほどは、気に入ったNHK BSの番組を録画予約をして観ること、大好きなお相撲をテレビ観戦する以外、すっかりテレビの番組を観ることが少なくなりました 教室も終わって時間も出来たのですけれどね。そのかわりに増えたのがNetflixでの映画や海外ドラマを観ること。
 つい最近見終わったのが「ミスターサンシャイン」という、2018年制作の韓国ドラマでした。1880年年代後半から1910年あたりまでを人間模様を中心に、史実に基づき韓国併合までを描いたドラマでした。(私が高校の歴史で、すっ飛ばす勢いで習った近現代史では『日韓併合』と呼んでいました。日韓両国、という表現が、侵略者側にとって好都合の名称だったから、なのでしょうが、今ではそれを正し、韓国併合と呼ばれているということも、つい最近知りました)

 みなさんは覚えていらっしゃるでしょうか?
私がみなさんの願書のお手伝いをさせていただいた時、私が高校時代の経歴を少しだけ披露した内容を。
 私は大学も併設された女子の一貫校に通っていたため、大学受験を経験しませんでした。当時の私は、多くの高校生が経験する苦行を、結果的にスルーしてしまう自分を恥じ(ピタリとくる表現が見つからないので、敢えて強烈な「恥じる」という言葉を使います。ごめんなさい!)、それに代わる「何か、必死になること」を探していました。
 それを知った先生方が私に提案してくれたのが「国際理解のための論文コンテスト、弁論大会」への参加、でした (結果的に、どちらでも全国大会まで進み、好成績を残したおかげで、私はその後、高校生のための友好訪韓団や、国交正常化間もない中国への友好訪中団のメンバーになることができ、それは貴重な経験となっています)
 私が、その時にテーマにしたのが「ソウルの地下鉄開通」にまつわるお話。
私の母校の高校の姉妹校であるソウルの私立の女子校、淑明(スンミョン)高校の生徒が来日。私の家がホスト家庭になりました。ある日のランチの時のこと。私達の会話は英語でしたが…

チェイさん「昨日、大阪で地下鉄に乗ったでしょう。すごく楽しかった!私達ももうすぐ、地下鉄が身近になるのよ ソウルに地下鉄が開業するから。」
イーさん「もうあとひと月。楽しみなの、とっても。開業は『8月15日』なのよ
私「そうなの 今度行ったら、私も乗ってみたい!8月15日が開業なのね。その日は、終戦記念日だわー。」
チェイさん「8月15日。その日は大事な日なの。私達、大韓民国が独立を果たした日だから。」
イーさん「日本がアメリカに敗戦して、36年間の日本の支配から解放された記念すべき日が8月15日。」

 1974年8月15日。
その後も、和やかにランチは続きました。彼女達は、私に批判的に話題を提供したわけでも、挑戦的にその日のことを告げたわけでもありませんでした。唯々、会話の中の「ひとつのトピック」でした。
 でもね、だからこそ私は、不用意に、お気楽に発言した「8月15日は終戦記念日だわー」という一言に、自分で傷つきました そして、「8月15日=終戦記念日」でしかない私の知識というか、認識に、恥ずかしさと同時に大きな罪の意識を感じたのでした

 Netflixの「ミスターサンシャイン」は、本当に良く出来たドラマで、内容も濃く、日本語の字幕でではありますが、セリフの一つ一つも意味が深く、見ごたえがありました。
 このドラマでは、日本人としては辛い場面や表現も数多くありますが、それは歴史上の事実であり、番組の中では批判を目的とした誇張、も感じられません。

 知らないことを、知ること。そして、知ることによって、初めて考えることがスタートすること。こんなに大事なことがあるでしょうか
 『学びは、楽しい』私の変わらぬ持論です。
 学校時代、定期的なテストのために「学んだつもり」になったり、「覚えて、終わり(すぐに忘れる)」は、実際にはほとんど意味のないことではなかったか、と歳を重ねるごとに、苦笑とともに感じています
 最近は、老化した脳ミソのせいか、覚えてもすぐに忘れてしまうし、なかなか記憶に定着はしませんが、それでも私は「知ること」「考えること」を絶対にやめてはいけない、と思っています
 今の時代、知るための手段は山ほどあります 良い時代です。
知って、考える…ということが「生きている証ではないか」とさえ思っています

 「春の保税展 2024」 

 3月22日(金) 午後0時 ~ 午後6時まで

 3月28日(木) 午前10時半 ~ 午後6時まで

 3月30日(土) 午前10時 半~ 午後6時まで

 3月31日(日) 午前10時半 ~ 午後6時まで

 4月4日(木)~ 4月7日(日)午前10時半~午後6時まで

 日比谷線・大江戸線「六本木駅」 千代田線「乃木坂駅」下車
 東京都港区六本木7-2-7 「ガレリア UCHIHARA」 地下2階 保税蔵置場・地下ホール

 ちょっとのぞいてみようかな?と思われましたら、おいでいただける日時をメールでお知らせくださいね。(madoka.manners@gmail.com)
 保税展は性質上、来場には事前に東京税関に入場登録が必要です。残念ながら保税展のみ「時間が空いたので、フラッと行ってみるか…」というわけにはいきません。
 前々日までにお知らせくださいね。保税展は一般に公開される展示会ではありませんが、みなさまからのご紹介があればご来場いただけますし、みなさまとご一緒においでいただくことも可能です。お目にかかれることを楽しみにしています

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保税展 出展ブランドについて

2024年03月10日 | 楽しいお話し

 今年の「啓蟄(けいちつ)」は、3月5日でした。
二十四節気の「啓蟄」は、春になって、土の中で冬眠していた虫たちが出てくる…という意味なのだそうです。次の二十四節気は3月20日の「春分」です
 私は、こういう「季節に関する様々な雑学」が大好きです。日頃、あまり意識せずに使っている言葉にも、様々な深い意味と歴史がある、と言うことを知ると、本当に心が豊かになります また、別の機会に、この二十四節気に関しても書いてみたいと思います。

 さてさて。
今日も前回にアナウンスをした通り、ジュエリーについて3連続の宝石関連…は今回で終了です。「最初のダイヤモンドの話しは面白かったけれど… さすがに、もうゲップが出そう…」と叱られてしまうかもしれません。すみません
 今日は、2週間後に迫った「春の保税展 2024」に出展されるいくつかのブランドのご紹介をさせてくださいね。それに付随した形で、ちょっとしたジュエリーの雑学も。

 ひとつめ「ロレンツ・バウマー」
前回の秋の保税展に、初めて出展されたフランスの工房です。パリのヴァンドーム広場にサロンを構えています
 さあ、ここで1つ目の雑学。「ヴァンドーム広場」というパリにある地名は、きっと女性であれば1度は耳にしたことがあるのではないでしょうか? 日本の、比較的若い世代向けのジュエリーブランドに「ヴァンドーム〇〇」というのがありますが、その「ヴァンドーム」も、この広場の名前にちなむもの。
 ヴァンドーム広場は、もともとは1702年、ルイ14世の栄光を讃えるために計画された広場なのだそうです。でも、その後は様々な英雄達の思惑により、名前も使い方も変わりました ナポレオンもその中の一人です。
 そんなヴァンドーム広場が脚光を浴びるようになったのは、「ザ・リッツ」と称される超高級ホテル「リッツカールトン パリ」や、パーク・ハイアット・ヴァンドーム、ブリストル(現在は、オテル・ド・ヴァンドーム)がこの地に誕生し、そして、その後、多くの著名な服飾デザイナーや宝飾ブランドがサロンを開くようになったから、なのですね

 二つ目の雑学。
このヴァンドーム広場にサロンを構えている「世界5大ジュエラー」とは、何でしょうか?
 その答え。①ティファニー ②カルティエ ③ブルガリ ④ヴァンクリフ&アペル ⑤ハリーウィンストン です。
 …とここまでで雑学は終えるとして。
その由緒あるヴァンドーム広場に、自身のサロンを構えているロレンツ・バウマー(ブランド名であり、オーナーデザイナーの名前、です)。
 まだまだ歴史の浅い、新進気鋭の存在と言えるこのオーナーデザイナーは、私の勝手な想像ですが… 内原の保税展を足掛かりに、日本への出展を狙っている?!ここで自分のジュエリーを日本人の特別な人達に紹介し、知ってもらうことから日本での展開をスタートさせようとする思惑がある?!
 とまあ、そんなことは横に置き、とにかく、内原のバイヤーのご苦労で、前回の秋の保税展に続き、今回も2回目の出展となりました
 「そんなブランドの宝石ならば、どうせ、美術館に並ぶようなものばかりがやってくるのでしょう」と思われるでしょう?
 私も前回はそんな風に思い、ほとんど興味を持っていなかったのですが… いえいえ、超高価なものもありますが、そういうアート的な一品物的なものばかりではなく、彼の豊かな感性がうかがえる、ほどよい価格帯のシリーズも数多く出展されます。とても見ごたえ、学び甲斐のあるブランドでした。
 中でも、私が気に入ったのが「ハートビート」というシリーズ。
彼の第一子、息子が誕生した時に見た「心電図の波形」がモチーフになっています。波形ですので、折れ線グラフのような曲線なのですが、この波形を素敵なジュエリーのデザインに仕上げたのですねえ。リングだけではなく、ペンダントもあります 芸術性だけではなく、彼の人間味に溢れる愛情豊かな表現力が、そのままジュエリーになっているのも素敵。乞うご期待です

 そして、次は「クリヴェリ」。前回に少し触れましたが、イタリア最大のジュエリー企業です。このブランドでは、リングやピアスなど、多くのジュエリーに必ず使われている「メレ」と呼ばれる小さな小さなダイヤでさえ、品質の高いものしか使わないという徹底ぶりです。だからこそ、本当に輝きが違う… 毎回、保税展では優秀なデザイナー達が送り出した素晴らしいジュエリーが並びます。

 前回の復習ですが…
このクリヴェリの特長は、クリヴェリでデザインされ、製作されたジュエリー達は世界中に出回っていくものの、実際には「クリヴェリ 」というブランド名では展開されない、ということ。覚えていらっしゃいますか?
 つまり、世界各国のバイヤーや宝石店、ブティックが国際的な展示会に行き、クリヴェリのブースでジュエリーを買い付け、持ち帰り、そして「自社のブランド名を付けて、店頭に並べてる」という展開方法、なんですよね。
 クリヴェリは価格帯も広く、出展されるジュエリーもたーくさんです
保税展では根強い人気を誇り、内原のお客様の中では、非常にファンの多い人気のブランドです。今回も、本当にたくさんのキラッキラがやってくるでしょう

 最後に、もう一つ「J. R. DIAM(ディアム)」
香港からの出展です。何と言っても、この工房は「ダイヤモンドを爪と呼ばれる台にセットせず、直接、ダイヤモンドにレーザーで穴を空けて繋いだり、セットする」という高い技術を持っています。
 この説明でわかっていただけましたか?それでは、ちょっと、「1個のラウンドブリリアントカットが施された、1粒石のダイヤモンドのリング」を想像してみてください
 この場合、中心の1個のダイヤモンドをリングに留めているのは、ダイヤモンドを「掴んだ」ようになっている「爪」と呼ばれる金属、です。
 ネックレスでも、1粒石のプチペンダントであれば、同じ留め方をしているでしょう。時には、1粒のダイヤモンドをくるっと取り巻くような輪っかが手の金属で留められている場合もあるかもしれません。いずれにしても、今までは、ダイヤモンドに限らず、宝石を台座に留める時には、金属の爪や輪っかで固定していたのです。
 しかし10年ほど前から、金属の爪や輪っかでダイヤモンドの石をセットせず、「ダイヤモンドに直接穴を開け、チェーンなどでつなぐ」というジュエリーが見られるようになりました。
 この場合、見える時にダイヤモンドの邪魔になる「爪」や「輪っか」がないため、ダイヤモンドそのものが見え、非常に輝きが増すのです。
 ここ数年は、ヨーロッパの工房でもこの「レーザーを使い、ダイヤモンドに穴を開ける」という技術を取り入れ、同じようなジュエリーを完成させようとしています。
 しかし、残念ながらなかなか上手くいかず、製作中にダイヤモンドが割れてしまう…という惨事。それはなぜか?それは、技術の違いと、最大の違いは「使うダイヤモンドの品質」にあります。
 他の工房は「割れる」という失敗を恐れ(割れてしまえば、ジュエリーとして使い物になりませんから)、ダイヤモンドのカラーは良いものを選んでも、多少、質の低めのダイヤモンドを使うことが多い、と言われています。
 まさに、前々回に説明した「4C」のお話しです。ここJ.R.ディアムが使うダイヤは、品質表記の中の「Clarity 透明度」、この高いものを使っています。
 「Clarity 透明度」が高いものは、「ダイヤモンドの中に、内包物が少ない」のでしたよね。つまり、ダイヤモンドにレーザーで穴を開けようとすると、異物がなければ穴は開きますが、もし異物が混じっていると、その異物、内包物のところから「割れる」という危険性があるわけです「J.R.ディアム」が使うダイヤは、どんなに小さなダイヤであっても、婚約指輪に出来るほどの高い「Clarity 透明度」品質のものを惜しみなく使うから、輝きも違う…という訳です。

 これはちょっとシュールな笑い話ですが…
「ダイヤモンドだ」と知らないで見ていると、「きゃー、きれい スワロフスキー?さすが、スワロフスキーのクリスタルは輝きが違うわよね
 いえいえ じつは、これはスワロフスキーではなく、「ダイヤモンド」です。

 今回初出展の「FALCHINELLI(ファルチネッリ)」というイタリアのブランドも楽しみです。かなり斬新でユニークなデザインのようで、こちらにも興味津々です。
 日程は下記の通りです。
ご来場の日程が決まりましたら、メールでお知らせくださいね。保税展には、東京税関への事前登録が必要なので、残念ながら当日、フラリと来ていただくわけにはいきません。前々日までにお知らせください。みなさまからのご紹介があれば、他の方もご一緒していただけます。お目にかかるのを楽しみにしています。

 「春の保税展 2024」 

 3月22日(金) 午後0時 ~ 午後6時まで

 3月28日(木) 午前10時半 ~ 午後6時まで

 3月30日(土) 午前10時 半~ 午後6時まで

 3月31日(日) 午前10時半 ~ 午後6時まで

 4月4日(木)~ 4月7日(日)午前10時半~午後6時まで

 日比谷線・大江戸線「六本木駅」 千代田線「乃木坂駅」下車
 東京都港区六本木7-2-7 「ガレリア UCHIHARA」 地下2階 保税蔵置場・地下ホール

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「保税展」って何でしょう?

2024年02月29日 | 楽しいお話し

 菜種梅雨を思わせるような長雨が続いたかと思うと、今度は台風並みの強風が吹き荒れたり… 今年は閏(うるう)年なので、4年に一度の珍事、なのでしょうかねえ

 さて。
ジュエリーマナーズ「春の保税展」が1か月後に迫ったとは言え、毎回、ジュエリーの話題はちょっとなあ、と思ったものの… 「宝石の話しは面白い」「何となく知っているように思っていても、じつは知らないことばかり」「とっても興味深い」等々、私の予想以上に宝石の話を楽しんでいただけたようで、とってもうれしいです。
 なので、今回と3月10日の次回も、引き続きジュエリーの話題にすることにしました。読み物として、雑学として楽しんでくださいね

 そもそも「保税展とは何か?」ということについてご説明します。
前回、保税展の説明は、ガレリア内原のホームページ内の「保税展」の項目を参照してください、とリンクを貼りましたが、やぱり、私からいろいろな例をあげながら、説明するほうが楽しんでいただけるかも。

 内原で開催される年に2回の「保税展」に出展されるジュエリーは、関税等の税金を留保したままのもので、厳密に言えば、「外国から到着した貨物」という扱いになります。こういうものを「保税品」と呼びます。
 そして、このような保税品は、税関の許可を受けた倉庫や工場、博物館等でしか保管したり、展示したりすることが出来ず、そういう場所のことを「保税蔵置場」と言います。つまり、内原で年に2回開催される保税展の会場、六本木本社の地下2階にあるホールが、まさにその「保税蔵置場」の指定を受けている場所、なのです。
 このように、保税制度によって保税品を扱い、保税蔵置場を持てる企業は大きな信用が基盤となり、希少な存在です。
 ということで。春と秋の保税展は、一般の方々には開放されることはないく、特別に招待される方々しか入場できまない、という普通のジュエリーフェアとは趣を異にする展示会なのです。
 そして、保税展で扱われるジュエリーは保税品であり、保税蔵置場でしか保管、展示が出来ないため、内原の地方の支社等にも移動させることが出来ません
 こういう理由で、春と秋の保税展には、特別に招待されたお客様が「全国」から来場されます
 私達が海外旅行に行く時、成田や羽田の空港で出国手続きを終えた後、「免税店」をのぞいたりしますよね。そう、保税蔵置場は税務的には日本ではありませんので、保税展とは、あの免税店のようなもの。それが期間限定、ジュエリー限定の大きな催しになった…と思っていただければわかりやすい、でしょうか。

 では、この保税品は購入できるのか?
はい、購入可能です その方法が… また楽しいわけです
 保税品は、しつこいく書きますが、通関前の商品です。なので、表記は「米ドル」の表記になっています。
 たとえば、「$1300」と表記されたリングにゾクゾクっときた、としましょう。でも、即座には「それがいくらかのか?」はピンときませんよね。私のような「超数字オンチ」は、1ドルが100円でなければチンプンカンプン、はっはっは
 考えに考え、このように思います。「もしかしたら、次回の保税展にはやってこないかもしれない…(どういうことなのか、あとで説明をします)と。そして、覚悟を決めて購入するとしました
 その日の為替のレートは、$1=¥150,71。1ドルが150円71銭。ですから、その日のレートで日本円に換算し、そこに消費税を加算する…という計算をします。
 こんなふうに時々、会場で電卓を手に計算をする、というのも面白いのですよ。人の頭とは面白いもので、目の前のものが「いくらくらいのものなのか?」がわからないと、見ていてもつまらなくなります。なので、私は大抵、片手に電卓を持って、「ほっほー、これは〇円なのねえ、きゃ~~~~」みたいにして見て廻ります
 購入を決めても、そのお品はすぐには持ち帰れません。なぜならば、通関の手続きが済んでいないからです。でも、もちろん通関手続きは内原にお任せで、通関の費用も内原が負担してくれます。

 そう言えば。よく海外旅行に行かれた時に「この旅行の記念のとして」と、リングやピアスを購入。でも、帰国後、よく考えてみたら、数年後のサイズ直しや修理を頼むのはどうしたら良いのか?そんなことを頼めるところってある?等々、困ることが多い、というお話をよく耳にします でも、同じ外国のジュエリーではあっても、保税展の場合は、サイズ直し、アフターサービスは内原が担当。これも大きな安心です
 時には、デザインによってサイズ直しが出来ない、と言う場合もあるでしょう。でも、そういう場合は、その工房にオーダーすることも可能です。オーダーするからといって、価格は別に加算されるわけではなく、その日の為替レートで計算するだけ。ただ、出来上がるまで2,3カ月はお待ちいただくことにはなりますが… けれど、ちょっと考えてみてください。ご自分のリングが、たとえばイタリアの工房で、ご自分のためだけに作られることを

 そうです、先ほど書いた「もしかしたら、次回の保税展にはもうやってこないかもしれない…」についてご説明をしなければなりません!
 保税展に出展されるジュエリーは、内原が世界の工房やブランドから「保税展の期間の1ケ月、お借りしたもの」です。輸入を済ませた内原の在庫品ではありません。
 ですから、保税展が終わると、各国の各工房に帰っていきます
そして、もうそれっきり、二度とやってこない ということもあるわけ、です。
 出展ブランドについては、次回の3月10日の回に詳しくご紹介しますが…
イタリアに「Crivelli(クリヴェリ)」というジュエリーの企業があります。このイタリア最大のジュエリー企業でデザインされ、製作された宝石達は、世界中のブランドや高級ジュエリーの店舗に卸されていきます。自社のブランドとしては展開していないので「Crivelli(クリヴェリ)」という名前は、内原のお客様以外はご存知ないのではないでしょうか。
 話を元に戻します。
この「Crivelli(クリヴェリ)」は、内原との長い関係から、現在ではタイアップしてジュエリーを製作している会社なので、必ず次の保税展にもたくさんのジュエリーを出展してくれます
 ただ イタリア最大のジュエリー企業、この企業のジュエリーは世界展開している、とご紹介した通り、このクリヴェリが扱う宝石の数は膨大です。
 なーのーでー。次回の保税展には必ず出展されるブランドであっても、「目を付けていながら、断腸の思いで諦めたリング」や「次の保税展で購入しようと決めていたピアス」が、次の回の保税品としてやってくるかどうか
 正直なところ、次の回に同じものがやってくる、という可能性は非常に低い…のです ご理解いただけるでしょうか?

 じつは… 私には、20年以上が経過した今でも、忘れられないリングがあります。まさに、それが「クリヴェリのダイヤのリング」でした
 そのデザインが奇抜でありながら、とっても上品、ノーブル。一目ぼれしました リボンを結んだようなデザインでした。いや、リボンというよりは、日本の熨斗模様(束ね熨斗)、お祝いの引き出物などに使われる熨斗を束ねた模様、というほうが的確です。なかなか日本では出会えない、まさにイタリアの最新のデザインだったのです
 その後、クリヴェッリからも、他の工房からも、いろいろ、似たようなデザインのリングが出展されましたが… 逃した獲物は大きい、とでも言うのでしょう… どれも「諦めたクリヴェッリ」には及ばない、トホホ。
 これが保税展の醍醐味でもあり、特徴でもあります

 そう言えば… 前回、とても人気の高かったバーレーンという国から出展された「アルザイン」というブランドも、今回はやってきません。次回、秋の保税展に出展されるかどうかもわかりません。要するに、保税展に出展されるジュエリーとは、まさに「一期一会」なのですよね

 ジュエリーに限らず、輸入した商品というものは、その企業や店の「在庫」となるわけですから、企業側は「早く売れて欲しい」と願うのが常です。だからこそ、人の目には留まっても、購入には至らないようなものは仕入れたくはない…(こういう事情で、デパートや宝飾店のジュエリーのデザインは、結果的に似たり寄ったり、になってしまうもの、なのですね。仕方のない事でしょう、お商売ですものね。)
 でもね、保税展は「お借りしたもの」であり「保税展が終わると、各国に帰っていく」ものですから、本当にいろいろな種類のものがあります
 博物館や美術館、特別展でしか見られないような高価なジュエリーや、アラブの王族用でしょう?!というようなもの、これはレッドカーペットでポーズする時に見せる用?というような奇抜なデザインのもの、等々にもお目にかかれますし、もちろん、自分で普段使い出来るジュエリーもたくさん出展されます

 一昨年だったでしょうか。上野の美術館で「宝石展」というものが開催されました
私達夫婦の友人のお子さんに、「とびきりの宝石好き(鉱物好き、と言うべきかもしれません)」の6年生のお嬢さんがいます。
 その彼女にせがまれて、私は宝石展に一緒に行ったのですが… 一通り熱心に会場を見て廻った後、彼女が私に言った一言「まどかおばさん、今日はありがとう でもさあ、いろんな宝石あったけど、保税展のほうが、ずっと素敵な宝石があるよねえ。」私は、当時まだ4年生だったこの子の感想に大爆笑をしてしまいました

 というわけで。今回は「保税展って何?」というお話をしました。
確かに、私は小さな頃からの宝石好きではありますが、そういう「宝石好きのためのチャンス」ということではなく、毎回の保税展で感じることは「オトナの楽しみとして、見識を深めるにはもってこいの催しだな」ということ。
 「保税展」をそういう楽しみにしていただくのも一興だと思います
 もちろん、またいつかね…と、保税制度や保税品、保税蔵置場を雑学として知っていただくも良し、です

 地下2階の保税蔵置場のお隣のホールには、保税品ではない、他のブランドのジュエリーもたくさん並びます。こちらもいろいろな趣の違う工房からの出展がありますので、十分に楽しんでいただけるでしょう。
 何より、こちらは「円表記¥」なので、この会場に入ったとたん、ホッとしたりするのも面白いです

 「春の保税展 2024」 

 3月22日(金) 午後0時 ~ 午後6時まで

 3月28日(木) 午前10時 ~ 午後6時まで

 3月30日(土) 午前10時 ~ 午後6時まで

 3月31日(日) 午前10時 ~ 午後6時まで

 4月4日(木)~ 4月7日(日)午前10時~午後6時まで

 日比谷線・大江戸線「六本木駅」 千代田線「乃木坂駅」下車
 東京都港区六本木7-2-7 「ガレリア UCHIHARA」 地下2階 保税蔵置場・地下ホール

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「春の保税展」日程と、ダイヤモンドの豆知識

2024年02月20日 | 楽しいお話し

 例年であれば「立春を過ぎ、暦の上では春にはなりましたが、寒さの厳しい毎日です」とご挨拶をする時期、ですよね。
 でも今年は、まさに暦の上だけではなく、気候も「春」のような毎日が続いています。河津桜は満開 一年一年、急速に気候が変化するので、さて来年はどんな感じになるのだろう?と不安になります…
 とは言え、何事もネガティブに受け止めることを極力避けて、すべてをドーンと受け入れ、変化を悲しんだり憂いたりせず、プラスに考えたいものです たとえば…厚手の洋服が減り、クローゼットやタンスの引き出し、冬物を片付けるスペースがかなり空いた、というふうに、ふふふ

 さて。
お待ちかねの方もおいでになりますね。「春の保税展 2024」の日程が決まりましたので、お知らせをいたします 会場は、「ガレリア UCHIHARA」地下2階、保税蔵置場ホールです。
東京都港区六本木7-2-7

 3月22日(金) 午後0時 ~ 午後6時まで

 3月28日(木) 午前10時 ~ 午後6時まで

 3月30日(土) 午前10時 ~ 午後6時まで

 3月31日(日) 午前10時 ~ 午後6時まで

 4月4日(木)~ 4月7日(日)午前10時~午後6時まで

 以上の8日間です。
今年の春の保税展は、少し後ろ倒しの日程になっているようです。ただ、今回からは、週末の土曜日も、私は午前中から会場の閉まる午後6時まで、フルに会場におりますので、週末でも来ていただきやすくなるかもしれません

 「ところで、保税展って何?普通のジュエリーのフェアじゃないの?」と思われる方、わかったつもりだったけど、あらためて学習をと思われる方は、どうぞ内原のホームページの中の「保税展のご紹介」をご覧になってくださいね。

 今回、あらたに初めて出展されるブランドがあります。「 FALCINELLI 」ファルチネッリというイタリアのブランドです。1968年創業ですので、比較的新しいブランドですが、パンフレットを見る限り、「カラフルなジュエリー」という印象です。
 また、前回初めて出展されたフランスの「 BAUMER 」バウマーも2度目の出展です。

 出展ブランドについての詳しいご紹介などは次回に持ち越し、今日は「私はジュエリーなんて興味なし」という方にも楽しんで読んでいただけるように、雑学にもなる「ちょっとしたダイヤモンドの知識」をご紹介しますね。保税展云々というよりも、今日は読み物として楽しんでください。

 何と言っても、宝石と聞いて真っ先に思い浮かべるのは「ダイヤモンド」ではないでしょうか。その宝石の代名詞「ダイヤモンド」ですが、日本に輸入されているダイヤモンドの約80%は「工業用」のダイヤモンドなのですよ。工業用のダイヤモンドと聞いても、ピンと来ないかもしれません。
 でもね、天然資源の中で「最も硬度を持つ物質」であり、「電気を通さず、熱伝導にも優れている」ため、切る、削る、磨く、穴をあける、等々、私達の暮らしに必要なものを生産する上で、無くてはならない工具として、工業用ダイヤモンドは幅広く使われていますす。これも、今日の一つ目の豆知識でした

 それでは、ジュエリーとしてのダイヤモンドについて
 ダイヤモンドは、非常に「価値の分かりやすい宝石」です。なぜならば、ダイヤモンドにはしっかりとした評価基準となる「4つの『C』」が決められています。「C」は、それらの頭文字です。Carat カラット」、「color カラー」、「Cut カット」、「Clarity クラリティー」この頭文字をとって4Cと呼ばれます。

 一つ目は「Caratカラット」。きっとみなさんも「知ってます!」という言葉、でしょう?
 このカラットは、重さを表す単位です。1カラットは0,2グラム、200ミリグラム。つまり「1カラットのダイヤ」というのは、「0,2グラム、200ミリグラムのダイヤ」という意味です
 ただ、このカラットという言葉は、ダイヤモンドに使うだけではなく、宝石全般の「重さを表す言葉」として使います。例えば、「このルビーのリングは、真ん中のルビーが0.3カラットで、まわりのダイヤモンドの合計は0.5カラットです」このように表現します。
 よく「大きさ」と誤解をされてしまいますが、正しくは「重さ」です。

 次は「colorカラー」ですね。
そう「色」です。ダイヤモンドは、希少性の高い極々一部のカラーダイヤ(これはまた別の機会にお話ししましょう)を除いては「無色」の宝石ですが、実際にはグレードが落ちていくと、だんだん無色ではなくなっていきます。最も無色に近いものが「D」というカラーで表現されます。ワンランクずつ下がっていくと、E、F、G、H、I、J、K…と続きます。なぜか「A」から始まるのではなく、Dから始まります。ランクが下がっていくほど黄色みがかったり、茶色みがかったりしていきます。

 次は「Cutカット」です。
カットと聞くと、真っ先に思い出されるのが舌を噛みそうな「ラウンドブリリアントカット」かもしれません。
 ラウンドブリリアントカットは58面体。ダイヤモンドに注がれた光が、光学的に最も効率よく反射する形として考え出されました。
 でも、ダイヤモンドのカットの高い技術を持つ国、ベルギーやオランダには、独自の考え方「我が社のこのカットが最高の輝きを持つ」と考えられてカットされる「フランダースカット」や「アッシャーカット」などもあります。
 「カット」と聞くと、ついつい「ダイヤモンドの形」と思われがちです。ラウンドブリリアントカットは丸い。涙型やハートの形もある…というふうに。
 でも、この3つ目の「C」のカットは、形ではなく「カットのグレード」を表します。つまり、カットされた面、カットの角度が、どれほど正確に、美しく研磨されているか?が評価される基準なのです。
 ということで… このカットグレードは5段階評価。最も優れたカットグレードは「Excellent」。次は「Very Good」、「Good」、「Fair」と続き、最後が「Poor」です。
 先ほども書いたように、カットの良し悪しは、ダイヤモンドの輝きを大きく左右します。カット面同士の角度や対称性がベストのバランスを取っていなければ、十分な量の光が反射されず、美しい輝きが放たれないのです
 想像してみてください。
ラウンドブリリアントカットは58面もあります。その一面一面それぞれに光が入り、光学的にすべての面が効率的に光をはね返す!だから、あのダイヤモンドの「キラッキラ」の輝き、になります。
 ところが、そのカット面がいびつだったり、カットの角度が決められた角度ではなく、少しでも歪んでいれば、光学的に計算された最高の反射は起こりません

 最後のCは「Clarity クラリティー」
ダイヤモンドの透明度を表します。もしダイヤモンドの中に、たとえ小さくとも傷があったり、内包物があったとしたら、透明度が低くなります。
 最も内包物のないものが「VVS1」。その次が、「VVS2」。そのあとは「VS1」「VS2」「SI1」「SI2」となります。
 「VVS1」って、何のアルファベットなのかな、って思いませんか?
これは記号ではなく、単語の略です。VVS1は、「very very slighty included 1」の略です。「ほんとに、ほんとに、わずかな 内包物 1」(1,は内包物が1個、という意味ではありません)です。「V」が一個なくなるとvery が一つなくなるってことです。

 これでダイヤモンド博士になりましたね
ダイヤモンドには、このようにしっかりとした基準が世界的な機関で決められているので、宝石としての価値が最も分かり易い宝石と言えるでしょう。価格も、これら4Cによって決まっていきます。
 婚約指輪のように、非常に意味の大きな、一生に一度のものであれば、カラーグレードも高いもので、カットもVVS1からVS2あたりのものを選ぶでしょうが(石の大きさは好みです)、例えばピアスだったり、普段にも使いやすいプチペンダントの一粒石のダイヤであれば、カラー、色も少々黄色味がかっていても良いでしょうし、カットだって「poor」でも案外問題はないでしょう こんなふうに、ある程度の知識があれば、ダイヤのジュエリーは「選び方で価格が全く違ってくる」のも理解しやすいですね

 Aさん。「私は、とにかく大きなダイヤのリングを装うのが夢だったの そこが私の今回のダイヤを選ぶ基準。大きなダイヤモンドをお願いします」という場合。
 Aさんの予算と照らし合わせながら、「大きさを優先して、カラーは「H」で、カットは「Fair」。クラリティーはSI1。さあ、こんなのはどうでしょう?」ということになります。
 一方、Bさん。
Bさんの希望は、こうです。「私は大きさよりも、ダイヤモンドの宝石としての価値を重視したいです 小さくて良いです」こういうご希望であれば、「大きさは0,3カラット。でもカラーは「F」、カットはGoodで、VS2。これはいかがでしょう?」

 このように、パズルのように4つの「C」を組み合わせながら、ダイヤモンドをいろいろと考えるのも1つの楽しみ、なんですね

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ISSからの映像

2024年02月10日 | 楽しいお話し

 みなさんは疲れた時、ホッとしたい時、気分転換のためにどんなことをしていますか?

教室もなくなった今の私ですから、何に急かされることもなく、何に追われることもなく、気分転換そのものの必要などないので、ちょっと不思議な問いかけですが
 むっ?待て待てこんな書き方をすると、クラスをしていた頃は、何かに急かされたり、追われたりして、気分転換を必要としていたみたいですよね。
 いえいえ、それは誤解です。どちらかと言えば、私は計画的に物事をこなすタイプなので、ほとんど「追われる、急かされる」という状況下に置かれ、疲弊するというようなことはありませんでした。だから、どうぞ「ああ、まどか先生は気分転換を必要としていたんだなあ…」なんて思わないでくださいね
 むしろ、気分転換が必要な状況になるのは家庭生活 仕事以外の事は何でも忘れてしまったり、私の話をほとんど真剣に聞いていなかったりする夫との暮らし。そして、我が道を貫こうとしていた就学時代の我が子達との生活。大いに気分転換が必要、ふふふ。

 おっと、脱線脱線。話を「気分転換」に戻し、気分転換に最適なこんなものをご紹介しましょう
 以前、テレビの大きな画面で、Youtubeのライブ画像を観てみませんか?という話題提供をしたことがありましたのよね。あらためてそのトピックを探してみると、それは2023年10月20日の「いろいろな景色を楽しむ」でした。
 もちろん、今もその日にご紹介した上高地の河童橋、身延七面山のライブカメラは我が家の定番ですが、ここのところ熱心に見ているのは「美ヶ原高原」のライブカメラなんですよ。美ヶ原のライブカメラは2つあり、こちらは「美ヶ原高原(東側 美しの塔)」というもの。もう一つの「美ヶ原高原(南東)」は、遠くに富士山も見えて、また違った美しさです。

 朝が早い我が家です。私がテレビをつけ、ライブカメラを見始めるのは5時40分頃。まだまだ画面の中の美ヶ原高原は暗いのですが… 高原の奥の方の、山の稜線付近が赤く染まってきています。手前は白銀の高原。時々、日の出の写真を撮る人達がヘッドランプをつけて歩いていたりします。だんだん赤色は左側に寄っていき、右側はオレンジ色に染まり始めます。そして、間もなく太陽が この後は… どうぞ、一度ご自分で確かめてみてください この後の「変化」は、まさに息をのむような美しさですから。

 さてさて。
今日、お知らせをしたかった気分転換の方法は、「ISS国際宇宙ステーション」からのライブ映像を見ること、です。こちらも、Youtubeのライブカメラ「Earth From Space」と検索すれば出てきます。ISSで検索すると、たぶん、複数の違った角度?、例えばISSそのものの船体や船外等の様子が映し出されるものもあります。

 私が一昨日、この映像に画面を切り替えた時には、ISSはちょうどイタリア半島の先端部分を飛行していました。どうしてすぐに「あっ、イタリアだ!」とわかったのかと言えば、何と言ってもイタリア半島はとても特徴的な形をしているでしょう?ブーツの踵やつま先部分(プッリア州、バジリカータ州、カラブリア州)、そしてシチリア島の上を飛んでいることがすぐにわかりました。

 その後、少しだけ別のものを見て、ISS映像に戻すと、ギリシャのペロポネソス半島、エーゲ海の上でした。これは余談ですが、半島の付け根部分がものすご~く狭いのに、半島そのものはとても大きい。そのアンバランスが奇妙で興味を持ち、その覚えにくい、いかにもギリシャ語的な「ペロポネソス半島」という名前を覚えたのでした
 エーゲ海には大きなクレタ島が見え、小さな島々まできれいに見えます。そして、なんとなんと、カレンダーや旅番組によく登場する白い壁と青い屋根で有名な「サントリーニ島」まではっきりと見えるのです このサントリーニ島は、特徴のある形です。火山島だったこの島は、大昔、大きな噴火の時、中心の山頂部分と裾野の一部が吹っ飛んでしまい、現在は「三日月」のような形をしているのです。なので、とっても見つけやすいのです。
 夫を送り出した後、私はすっかりこの「地球の景色」に魅了されてしまい、朝食の片付けもせず、画面に見入ってしまいました…
 この朝のISSは、世界地図で言えば左上から右下に向けて、つまり、ヨーロッパの北部から、アフリカ大陸をかすめて、インド洋上に出て、オーストラリアの南西部方向に向かっていました。
 しばらくすると、赤茶けたアフリカ大陸が画面のほとんどを占めるようになり、そして、紅海が見えてきました エーゲ海の小さな島々がはっきりと見えたように、紅海の小さな入江までよく見えます。北から南に移動しているので、画面の紅海の右側の陸地がアフリカ大陸、左側の陸地はアラビア半島です。つい数分前までは、ヨーロッパの緑色の陸地を見ていたのに、紅海を挟んで見える土地は茶色です。砂漠地帯なんですよね。わかってはいるものの、それを目ではっきりと認識する…それもすごいなあと思います。
 グーグルマップと照らし合わせながら見ていると、確かに「ああ、この膨らんでいる部分は、サウジアラビアのジェッダの辺りだな…」「この小さな半島は、スーダン?いや違う、スーダンの南にあるエリトリアって国なんだ…」と、おーとか、なるほどとか思う訳ですが…
 そこには、グーグルマップに引かれている国境の線はありません。

「当たり前でしょう」と笑われたかもしれません。
でもね、私はこのISSの映像を眺めながら、本当に「泣けてくるような、胸の締め付けられるような感覚」を覚えたのでした…

 昨年の暮れから「紅海やアデン湾の海賊による貨物船の被害が大きい」というニュースが流れますが、ISSから眺める紅海やアデン湾は「美しい青い海」です。

 上手く気持ちを文字に表せないことがもどかしくてなりません。
ISSが映しているのは「地球」です。宇宙の中の一つの星。
 でも、その地球では、違う文化や違う言語、違う価値観や違う宗教を信じる人達が、それぞれの「国」の中で暮らしているのですよね… それでも、ISSから見えているのは、陸地、川、海

 気分転換という表現をしましたが、この話題には、この表現はぴったりではなかったかもしれません。でも、私は難しいことを語りたいと思ったわけではないのです。ただ、ふっと思い立ち、久しぶりに見たISSからのライブ映像は、私が毎日気に入って見ている国内外の町のライブ画像とは違う感覚を私に与えたことは確かです。そして、さあ家事を始めようとソファから立ち上がり、大きく深呼吸をした時には、気持ちがスーッとしました

 是非一度、気が向けば、試しに見てみてください。きっと「何か」「大きなもの」というのでしょうか、そんなものを感じ、違った気分にさせてくれることと思います。
 まだまだ小学生のお子様であれば、地図を眺めながら見ると、良い社会科のお勉強にもなりますよ、ふふふ

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祈る、ということ

2024年01月30日 | 楽しいお話し

 前回のブログ。たくさんの方々に読んでいただけたこと、本当に本当にうれしく思います 心より感謝です 久しぶりにあんなに長い文章を書き、何度も書き直したり、手を入れたりして、アップし終わった時にはしばし、放心状態でした でもね、あれを書き上げ、とうとう「お教室を終えたんだな…」と思いました。みなさんにお礼を申し上げるまでは、やっぱりまだ「クラスがなくなっただけ」「教室を片付けただけ」の気分でしたので。
 長い長い文章をお読みくださり、本当にありがとうございました

 さて。
年が明けて約1ケ月。さまざまな「試験のシーズン」が始まりました
 1月13日、14日は、大学入学共通テスト。一部の私立中学では、この日から入試がスタートしました。27日、28日には、歯科医師の国家試験。
 2月1日は、首都圏の多くの私立中学の試験日。ここから1週間は、どこかで必ず試験があります。医師の国家試験もこの期間中です。
 2月中は、私立、公立共に高校、大学の受験も始まりますし、理学療法士や薬剤師、放射線技師等々の医療系の試験も目白押しです。3月には、国立大学の後期試験もありますね。
 まさに今年、上記の「試験」に臨まれるマナーズの卒業生達もたーくさん、です

 私は毎年、この時期は「祈る毎日」です。
「ああ、今日は〇〇くん、〇〇ちゃんの試験日だ。がんばれ」と手を合わせることもあれば、特定の誰かではなくとも、「今年は、△△くんや△△ちゃんの学年は~~受験の年だな…」と考え、仏壇の前で祈ることもあります。
 この「祈る」という行為。
宗教によって、かなり意味の違ってくるもの、だと思いますので、正確な解釈ということは横に置き、あくまでも「私の思い」によってお話をさせてください。
 私が非常に「験(げん)を担ぐ」タイプであることはみなさん、すでにご承知のことでしょう。その一番顕著なものが「受験期に入る頃になると、赤色のものを身に付ける」ということ。「生徒さん達もそのご家族も、そして私も、みな人事を尽くすので、どうぞお守り、お導きください」という思いの表現として、赤色のものを身に付けます。
 これは「祈りか?」と問われると、私は「違う」と思っています これは「願掛け」的な、「お願い」ですね。なぜならば、報いを求めているから。「〇〇するので、△△を成就させてください」というのは「願い事」です。

 それに対し、「祈り」とは、もっと尊い?とでも言うのでしょうか…

 私はね、「気」というものを強く信じています
人が「他のために祈る」「他のために思いを込める」その時、人からは「大きな大きな目に見えないパワー」が発せられると信じているのです。そのパワーを「気」というふうに私は考えています。
 この「気を込める行為」を、私は「祈り」だと理解しています

 前回の20日にアップしたブログにも少し書きましたが、2009年の12月に、息子は心臓の大動脈弁の弁置換手術をしました。その手術自体は、決して危険な手術ではありません(こういう書き方には語弊があるのも承知の上で)80代の方もする手術ですからね。
 ただ、息子の場合には、体調が悪いことをひた隠しにし、ひどい息切れや動悸等があっても私達両親には言わず、半年以上もその状態を放置した… 高校時代、自分では気づいていなかった愚かさによって失ったものを払拭するために、大学でのクラブでの責任ある立場を全うしたいという思いを優先し、その結果、重篤な心不全の状態になっていました。初診時には、すでにそういう状況だったので、彼の心臓を手術中は止めて、人工心肺に切り替えての手術をする、という状況自体が彼にとって危険、と説明されていたのです。
 そんな状況下、マナーズの卒業生の大勢の方から応援のメッセージ、お見舞いのメッセージを頂戴し、私は本当に勇気づけられました。今でも、当時のことを思い出すだけで泣けてきます…

 その時、ある学年が、千羽鶴を折ってくださいました。その千羽鶴は、マナーズの卒業生だけではなく、あるカトリック校の1学年に広がり、千羽という数になったのです。
 マナーズの卒業生が教室でお友達に声をかけて、クラス全員で休み時間に鶴を折っていると、担任の先生が「どうして鶴を折っているの?」とたずねられ… 事情を知った担任会が、その学年全員で、ホームルームの時間を使って千羽鶴に取り組むことになった、ということでした。
 これもすごいお話でしょう?久しぶりにお話しますが…
でもね、出来上がった千羽の鶴を束にまとめるのも大変な作業です。それは、マナーズの卒業生のママ達がしてくださり、そして、それを終えた時、私にご連絡が来て、私は菊名駅の改札前まで取りに行かせていただきました。
 説明が長くなりましたが… 私と夫が菊名駅改札前で待っていると(改札は、2階でした)、卒業生のパパとママ、そして、卒業生が大きな袋を持ち、階段を駆け上がってこられました。
 その時の3人の姿。
3人の姿からは、仏像の後ろ側にある光や火を表す「光背(こうはい)」が付いているように見えました。慌てて駆け上がってこられているのに、スローモーションのように見えました。
 その時の私には確かに見えた3人の姿が発する「光背(こうはい)」のようなパワー それが「気」なのだと思っています…

 そうです。「祈り」とは、人の心から発せられる「気」となり、必ず相手に、天に、届くもの… 天とは、それぞれの人が持っている絶対的な存在?でしょうか。神様だったり、仏様だったり、帰依している信仰があれば、そこで語られる絶対のもの、かな。
 それがあの時以降、私が信じて疑わない強い思い、です 
だから、私は願掛けや「お守り」というものを信じ、「お願いします叶えてください」という「欲、中心的なこと?!」もしつつ、祈るという私の信じる「尊い行為」もするのです。

 「この人、何言ってんの」「頭、おかしいんじゃない」と思われましたか?良いのですよ、そう思われても。決して気分を害したり、腹を立てたりはしません。おかしいのかもしれませんからね 20日に書いた「ジュエリー・マナーズについて」の中でも、ジュエリーが発する不思議なパワーについて触れたでしょう?この「祈りの話し」も「ジュエリーのパワー」に関しても、奇しくも私が体験から得た摩訶不思議な経験です。
 だから、私は信じています。
 けれど、「」「」と思われる方がいても、決して不思議ではありません。どうぞ笑い話として読んでくださいね

 ただね、人はみな、いつか?どんな時か?はわかりませんが、「人事を尽くして天命を待ちたい」と願う時や、願うことが出てくる…と思うのです。
 そんな時には、私は必ずご一緒に祈ります 私には、大きなパワーはありませんが、ご一緒に祈ることは出来ますから。
 1月、2月、3月、この時期は毎日、祈ります。マナーズの卒業生達が「人事を尽くし、天命を待つとき」のために。
 まずは、2月1日、中学受験生がんばれ

 

 

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みなさまへの「お礼」と、私からお伝えしたいこと

2024年01月20日 | 教室の近況報告

 66歳を迎えてから10日間が過ぎました。

 66歳・・・私が子どもの頃は、66歳と聞くと、即「おばあさんだなあ」と感じたものです。
私も夫も、比較的年齢よりは若く見られるほうではありますが、私自身は「歳をとること」を全く嫌っているわけではありません。何と言っても、私の持論は「私は死ぬ時が、一番自分が成長して、素敵になっている時だと思う」ですからね。
 まあでも、最近は「身体的な老化」を常々感じます。ひどくはならなくても、すぐに風邪かな?と思う症状を招くいたり、風邪を引いてしまうと、しっかりお薬を服用しても治りにくい、等々。見た目はどうであろうと、私の臓器も四肢も、66年間一日も休まず、私のために動いてくれているわけですものね、当然のことでしょう。一層、これからはいたわってあげることにします
 昨年末に日吉のお部屋のオーナーさんに鍵をお返しして、ちょうど1ケ月が過ぎました。1階玄関横の看板は、あのまま上に新しいものを貼り、お使いになるとのこと。
 ちなみに、あの3階のスペースは、オーナーさんのお知り合いのヨガ教室になるそうです。

 さて。
今日はあらためて、みなさまへのお礼の思いを込めて、もう少し、私の思い、教室のお話を書かせてください。とーっても長くなることをお許しください
 でも、一つお願いです お読みになるのが途中でお嫌になっても、すぐにブログを閉じてしまわずに、どうぞどうぞ飽きたところからはスクロールをして、「留学を思い立たれたら」「ジュエリー・マナーズについて」や「ライフ・マナーズについて」という最後のほうの項目には、是非とも目を通していただけるとうれしいです
 ある意味、私がマナーズに身を置いたこの30年間の中で「私が手に入れたもの」「私のたどりついた思い」であり、みなさまにも便利に使っていただけたり、シェアしたりできるもの、だからなのです。どうぞよろしくお願いいたします

 それで、まずはお教室について。
 幼児教室マナーズは、1994年の3月、綱島駅から徒歩7,8分のところにあるワンルームマンションからスタートしました。当初は、私を含めて4人で始めました。
 他3人の方々は、いずれもご自分のお子様を私立の小学校に通わせているママ達。彼女達は「何も投資は出来ないけれど、南坊さんが教材を作ってくださって、こんな風に教えようと思う、って指示してくれたら、自分の都合の良い日を見つけてお手伝いに来るわよ」と助っ人を申し出てくださいました。私自身、すべて自分一人でやっていく、ということに自信も持てませんでしたので、彼女達の言葉は大いなる安心となりました
 でも、保護者会があったり、お子様やご自分達のお稽古事があったりで、なかなか3人の方々のご都合とクラスの開講の日は合いませんでした そのうちに生徒の保護者さん達から「ちょっと申し上げにくいんですが…〇〇先生ではなくて、南坊先生に担当していただく…なんていうのは、無理でしょうか?」という私にとってはありがたいリクエストも出てきたりで、クラスの運営そのものよりも「中の人間関係」に非常に気骨が折れました
 それに、1994年のスタート当初はインターネットもなく、生徒募集は少ない口コミ。思うように広まってはいきません。これではどうにもならない!と一念発起して、私は手書きの生徒募集のチラシを書いて、それをコピー。
 夜、綱島や日吉のマンションにポスティングする、ということもやってみました(こんな経験から、私は今もポストに入っているチラシをポイっとは捨てず、必ず一度は目を通し、それから捨てるようにしています、笑)…が、こんなことだけではすぐに生徒は集まりません。困り果てました
 ただ、「自分で考え、自分で決め、自分で行動できる子どもを育てたい」「お受験という言葉に踊らされることなく、受験を成長のチャンスにして欲しい」という強い思いだけは青い炎のように燃えていてね。
 当時の私は30代半ば。若かったし、何よりも未熟だったのですよね。なので「親子共に疲弊する、詰込み式と思える大手のお教室のやり方」に対して、非常に攻撃的な、挑戦的な勢いで物事を考えていたものです
 生徒募集が上手くいかないことに頭を痛め、助っ人さんママ達からの報酬の要求に焦りの思いでいっぱいいっぱいになると、「〇芽会」や「ジャッ〇」や「どんちゃ〇」のお教室の前で「檄文的なチラシを配り、生徒募集にしようか」なんてことまで考えたものです。ほんと、そんな馬鹿なことをしないで良かったあ、と今思い出しても冷や汗です
 まあでも、思いばかりが先行しても、事態は改善されるわけもなく… 手弁当でせっせと教材づくりをする私と、他のメンバーとの温度差は大きくなるばかり。
 とうとう「私、ボランティアはするつもりはないのよ」とはっきり言ってくださる助っ人さんママもいて…目が覚めました

 幸い、当時から私の考えに賛同し、支え、応援してくださる生徒さん家庭もありましたので、あらためて覚悟を決めた私は、綱島のワンルームを解約。「私一人で、菊名の自宅でやっていくこと」を決心しました 
 その話をした時には、助っ人さん達は本当にホッとされていて…今、あらためて思い返しても、あの方達には夢だけを見させてしまって、申し訳ない思いをさせてしまったなあ、…と思います

 まもなく、インターネットが各家庭に少しずつ普及していく時代になりました。とは言え、当時は、インターネットの回線と電話回線は同じだったので、インターネットを使うと、電話は使えない、なんて時代でね。
 それに、パソコンの立ち上げに3分はゆうにかかる…というような時代でしたから…。想像も出来ないでしょう?今なんて、スマホさえあれば、海外にいてもタイムリーに人と人とがつながっていられるんですものね。
 30年前は、インターネットで言えば石器時代のような時代だったわけです
 でも、「インターネットはこれから、画期的なツールになるはず」と思った私は、たくさん本を買ってきて、自学でホームページの作り方を学習し、毎日、毎日、いろいろとコンテンツを書きました。そして、書き上げるたびに自作のホームページにアップしていきました
 そのアップロードにも四苦八苦。当時、夫はジャカルタに単身赴任をしていたため、パソコンに明るい人は側におらず、自分でやるしかありません 本に書いてある通りにやっても、なぜかうまくいかない 子ども達が寝た後、夜中、泣きながらパソコンと格闘した日々…本当に泣き笑いするような良い思い出です
 まだまだ大手の幼児教室でも、独自のホームページを持っていなかったような時代でしたので、手作り感満載の、私の自作のホームページではあっても「幼児教室マナーズという存在を紹介する」という意味では、私の想像をはるかに超え、著しく威力を発揮しました「ホームページを読みました」と、一気にお問い合わせが増えたのです

 この時期になると生徒さんも徐々に増えてきて、自宅のリビングで…は難しくなり、自宅マンションの集会室を借りることになりました。日頃から管理人さんと仲良しにしていたことが功を奏しました、笑。そこで7,8年、クラスを続けたでしょうかねえ…
 さすがに、この頃になると自分の意識の中でも「幼児教室マナーズの南坊先生、まどか先生は、私の天職かもしれない」という新しい覚悟が生まれていました。
 そして、集会室のような仮住まいではなく、菊名の駅前、電気屋さんの2階のスペースに移動。そこで10年。それから、日吉のお教室へ移り、10年… 
 こんな風に書いてしまうと、30年もあっという間、です。さあ、みなさんは「どの時期」に来てくださっていたのでしょうか。自宅のリビング?集会室?それとも菊名?日吉、でしょうか。

 ここで、もう一つ、マナーズにとって大きな意味を持ったお話を。
 じつは、最初の5年間は、クラスは「平日の午後」にしか設定していませんでした。そう、土曜日にはクラス設定をしていなかったのです 
 どうしてかって?はい、なぜならば、当時はまだ「仕事を持つママのご家庭が、小学校受験を考えることはレアなケース」だったからなのです
 でもね、ここで忘れもしない出来事が起こります。幼児教室マナーズの大きな「転機」となる出来事
 私の手作りホームページを見て問い合わせをしてきてくださったEさん。当時はまだ、Eメールもそれほど普及はしていなかったので、お問い合わせは「電話」でした
 そのEさんはこんな風に話してくださいました。
 「ホームページのコンテンツにはすべて目を通しました。どの項目にもウンウンと頷き、大変よく理解でき、先生のお考えに共感しました。前向きに入室を考えているけれど、私には仕事があるので、入室面談でお目にかかるのは、仕事を終えた夕方か、土曜日にお願いしたいのです。どうぞよろしくお願いします。」
 私は、最初は「」の思いでしたが、それでも私の思いに賛同してくださり、熱心に話してくださるEさんにお目にかかりたい、と思いました。
 そして、少しでもEさんのご負担を軽くするべく、新横浜駅近くのホテルのロビーを指定し、午後4時半にお目にかかりました。

 現代は、何よりも個人情報が重んじられる時代です。学校でも生徒や先生の名簿などはないのが当たり前。
 そんな今を生きるみなさんは驚かれるでしょうが、当時、入室面談は、平日の午前中に「私の自宅のリビング」で行っていたのです。私のお気に入りのお紅茶を一緒にいただきながら
 Eさんは、私の書いたコンテンツを熟読してくださり、本当によく理解し、賛同してくださいました。とっても聡明で素敵なママでした。同時に、その当時の私からすると「あまりお目にかかったことのないタイプのママ」でした。そのママが発する空気感…いかにも「仕事をしている社会人女性」という方でした。
 こんな風に当時のことを思い出しながら書いていると、何と私の世界も見識も狭かったことか 本当にお恥ずかしい限りです

 そのEさん、面談の終盤、こう言われました。
「南坊先生、どうぞ土曜日にクラスを作ってください 今のように平日にしかクラスがなければ、私のような働くママの家庭ではマナーズに通わせることは出来ません。先生のお考えに賛同される働くママ達もたくさんいらっしゃると思います。どうぞ、そんな働くママの家庭のために、土曜日にクラスを作ってください
 それを聞いた私は「やられたー…」という感覚でした。Eさんのお言葉は、「お願い」とか「要望」というよりも、何と言うのでしょうか…「直訴」「歎願」の響きがありました。
 その時点では即答は控え、私はお返事を持ち帰りました。
キッチンに立っている時も、お風呂の中でも、お布団に入っても…考えました。なるほど、働くママか… 今まで、考えたこともないこと、でした

 いかがですか?
 このお話の内容に、否、「当時の私」に驚かれたでしょう?このEさんがおいでにならなければ、もしかしたら、その後何年間も、マナーズのクラスは平日にしかなかったかもしれません。そして、それまでの私の狭い狭い見識が、その後も長い間、旧態依然として残ったままで、マナーズはもっと早くになくなっていたかもしれませんね。

 まさに、私の娘は「ワーキングマザー」です。5月1日生まれの孫は、年明け早々に1歳8カ月になりましたが、すでに保育園生活も9か月目に入っています。
 ここ10年ほどは「働くママ達の味方です」を豪語していたまどか先生。年月が流れ、時代が変わった…とよく私はいろいろなところに書きますが、「一番変わったのは時代ではなく、私の意識。硬い私の頭」だったのかもしれません

 幼児教室マナーズの、足かけ30年間の歴史。どんなに時代が流れても、毎年、私の思いに賛同し、信頼してくださり、しっかりとついてきてくださった保護者のみなさん。
 そして、マナーズを巣立たれても、いつも私を支えてくださった卒業生家庭のみなさま方に恵まれたからこそ、今の私が存在しています これは、決して過言ではありません

 高校を卒業した翌日から「引きこもり」になった息子がいた3年間も…
 私の無理解を理由に娘がプチ家出をした時も…
 息子が心臓の大手術で命が危ぶまれた時も、大動脈解離で突然入院した時も…
 夫の食道ガンが発覚し、大変な陽子線治療と抗がん剤治療をしていた時も…
 健康体だった母があっという間に亡くなった時も…
私が平常心を保ち、笑顔で毎日を過ごせたのは、私が「まどか先生」として存在していたから、です 在室生、卒業生、その保護者のみなさまからの応援と支えによって私はこの30年間、充実した一日一日を、笑顔で送ることが出来ました。すべてすべて、みなさまのおかげです
 未熟な私を慕い、信頼してくださり、愛情をもって支えてくださったみなさまに、あらためて心より深く、深く感謝いたします 本当に本当にありがとうございました

 今日、こうして30年間のお礼を申し上げると共に、私のもう一つのライフワークとなっている「ジュエリー・マナーズ」について、あらためてお知らせをさせてください。
 そしてまた、今後何かのお役に立てていただくために、「ライフ・マナーズ」について、そしてもう1点、お子様の「留学」についてもお知らせをいたします。

 私の夫は現在の脱炭素の現在の仕事に復帰するまで10年間、留学の仕事に携わりました。留学自体、現代ではここまで普及し、一般化されているにも関わらず、業界としてはまだまだ成熟には至っていない「留学事業の業界」について、図らずも知ることとなりました。
 たとえ留学そのものに問題が生じなかったとしても、知らぬうちに留学に携わる企業の暴利の犠牲になっていた、ということもしばしばです。
 そういう意味からも、お子様の留学をお考えになる時には、たとえそれが1週間や10日間というような短期留学であったとしても、信頼のおける留学業者選びをすることは非常に大切なことです。

 下記2つの企業は、2社共に夫と一緒に仕事をされていた方が代表を務める企業で、私も長年お親しくしています。信頼できる企業です。
 お子様の留学をお考えになった時には、一声私にお声をおかけいただくか、それが面倒であれば、直接、下記の2社にご連絡をいただき、南坊からの紹介だとお伝えください。

  • 大学生、社会人、大人の留学 「YOHAKU」
    https://yohaku-support.jp/

「ジュエリー・マナーズについて」                                          

 じつは、私は2005年より六本木に本社を置く(株)内原(ショールーム「ガレリア UCHIHARA」http://www.galleria-uchihara.com/)のジュエリー全般を扱う仕事をしております。幼児教室とは大きく畑違いの業種ではありますが、このジュエラーとしての仕事も、私の大切なライフワークの一つです。
 (株)内原は、1920年に大阪で創業。すでに創業100年を越える宝石卸商の老舗で、高島屋をはじめとする全国のデパート各社、大手宝飾店、高級セレクトショップ等にジュエリー全般を卸す企業です。
 2006年には、自社のオリジナルブランド「SA*BIRTH(サバース)」を立ち上げ、南アフリカ共和国、ボツワナ、ナミビア、レソト、等、Southern Africaの国々でしか産出されない希少性の高い、最高品質のダイヤモンドだけを使い、採掘、輸入、デザイン、製作まですべて自社で行う事業も展開しています。(SA*BIRTH(サバース)は、このSとAの頭文字。誕生という意味のBIRTH で出来たブランド名です)

 2005年当時、私はまだ「高校生の頃から宝石に興味津々だった、ジュエリー好きのオバサン」でしかなく、自由にこの(株)内原のジュエリーを扱えるという「真の価値」を全く理解できていませんでした。
 しかし、内原の小売商としての立場で、数多の世界最先端ジュエリーを見る機会に恵まれ、どんどん目を肥し、専門的な知識を身につけていくうちに「私は大変恵まれた立場にいる」という幸運を強く実感できるようになっていきました。そのジュエラーとして積んできた足かけ20年の経験によって、身の回りの友人知人、そして幼児教室マナーズの卒業生家庭、マナーズの縁者の方々にも大いに喜んでいただける今日があります。
 ただ、教育者の立場でありながら、どうして宝石商でもあるのか?の点を正しくお伝えしなければ、「いぶかしい人」と受け止められかねません。これは全く私の本意ではなく、宝石商になった真意が伝わらず本末転倒。説明が長くなることをお許しいただき「なぜ私が宝石を扱う仕事をすることになったのか?」「どうしてこんなにも熱心に、真剣にジュエリーと向き合うのか?」の経緯についてお話をさせてください。

 まずは「なぜ私が宝石を扱う仕事をすることになったのか?」ということ。
 私の夫は、早稲田大学理工学部資源工学科(現在の環境資源工学科)出身で、現代ではすっかり嫌われ者となった「石油や石炭」という化石燃料を専攻していました。現在は、世界一の石炭産出国、オーストラリア主導で行われている二酸化炭素削減の世界的プロジェクト「CO2を地下に埋めるCCS(Carbon Capture Storage)」の仕事をしています。
 大学卒業後、夫は北海道の炭鉱で4年間勤務。地下1000mの坑道で爆薬を運び、三交替で石炭を掘り、命が危ぶまれる事故にも何度も遭遇!この手の話も興味深いですが、これはまた別の機会に。

 石炭は昔「黒いダイヤ」と呼ばれました。夫は、その黒いダイヤに携わる仕事に就きましたが、学科の友人の中には、正真正銘「ダイヤモンド」を扱う企業に進まれた方もあったのです。そこが宝石の卸商(株)内原でした。
 ダイヤモンドも他の宝石も「地下に眠る鉱物」。鉱物学的には石炭と同じです。結婚後、たまたま私が無類の宝石好きであることを知った夫の友人の紹介で、(株)内原との縁が生まれました。
 それから約20年間は、私は内原が主催するジュエリーフェアに「招待される客」でした。
 当時の私は、二人の子ども達の子育てに孤軍奮闘する母親であり、子育てをすこぶる楽しみながらも、時々ふっと「私は社会から隔絶されている…かな…」と感じている専業主婦の暮らしでした。
 そんな私にとって内原主催の「宝石の華やかなフェア」は、日頃のストレスを忘れる夢の世界でした!
 世界各国から集まる最新のデザイン、高い品質のジュエリーの中に身を置き、原石採掘の話、細工やカットの歴史や工房での裏話など、いろんな話を聞けることも楽しく、会場で眺めるジュエリーは商品というよりも「伝統ある世界の技術の結晶、豊かな作品」でした。

 私は子どもの頃から「美しい宝石」が好きだったのですが、実家に出入りしていた「時計屋さん兼宝石屋さん」が持って来る指輪を見ること、デパートの外商から招かれ、母と出かける宝石の展示会で宝石を目にするだけ。
 特にデパートの外商主催の展示会では何の学びもなく、並んでいる宝石はあくまでも「商品」。外商の担当者や売場の方が教えてくれるのは、宝石の名前と大きさ程度。
 今思えば、ホテル等で開催される展示会では、担当者にはその日の販売のノルマがあり、あの手この手、来場客が購入に至るまで必死になるのは当然のこと。
 そこは販売員にとっての戦場であり、お客が「宝石について学ぶ」場であるはずはなかったのでした。
 しかし、内原の展示会、ジュエリーフェアと呼ばれるものは、私が独身の頃に経験した宝石の世界とは大きく趣の違うもので、内原の展示会に並ぶジュエリーの数々は、単に装飾品という「商品」ではなく、一つ一つが「物語」を持った愛しいもののようでした。
 何より内原の展示会で驚いたことは、どんなに高価なジュエリーでも、すべて手に取り、身に着けることを勧められることでした。
 「ジュエリーの素晴らしさは眺めているだけではわかりません。どうぞ身に着け、鏡の前に立って下さい。ジュエリーの真の美しさ、宝石が持つパワーを感じて頂きたいです!」
 と言われました。ジュエリーへの深い愛情、敬意、そして豊富な知識!私は心底、内原の方々の姿勢に感動しました。

 そんな私に大きな転機が訪れたのが、2005年。
 ある日の展示会で、偶然にも内原の社長や役員の方々とご挨拶をする機会に恵まれました。20年来の招待客としてではなく、その日あらためて「幼児教室マナーズ代表 南坊まどか」の名刺を出しご挨拶をし、こんなことをお伝えしたのです。
 「私は毎年、たくさんのお母様達と接しています。子育て真っただ中の母親達は、仕事、キャリアを持つ母親でさえ、最大の課題は子育てであり、一人の女性として美しくありたい、輝いていたい、という意識はそれほど高いとは言えません。でも、それはとても残念なことだと気づいたのです。
 何とか私は、世の中の母親達、仕事に翻弄されているすべての女性達を、美しく輝かせるサポートがしたい!宝石は、そのための必須アイテムだと思います!
 アクセサリーは、表面上の見映えをよくするためのアイテムですが「宝石」は違う!
 宝石を身に着けると、女性は皆、凛とした優美な感覚に包まれます。緊張感に似たその感覚は、内面から湧いてくる喜びとなります。本当に良いもの、高い価値のものを装うと、女性達は間違いなく表情も、立ち居振る舞いも違ってきます。
 女性の美しさとは年齢を問わず、身も心も輝いていること!
 意識の高い女性達に、こういう私の思いを伝え、宝石を、良いジュエリーを正しくご紹介したい。教育者としての私の立場は邪魔にはならないはずです。美しく輝く素敵な女性を増やしたい!
 それが私の夢であり、宝石好きである私の使命ではないか?!内原のジュエリーに触れていて、私はそう感じるようになりました!」

 これは、妻として、母として、幼児教室マナーズ代表として培われてきた私の強い「宝石への思い」「女性観」「私の夢」。唾を飛ばす勢いでの熱弁でしたが… 数日間は落ち込みました。私は独りよがりの空回りをしたのではないか?全くの異業種の仕事をしている私の熱弁は、単なる滑稽な道化だったに違いない…と、羞恥心でいっぱいでした。

 ところが!
 幸運にも、その熱弁は道化ではなく、役員の方々のハートを射止め、心を動かすこととなり、3ヵ月後、私は内原のジュエリー全般を、いつでも自由に扱えるライセンスを手にしたのです!
 「ジュエリーに、深い理解と愛情を持った南坊さん。是非とも、我が社が扱う世界のジュエリーを、多くの女性に紹介してください!」と。
 これも不思議なご縁だと、深く感謝しています。
 図らずも、あの日から私は、日本中のデパートやセレクトショップと同じように、「内原の宝石を自由に365日扱えるジュエラー」となりました。
 これが「ジュエリー・マナーズ」誕生の顛末です。

 では第2点。「どうしてこうも真剣に、熱意を持ってジュエリーと向き合うのか?」ですね。
 私の息子は2009年の12月、重篤な心臓病が見つかり、大手術の末、命を救っていただきました。
 その手術を行った心臓血管研究所附属病院は、現在「メルセデスme」のある場所。奇しくも内原本社の50メートル先でした。
 入院中の我が子と宝石とがあまりにもかけ離れたものに思え、病院と内原本社が目と鼻の先ではあっても、なかなか内原の前を通る気持ちにはなれませんでした。
 ところがある日のこと、なぜかふっと前を通ってみようと思い… 私は久しぶりに内原の玄関前を通って帰宅することにしたのです。
 その日の「ガレリア UCHIHARA」の玄関には大きなクリスマスツリーが飾られ、「クリスマスジュエリーフェア」の看板がありました。
 「ああ、今日はクリスマスフェアなのだ。地下のホールには美しいジュエリーが並んでいるのだな…」
 息子の手術をご存知だった内原の私の担当者は、展示会の案内を控えて下さったことは想像に易い… 会場いっぱいの宝石のまばゆさが想像できました。
 さすがに超ジュエリー好きの私も心が消耗し、息子の罹病以降、宝石から遠ざかっていましたが…

 あの日、内原の玄関前を通ると、偶然にも自動ドアが大きく開く…すると、中から一気に熱気?大きなパワー?エネルギー?がワーっと出てきました。
 ええ?何それ?意味不明!と思われるでしょうか…
 そうですね… もし、この時の様子をCGで描いたならば「パワーは大きな塊の水あめ」のように描かれたでしょう。
 私はその熱気に最初はグワッと押され、次はその「パワー水あめ」に包み込まれたように感じました。とても感覚的な出来事で、上手く伝えるのは難しく、もどかしいのですが…
 でも、私は電車に乗ってからも、そのパワー水あめの感覚が忘れられず、まだそれは私を包んでいるようでした。「何なのこれ?これって、ジュエリーからのパワー???」

 帰宅後、私はおそるおそる宝石をしまっているタンスの引出しをゆっくりと開けました。
 すると!その開けた引き出しからも、内原の玄関前と全く同じパワーが溢れ出てきたのです!驚きとも感動ともつかない感情。
 肩で息をするように、急かされるように、息子の入院以来2ヶ月以上、引出しの中でずっと眠っていたお気に入りの指輪やピアス、ネックレスを身に着けました。
 そして、大きな姿見の前に立ってみました!

 不思議でしたねえ… そこに映ったジュエリーを装った私は、明らかに、つい先ほどまでの心身共に疲労困憊し、カサカサと、やつれた容姿の私とは「違う私」でした。
 私は別の指輪やピアス、ネックレスを付け、その度に自分を鏡に映しました。なぜか、涙が止まりませんでした…
 その時、私は初めて気づいたのでした。
 「ああ、宝石というものは、大地が創りだしたパワーストーンだったのだ!」と。
 「アクセサリー」は身を飾るファッションアイテムだけれど「宝石、ジュエリー」は全く別物なのだと。

 宝石とは、地球誕生の太古から、いくつもの偶然や奇跡が重なって誕生し、長い年月をかけて自然の中で形成され、それが奇跡のように偶然にも人の前に現れ、目に留まる!そしてそれぞれの時代、年代、それぞれの地域の数多の知恵と技術によって美しいジュエリーへと姿を変えてきた!
 5000年前の古代のエジプト然り、インカやマヤ然り、中国然り、日本の勾玉然り。
 時代が下って、ヨーロッパやイスラームの世界で花開いた、高貴で美しいジュエリーの文化!
 古代から現代に至るまで、宝石というものに摩訶不思議な秘められたパワーやエネルギーがあったからこそ、人々に尊ばれ、崇められ、愛され、時には権力や富の象徴となり、同時に様々な災いから身を守る「魔除け、厄除け、御守」として重用されてきた…「宝石とは、単なる身を飾るアイテム、装飾品ではないのだ」ということを、図らずも私は、自分の経験から身をもって体感し、得心したのでした。

 その翌日から、私は毎日、しっかりとジュエリーを身に付け、ジュエリーがもたらしてくれるパワーに心から感謝し、息子の病院に通い続けたことは言うまでもありません。
 あの日以降「すっぴん」の日はあっても、ジュエリーを身に付けない日はありません。
 多忙を極め、心身共に疲労困憊の時、心配事でパワーダウンしている、という時などは、敢えて大きめのジュエリー、華やかなデザインのジュエリーを選んで身に付け、自分を鼓舞し、宝石、ジュエリーのパワーをもらって過ごします。
 確かにジュエリーは「身を飾るアイテム」です。
でも、ジュエリー、宝石の真価は、装飾品という意味以上に、「人を邪気から守り、人の気持ちを鼓舞し、心を癒すもの」である、と実感します。そう、アクセサリーとジュエリーとは「全く異質のもの、別の意味を持つもの」なのです! 

 私は是非ぜひ、多くの方々にその事をお伝えしたい!
 それが、私が真剣にジュエリーと向き合う意味です。
 そしてもちろん、30年間、小学校受験の世界に身を置き、毎年毎年、多くのご家庭の真剣なドラマに深く関わってきた私にとって、毎日身に付けるジュエリーは、必要不可欠な「魔除け、厄除け、御守」であり、最高のパワーをもたらし、常に私を奮い立たせ、私を芯から癒す「縁起物」でした!

 世間では「女性はジュエリー好き」と思われていますが、実際にはそれほど身近なものとは言えないでしょう。デパートの宝飾品売場は大抵ガラガラ。〇〇記念日にハイブランドのお店を訪れ、買い求めようとする人はいても、見知らぬ宝飾店で目に留まったものをウインドウから出してもらい、身に付けて試す…という人は、よほど勇気のある人です。
 親しい方から宝石の展示会に誘われ、興味があったとしても「行けば手ぶらでは帰れないかも…」「きっと勧められて、買わされるのでは?」と二の足を踏む… それが多くの女性が「宝石は敷居が高い」「ジュエリー?興味はありません。」と言わせてしまい、食わず嫌い的にジュエリーを遠ざけてしまう所以だと私は考えます。とても残念に思います…

 宝石は高価なものです。だからこそ、目を肥やすチャンスは大切です。
 まずは、ジュエリーの真価を体感するために、興味津々でジュエリーを眺め、目に留まったものを臆せず実際に身に付け、全身の映る大きな鏡に映った自分の姿にうっとりとし、ウキウキとジュエリーフェアを楽しむ!そういう機会をたくさんご案内したいと考えています。
 まずは見ていただきたい!楽しんでいただきたい!それが私の願いです!

(株)内原主催のジュエリーフェアでは、普段使いできるカジュアルなものから、〇〇王室御用達というようなジュエリーまで、世界中からやってくるジュエリーが数多く揃います。もちろん、日本の信頼のおける技術の高い工房からの出展も数多くあります。
 宝石には、実はいろんな伝説や逸話もありますし、産出地の歴史や変遷、苦労話まで、たくさんのストーリーとドラマがあります。
 まずはたくさんのジュエリーを見て知る機会を楽しんでください。
 ヴェテランの内原のバイヤー達は、いつも世界中を飛び廻り、ジュエリーを集めています。
 数年間のコロナ禍であっても、内原と各国のブランドとの長年の信頼によって世界中をリモートで繋ぎ、ジュエリーの仕入れは問題なく展開されてきたのですよ。
 ということで、ジュエリー・マナーズは「365日 いつもOPEN」しています!

 よく「ジュエリーが試せる、見られる、購入できるのは、展示会の時だけ」と勘違いされる方がおいでになりますが、それは大間違い。
 ジュエリー・マナーズは「365日 いつもOPEN」です。
 「自分へのご褒美にジュエリーが欲しい」「記念日にジュエリーを考えている」「贈り物としてジュエリーを探している」etc.
 そんな時には、ジュエリーフェアのタイミング以外でも、いつでもお声がけ下さい。「何をお探しなのか?」「どんなデザインがご希望か?」「どんな石をイメージしているのか?」「ご予算は?」等々、お知らせいただければ「ジュエリー・マナーズ」の担当者が責任を持ってお探しします。

 当然ですが、ジュエリーフェアに出展される宝石も、ご要望に応じてお探しする商品も、市場よりもはるかにお求めやすくご案内することは言うまでもありません。
 何せ私は「大阪の中小企業の創業者の娘」ですからね。「良いものを安く」のポイントは外せません、笑。
 内原が主催するジュエリーフェア、展示会は、年に5回~10回程度です。六本木の内原本社ビル、地下2階のホールで開催されることも、外部会場で開催されることもあります。
 本社ビルで開催されるフェアの代表的なものは、「春と秋の保税展*注」、外部会場で催される代表的なものは「ガレリアフェスタ」等です。

 このフェア開催のご案内は、個々にメールでお知らせをすることもありますが、基本的にはこの「クラブマナーズ・ニュース」にて必ずご紹介しています。
 約1ケ月前からご紹介をし、フェアが終わると、その時の様子や感想もお知らせすることもあります。特に、保税展は開催期間が1か月間と長く、私が会場に出向く日も何回もありますので、会場でお目にかかれることを楽しみにしています!

 *注 保税展とは?」
 世界の宝飾業界では、いくつかの代表的な宝飾見本市(ジュエリーショー)があります。
香港の「香港ジュエリー&ジェムフェア」、イタリア ヴィチェンツァの「ヴィチェンツァ オロ」、スイス バーゼル「バーゼルワールド」等は、伝統と権威があります。
 内原は、それらの見本市に自社ブランド「SA*BIRTH」を出展すると同時に、そのフェアに出展している世界の工房、企業と直接交渉し、そこからジュエリーを「約1カ月間お借り」して開催すのが「保税展」です。
 
 基本的に、海外からの「商品」とは、輸入をした商品、各企業、各店の「在庫」。
 どんな企業も在庫は長く抱えたくはなく、当然「売れるもの」「売れる見込みのあるもの」「売れ残らないもの」を仕入れます。
 しかし、保税展に並ぶものは、「借り物」ですから、バイヤーが是非とも紹介したい!と目に留まったものを交渉、保税展に並べることが可能となります。
 こういう理由で、保税展では美術品のように奇抜なもの、デパート等の輸入商材では絶対に目にしないものに出会うことが出来るのです。
 とは言え、会場には「超奇抜、超高価」なものばかりではなく、カジュアルで普段使いできるものもたくさん紹介されます!…が、やはり、普通の輸入商材にはない「ひとひねり」の、デザイン性、希少性の高いものが紹介されます。
 「こんなジュエリー、今までデパートでも見た事ないです~!」とよく言われますが、それこそデパートこそ、長期間の在庫は絶対に抱えなくないと考えているところです。必ず売れる!というような、定番のブライダルジュエリーのようなものに力が入るのです。
 そして、このような理由から、私達が普段「宝石だ、ジュエリーだ」と思っているもののデザインは、日本独特の比較的「個性に乏しい、昔からの定番のデザイン」となっている…のですね。

 会場のジュエリーは、通関前ということで、すべて米ドル表記。時には電卓を片手に、会場を見てまわる楽しさも、保税展特有のおもしろさです。
 もちろん、保税品は購入可能です。
 購入する場合は、その日の為替レートで円に換算。通関後、お手元にお届けいたします(通関費用は内原が負担)
 サイズ直し、その後のメンテナンス等も内原が承ります

 保税展に並ぶジュエリーは、実際には東京税関の管理下にあり、税関によって認証、許可された「保税蔵置場」のみで保管可能です。
 内原の本社地下2階のホールは長年の宝石輸入実績が認められ、1995年、「保税蔵置場」に指定されました。
 こういう事情からも、保税展は東京以外では開催されず、一般には公開されません。
 入場には東京税関への申請が必須となりますので、ご来場予定日の3日前までにご連絡ください。

 保税展で購入されなかった商材は、会期終了後は各国の工房に帰っていきます。
幸い次の保税展に出展されるものもあれば、その回限りで二度とやってこない、という場合も少なくありません。世界のジュエリー達との「一期一会」。これも保税展の醍醐味です。

 (株)内原のショールーム「ガレリア UCHIHARA と本社は、外苑東通り、メルセデスmeのビルを、50mほど青山一丁目方面に行ったところです。(東京メトロ千代田線「乃木坂」より徒歩1分、日比谷線「六本木」より徒歩8分、大江戸線「六本木」より徒歩5分。)


「ライフ・マナーズのご案内」 
                      

 幼児教室マナーズご入会時、私はみなさまに所定の「傷害保険」に加入していただくよう、お願いいたしました。それは、通塾時の事故、通塾期間中のトラブルに備えて、ご安心いただけるように、との思いからです。
 1年間の掛け捨ての保険をわざわざ、何でお稽古事に?とお考えになるご家庭も多いであろうと理解しつつ、どうしてそうしていただいているのか?それは、私の60余年の人生で「思いもかけなかった出来事」が起こり、様々な「痛い目にあった」経験から学んだ多くの戒めに基づいています。

 もし、私が昔から「保険」と言うものの意味を真剣に知り、真面目に向き合っていたならば、私は思いもかけなかった出来事に遭遇しても、経済的にも、気持ちの上でも、痛い目は最小限に留められたに違いありません。
 大切な家族が不慮の事故に遭い怪我をしたり、突然の病気で入院や手術をすることになった時、心は大きなダメージを受けます。そしてその上に、決して軽くはない経済的なダメージが続いてやってくる…そんなダメージは、小さければ小さいほうが良い!そう思われませんか?

 私の惨事は、「無関心と無知」が招いた経済的な惨事です。思い返すたび、自身のバカさ加減に苦笑を禁じ得ません。
 現代は、テレビを点ければ「医療保険」「生命保険」「損害保険」等々、本当にたくさんの国内外の保険のCMが流れています。世の中の人は、溢れているCMを目にしながら、何となく気に留めつつ、なぜか「またの機会に。また今度」と、真剣に考えることを先延ばしにします。それはなぜでしょう?
 私達は日頃から、「これは、まあ保険として(*^_^*)」というふうに、様々な場面で「言葉の比喩」で「保険」という言葉を使いますね。例えば「万が一の保険として、〇〇しておこうか。」とか「まあ、保険をかけたつもりで△△すれば安心なのじゃない?」等々。それなのに、本当の「保険」については、なかなか真剣に考えはしていませんよね。

理由① 
考えること、考え直すことが面倒。調べるのも億劫。誰かに相談するほどのことではないんじゃない?
理由② 
保険に入った時、担当者がなかなか強引?!で苦手だった記憶があり、それをまた経験する気にはならない。

 幼い頃からたくさんのCMを見続けていても、社会人になる前は誰もが「保険」には無関心で、多くの人は社会人になり、初めて保険に「触れる」経験をします。
 昭和の時代は、初給料を手にした時、保険会社のセールスと話し、勧められるままに契約した、とか、知人の義理で少額の保険に加入したけれど、自分では深くは理解していない、etc.
 しかし、それから5年、10年と年月が経過し、多くの人が結婚。家族が増え、マイホームを購入…と、大きな人生の変化を経験します。
 親の庇護下から巣立ち、10年、15年という年月は、男女を問わず、社会人として大きく成長していく時期であると同時に、人生でも「大きな変化」のある年月ですね。
 本来ならば、こんな劇的な変化があれば、そのつど身の回りの様々を見直し、万全の態勢で暮らしに臨むべきなのに、実際には日々の忙しさに流される… そして、家族が増えると、深い理解もなく、勧められるがままに「子どものための学資保険」等の新しい保険に加入。これが多くの家庭の現状ではないでしょうか。我が家はその典型でした。

 そんな状況の中、2007年の7月、主人は当時の趣味であったトライアスロンの合宿で沖縄県伊江島に行き、自転車の練習中に落車事故を起こし、骨盤と恥骨、肋骨を骨折。沖縄県立北部病院に1カ月の入院!
 沖縄の病院を退院して横浜に戻り、また3週間のリハビリ入院。
 まさに、夫の保険は就職時に契約した生命保険、その後、勧められるままに入ったガン保険だけで、医療保険やその他諸々の保険には未加入でした。

 現在は、クレジットカード付帯の旅行時や事故時の保険もありますが、不運にもその時は航空会社のマイル利用の特典航空券を使っていたため、クレジットカードの付帯保険の補償も一切なし。 
 もし、然るべき保険に加入していたら、沖縄と東京の医療費だけではなく、介護者である私の旅費や現地での宿泊費までカバー出来たのに、ということを、後々知ることに… 
 私にはクラスがありましたから、病院のある沖縄に行きっぱなしというわけにはいかず、8月のトップシーズンに8回も東京-那覇の往復し、そのたびホテルに宿泊。「もしこの医療保険に加入していれば、節約できたのに…」と教えてもらった時には、その節約しそびれた額を見て、唯々愕然。自分の無関心、無知を呪いました。

 その2年後、今度は息子が心臓の大手術。主人の怪我で医療保険の知識を得て、主人と私は適切な保険に加入しましたが、息子は医療保険には未加入。
 まさか20歳を過ぎたばかりの、健康そのものだった息子が急な心臓病を患い、大手術を余儀なくされ、何カ月も入院するなどとは考えもせず…これも浅はかでした。

 …とここまでが、2017年までの「バカ自慢、浅はか露呈」です。
 しかし、私達は再度、バカの上塗りをします。
 2017年6月、主人が食道ガンを罹病。でも「主人はガン保険には入っていた」と書きましたよね。そうです、主人はガン保険が発売されてすぐに、家族のためにといち早く、ガン保険に加入しておりました!
 しかーし!
 ガン保険が誕生した初期には、まだ「陽子線や重粒子線照射での治療」というような先進医療は開発途上で、現在では当然になってきているガン保険の「先進医療特約」というオプションなど付帯していません。
 ご存知かもしれませんが、主人は熟考の末、外科的な食道切除手術を選択せず、「陽子線照射と抗がん剤投与」を選択。
 ということは…主人は、健康保険ではカバーの出来ない陽子線照射の先進医療分を、自己負担しなければならなかった、のです。
 もちろん、沖縄での怪我以降お世話になっている私達のライフプランナーは「南坊さんのガン保険には、先進医療特約がついていませんので、現在契約中のガン保険を見直すか、先進医療特約のついた掛け金の安い外資のガン保険に加入しませんか、手続きは私が代行できますから。」とご提案くださっていたそうです。
 ところが、食道ガンを患う前の考えの浅い?意固地な?主人は、ライフプランナーに豪語!
 「あなたもご存知の通り、僕は毎日泳ぎ、毎週末に走り、しっかりと身体を鍛えていますからね。そのへんのメタボのおっさんとは違うんです、ハッハッハ!自分の年齢にしては健康体です!健康管理は万全。大丈夫です!」と。
 そして、ライフプランナーの適切な提案を拒否していた…このことを私が知ったのは、主人の食道ガンが見つかり、先進医療での治療を決めた後でした。またもやガーン!

 ここまでは医療保険に関して私達のおばか経験をお話をしましたが、生命保険でも「痛い目」はあります。生命保険に関してもお話をさせてください。
 ここ5年で義母、母も他界いたしましたが、存命中のお話です。
 だんだん高齢になっていく昭和生まれの親達が契約している「生命保険」も、ある一定の年齢を超えると、いろいろな補償内容が「秘かに」違っていきます。
 もちろん、実際には「秘かに」ではありません。契約時にもらった「蟻んこの行列」のような、虫メガネでしか見えないような契約書には記載されています。
 しかし、契約時には大きな補償だと思っていたものが、70代になると「あれ?」となり、80代になると「えっ、なくなるの?」ということが多々ある!
 ドーンと減額されてから「あれ?なんで?あんなに長い間、親は高額の保険料を支払っていたのになあ。」「全然、そんなことは知らなかった!」と思っても後の祭です。
 残念ながら保険会社は、みすみす自社が不利になることを、わざわざ知らせに来てくれることはありません。
 確かに「重要なお知らせ」と書かれた封筒が来たとしても、これもまた、丁寧に読まない人が少なくない…
 繰り返しますが、人は言います。「まあ保険として。」「転ばぬ先の杖として。」と。
 でも!転んだ時の杖が古すぎてもろかったり、短かくなっていたり、細くなっていたり。そんなことも確かにある!もちろん、転ばないことが一番ですが、誰だって転びたくて転ぶわけではないですからね。転んでから「あー…」と気づいても遅い。

 私が「ライフ・マナーズ」として、真剣にみなさまにご紹介、ご提案したいと思うことは、私の苦い様々な経験に基づき、『安心してスマートに生きる姿勢を整えておきましょう』ということ。
 今では、「保険を見直す」という考え方も広がり始め、「保険の見直しの会社」が町のあちこちにある時代になりました。まさに昔のように一社の保険を「言われるがままに契約する」のではなく、複数の保険会社から自分に合った保険を選ぶ、選び直す、という考え方ですね。

 しかし、私がみなさまにお伝えしたいことは「保険そのものだけを見直す」ということではありません!
「生命保険、医療保険、学資保険、傷害保険、損害保険、自動車保険」等々、それらの保険そのものに着目し、「保険」を考え直すのではなく、今の自分の収入、貯蓄、住宅ローンも含め、家族の現状をしっかりと把握した上で、家族みんながより豊かで安心な人生を歩んでいくために、親として、家長として、しっかりとしたライフプランを見直すこと!
 私や主人のように、痛い目にあってからその重要性を実感するのではなく、こういうことを決して後回しにしたりしてはいけない、ということです。こういうことは、本当に本当に大切なことですが、なかなか素人の力ではそれは叶いません。
 …ということで。私がしたいこととは、下記のこと。
*みなさまが安心して、適切なアドバイスを求められる、信頼できる人をご紹介したい。
*目に見える5年後、10年度、長い人生の絵を提示してくれるライフプランナーに出会って欲しい。*それを実現するための煩雑な手続き等を、一切を親身に代行してくれるプロ集団を紹介したい。
 これが、私の考える「ライフ・マナーズ」です。

(株)ブロードマインド 

〒150-0022  東京都渋谷区恵比寿南1-5-5 JR恵比寿ビル7階  Tel.03-6859-8358

(株)ブロードマインドの創業に関わったS氏は、トライアスロン時代の親しい友人です。
一児の父でもある彼とは、お嬢さんの誕生の頃から教育についてもよくお話をいたします。
 そんなS氏に、ある時、「私達夫婦の失敗を伝え、私の教室の卒業生のご家庭に、子どもが小学校に入学をするという大きなタイミングで『本当の意味で、子どもにとっての幸せな将来を考え直す』ということを提案したいんです!」と私の思いを伝えたところS氏自身が一人の親として、私の「親の責任として、ライフプランを考える」という強い思いに賛同してくださり、それ以来、幼児教室マナーズの担当者、窓口を決めてくださり、マナーズ卒業生家庭の様々な保険やライフプランのご相談に親身に乗ってくださっています。
 また、ご家庭のライフプランだけではなく、個人事業主や企業経営者である卒業生の保護者の方に対しては、保険を使ったさまざまな「節税対策」のご提案もあり、プロならではの適切なアドバイスとして好評を博してもおります。

 ここ数年は(株)ブロードマインドは不動産売買も手掛けているため、保険を含めたライフプランの見直しの中に、住宅ローンも含めて考え直すこと、という方法も好評です。

 すべてのご相談費用は無料です。金銭に関わることを記載することは下品なので、全く気が進みませんが、実際にはとても大切なことですね。
 この会社は「対相談者」ではなく「対保険会社」から報酬を得るシステムですので、相談者には一切、費用はかかりません。この点も、私がご紹介しやすいポイントでもあります。

 ある卒業生家庭は、ご子息の私立小学校入学を機に、これからの高校卒業までの12年間、その先のライフプランをしっかりと考えたいという思いから、ご両親の加入している生命保険、ガン保険、医療保険、火災保険等、すべての保険を見直されました。
 同時に、息子の出生時に加入した学資保険も見直し、私立校での学校生活という現状に合った学資保険を選び直されました。
 また、このご家庭にとって、もっと大きな収穫だったのは、ライフプランナーと一緒に住宅ローンをも見直されたことでした。
 見直しに関わる煩雑な手続きもすべて代行してもらい、スムーズにすべてを済ませた結果、ご両親が支払う月々の保険料を、大きく節約されることになったのでした。

 家庭の現状をつまびらかにし、生命保険や医療保険、災害保険、損害保険等、各分野の専門家の助言を仰ぎ、その上で、家族や子どものより豊かな将来のために、ライフプランナーと家庭生活を考えること。
 「もし、こういうことをすべて自力でしようとすれば、きっと面倒になって挫折していただろう…」「やっぱり、もうこれで良いんじゃないかあ?!」と途中で投げ出したに違いない。けれど、スペシャリストと一緒に、賢く将来を考えることは、むしろとてもワクワクする楽しいことでしたよ!」と話してくださいました。

「ジュエリー・マナーズ」同様、この「ライフ・マナーズ」も、まどか先生の立場から非常に遠いところにあるもの、と思われがちです。
 けれど「母親が、一人の女性として凛とした内面からの美しさを持ち、自信に満ちて輝いていること」を実現させるために「ジュエリー・マナーズ」があるように、「どんな状況下でも慌てることなく、子どもを不安にさらさないために」「子どもにとっての豊かな人生のために」という思いで「ライフ・マナーズ」をご案内、ご提案することは、失敗の多かった私の人生だったからこそ、声を大にして言える大事な使命だと思っております。
 もし、現時点では「我が家には関係ないね。」とさっと読み過ごしたとしても、どうぞこの「ライフ・マナーズ」は心のどこかに留めていてください。
 そして、いつか「今まで以上に安心で豊かな将来を考えたい」という思いが心に湧いた時、思い出していただければ、お役に立つこともあるかもしれません。その時は、お声をおかけください。

 どんな状況でも、ドーンと構えていられる親であること。そう出来なかった私、後悔ばかりを繰り返した私だからこそ…のご提案です。

                     

 以上です。
本当に、長い長い、なが~い文章をお読みくださり、ありがとうございました!
 何度も同じことしか申し上げられず恐縮ですが… 本当にありがとうございました みなさまと過ごした時間、そして、何よりもみなさまとのご縁は私の宝物です。
 この足かけ30年、私がどんな状況下でも、粛々とひたむきにやってこられたのは、みなさまとの時間、みなさまの応援、支えがあったからこそ。感謝の言葉が見つかりません。ひたすら感謝です

 クラス終了から2ケ月近くが過ぎました。十分に休憩もいたしましたので、そろそろ「次のこと」を考える時、かもしれません。ホームページのコンテンツ然り… たくさん書きためたものがありますので、それをあらためて読みなおし、手を入れて、何らかの形に出来れば良いなあ、と考えております そんな「次」のことも、この「クラブマナーズ・ニュース」でお知らせをいたします。
 当分の間、今まで通り、10日20日30日の月3回を続けます。ご興味を持っていただければ、また見てみてくださいね

 どうぞ、みなさまお元気でお過ごしください

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スペイン旅行を終えて②

2024年01月10日 | 教室の近況報告

 1月10日、66回目のお誕生日を迎えました
昨年の今日は、みなさんに「今年の受験が終わったら、幼児教室マナーズのクラスを終えることにします。教室は終わりにします。」という一大決心をお伝えしました。あれから1年が過ぎました。

 12月に訪れたスペイン。前回は、バルセロナの「サグラダ・ファミリア教会」について少しお話をしました。今日は、グラナダの「アルハンブラ宮殿」について書いてみたいと思います
 「アルハンブラ宮殿」と言われてはいますが、もともとは「宮殿」として始まったのではなく、9世紀頃から城塞として歴史が始まりました。その後は、その時代時代で増築されていき、1200年代から約300年続いたイスラム国家「ナスル朝」によってより壮麗になりました
 しかし、レコンキスタと呼ばれキリスト教徒による国土回復運動によってナスル朝が終焉を迎え、城塞都市として栄えた頃からのイスラムのモスク等は破壊され、カトリックの教会等に改修されていきます
 しかし、あまりに美しく芸術性にも富んだ装飾、技術に数々に感銘を受けた神聖ローマ帝国のカール5世(スペイン王としては、カルロス1世)は、建物の多くを残し、イスラム世界とカトリック世界の融合の一大文化遺産・・・として現在に至っています。本当に美しいですよね。きっと、一度は写真などでご覧になったことがあるでしょう

 「融合」「協調」の素晴らしさは、今回の旅行中、何度も感じました
コルドバのメスキータも、セビリアのカテドラルもそうでしたが、イスラームとカトリック、双方の文化が認め合い、影響しあって崇高なものとなっている・・・この精神は、きっと「いつの時代」にも、尊いものであるに違いありません。

 ちなみに・・・
このアンダルシア地方のグラナダに唯一残ったイスラム国家、ナスル朝のスルタン、つまり、このアルハンブラ宮殿の最後の主、ムハンマド12世、別名「ボアブディル」は、1492年1月2日、このアルハンブラ宮殿を追われます。そして、イスラム国家である地中海を隔てたアフリカのモロッコに逃げ落ちます。
 このあたりの話題を、12月、NHKのBSで放送していましたよ
ちょうどこの放送時、私はスペイン旅行中で、夫が気を利かしての番組を録画してくれていました。帰国後、私は非常に興味深く番組を観たと同時に、しみじみ思ったものです・・・
「旅行に行ったからといって、一生懸命に何枚も写真や動画を撮るのはもうやめよう」と。

 どうしてかって?
私が必死に工夫をして撮ったアルハンブラ宮殿の何十枚もの写真やいくつもの動画よりも、NHKの映像がはるかに美しく、印象的で素晴らしかったから、です
 もちろん、当然ですよね。HNKの本職のカメラマンさんが、ベストの時間帯に、撮影に邪魔になる人を遠のけ、撮影をするのですから。それと競うつもりは毛頭ありません。ただ、特に団体旅行をすると、現地のガイドさんは遠来の観光客のために気を利かし言ってくださいます。
「ここは写真のスポットですよ。お時間を取るので、どうぞ記念写真を撮ってください」と。
 でも、これからは、本当に1枚、「記念の写真」を撮ろうと思いました。あとは、しっかりと目に焼き付け、心と頭で観賞しようと

グラナダ 「アルハンブラ宮殿」

 

セビリア 「カテドラル」 

   


コルドバ 「メスキータ」

 

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サグラダ・ファミリアを訪れて

2023年12月30日 | 楽しいお話し

 暖かい年の瀬、です。
新年への支度がはかどりますね、と書きたいところですが、私は26日から主人の風邪をもらい、55年ぶりで熱が出ました ちょこっと風邪を引いても、大抵が咳の風邪で済んだのですが、今回はかなり手こずりました 38,2℃から38,7℃までを行ったり来たり。思うように身体が動かず、鉛のように身体が重い(実際に重いのですが、はっはっは)。大抵は気力で何とか頑張る私ですが、今回はさすがに横になり、回復を待ちました。やっと29日には37℃前半となり、頭が時々キリキリと痛みますが、さすがに今年もあとわずか。ぼちぼち行動開始です
 しかし、何事も経験は必要ですね。熱だって出てみないと、その辛さはわからない 私はよくお腹の調子を壊しますが、頭痛の経験もないために、頭が痛いという人の辛さだって知りませんでした。熱が出たら、頭痛があったら、身体をゆっくりといたわり、休みましょうね

 さて。スペインから帰国し、半月。あらためて、いろいろなことを思い出しています。
今日は、バルセロナのサグラダ・ファミリアについて、私の感じたことをお話したいと思います。
 サグラダ・ファミリア。言わずと知れたアントニ・ガウディの未完成作品です。
           

 ガウディの没後100年ということで、2026年の完成を目指しています。その状況下、3年間のコロナの時期がありました。世の中すべてがストップし、来場者も激減。入場料と寄付によって進められている建設は、中断せざるを得なくなったのだそうです。しかし、関係者を努力のもと、当時、同時進行の形で進めていた6つの塔の建設を1つに絞り、2019年12月8日、無原罪のマリアの祝日に、「聖母マリアの塔」が完成。138mの尖塔の頂きの星は、夜になると光が灯ります。コロナ禍でこの星が灯った時には、バルセロナの人々の大きな希望の光となりました。
 この塔に関しては、つい先日、NHKのBSや4Kで番組が再放送されたので、ご覧になった方もおいでになるのではないでしょうか。私はたまたま、昨年にこの番組を見てたので、実際に青空にすっくと立つ塔の先端の「星」を見上げた時には、大変感激しました

          
 ガウディ自らが完成させた生誕のファサードを抜け、いざいざ、中へ中へ
「ん?…え?…」私は聖堂の中に入り、何と言うのでしょうか… 不思議な感覚を持ったのでした。「違和感」という言葉の響きにはマイナスのイメージがありますので、敢えて使いたくはありません。なので、そうです、不思議な感覚、です。
 でもね、すぐに気づいたのです。その不思議な感覚とは「私の不勉強によるもの」でした。私はどこかでローマのサンピエトロ大聖堂や、フィレンツェのドゥオモ(サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂)のようなシックな荘厳な内部を想像していたのですよね。けれど、この中は非常に明るく、斬新的でモダン。
    

 当たり前です。ガウディが亡くなったのは1926年。20世紀の人物なのですよね。それに対し、ローマのヴァチカンのサンピエトロ大聖堂の完成は、1626年。フィレンツェのドゥオモに至っては、1413年の完成ですからね、はっはっは。この聖堂の中が基本に忠実ながらも、モダンであっても当然のことでした。

『サグラダ・ファミリアは、アントニ・ガウディの未完成作品』そうなのですよね あらためて、ガウディの作品ではあっても、未完成に終わっているのです。
 ガウディが生前に完成させたのは「生誕のファサード」など全体の四分の一。そこからは、多くの人々の創造(想像…)と熱意によって受け継がれています。
 1978年からは、日本人の彫刻家、外尾悦郎氏が主任彫刻家として完成に向けて日々製作に携わっています。まさに2019年に完成した「聖母マリアの塔」も、南側の聖堂の屋根の部分に並んだお供物のような果物達も、外尾氏の作品です。
          
 写真では少し見づらいかもしれませんが、屋根のとんがった部分に乗っているのは「桃、びわ、すもも、さくらんぼ」など。それぞれが美しい色のヴェネチアングラスで彩られています。

 サグラダ・ファミリア教会… スペインの内戦然り、今までに何度も何度も苦境に見舞われながらもバルセロナの人々は、そのつど募金をしながら建設を続けてきたのだそうです。
 いったい、そのエネルギーはどこから湧いてくるのだろうか?

 今回、私がバルセロナに滞在したのはたった2日でしたが、その間、ずっとガイドの方から聞いてきたフレーズ「私達、カタルーニャ人は…」という言葉。「私達、スペイン人は~~です」というのはわかります。しかし、ガイドさんは、そうではなく、必ず自分のことを「カタルーニャ人」と呼び続けました。あらためてお聞きする…
 スペインには、17の州があります。私達に馴染みのあるのはフラメンコを連想するアンダルシア州や、オレンジの産地、バレンシア州でしょうか。カタルーニャは、その州の1つです。
 しかし、カタルーニャでは日頃はスペイン語ではなく、カタルーニャ語を話しているそうです。ちなみに、カタルーニャ語は、音として少し「フランス語に近い」言葉なのだそうです。たまたま、町で小さなコンビニのようなお店に入ろうとした時、入口のふさぐように立ち話をしていた若者達が私に気づき、「パルドン」と声をかけました。
 この「パルドン」の音の響きは、フランス語の「Pardon」そのもの、でした。すみません、ちょっと、ごめんなさい、失礼、というような時に使う「Pardon」。まさに、若者達は私に「おっと、失礼しました!」と言うシチュエーションだったので、なるほどねえ、確かにフランス語みたいだな、と思ったものでした。   

         

 町のあちこち、ベランダや窓には、このように「カタルーニャ州の州旗」が掲げられているところも多くあり、道路の標識などもカタルーニャ語とスペイン語2つの表記となっています。2017年には、一方的にカタルーニャ共和国として独立を宣言したほど。もちろん、それは認められてはいませんが…

 何度も何度も苦境に見舞われながらも、バルセロナの人々はそのつど苦難に立ち向かい、サグラダ・ファミリア教会の完成を目指すエネルギーの源は何か?
 私の勝手な解釈。それは、「カタルーニャ人としての尊厳、矜持」からくるもの。もっとラフに言えば、「カタルーニャ人として心意気」ではないか。そんな気がしています

 ガウディの死後、まもなく始まったスペイン内戦により、ガウディ本人や弟子達が残した設計図やそれにまつわる資料などは、ほぼすべてが無くなってしまい、ガウディの構想を完全な形で実現することは不可能になりました。そういう意味では、続けられている建設は、極々わずかな資料を頼りに人々の熱意と現代の技術により、続けられています
 2026年、これが完成した時に、今度は主人と一緒に行ってみよう、と思っています

 2023年もあと1日。
2024年には、もう新しい生徒ちゃんと出会うことも、一人一人を思い願書の添削をすることも、湯島天神におまいりすることもないのだなあ…と思うと、急に寂しくなってきましたが、年が明ければ66歳も目前。主人の風邪をしっかりもらってしまい、2日間も熱を出して使い物にならないようなヤワな身体になっては、もうマナーズは無理ですよね、はっはっは。
 どうぞ、みなさま良いお年をお迎えくださいね~

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