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「木・樹」の効果を感じる

2024年07月20日 | 楽しいお話し

 新学期が始まり、GWが終わって、いよいよ本格的に新しい学年に落ち着いたかな?などと思っていたら、あっという間に7月も半ばを過ぎ、夏休みがやってきました
 歳を取ると、1週間の流れ、ひと月の流れをとても早く感じます。よく人から「お仕事をされていると、それぞれの曜日にすべきことがあり、それを一生懸命にこなしていると、もう週末?!なんてことになりますが、お教室を終えられると時間に追われることもなくなって、1日、1週間が長く感じられるようになったのではありませんか?」と言われます。そうそう、私もそんな風になるのだろうなあと考えていたのですよ。
 でも 不思議ですねえ…  時間に追われていた時のほうが1週間を長く感じていたように思います どうしてなのでしょうねえ…私自身でもよくわかりません。

 さてさて、今日は「木・樹」のお話し。
ご存知の通り、雨天でない限り、朝のウォーキングが続いています「この暑い中?!」と思われるでしょうが、じつは1時間半歩いている中で、陽ざしを浴びて歩いている時間は15分もないかもしれません。
 幸いなことに、ルーティンの歩くルートはビルの陰だったり、並木の木陰だったり…で、暑さそのものはありますが、陽ざしによる猛暑を感じることはほとんどないのです。これは、とってもありがたいことです
 とは言え、1週間ほど前から、ウォーキング中、めっきり人に会わなくなりました 出勤をする方々は四季を通してルーティンで行動されるわけですが、早朝のランニングやジョギング、ウォーキング、犬のお散歩、というお仕事以外の方々は、夏の季節には「それぞれの考え方」によって、屋外での時間に制限をかけたり、変更をされたりしているようです。
 今まで見かけていた人に会わなくなるのは、ちょっと寂しく感じているのですが、それも仕方のない事ですね

 話を元に戻しましょう。
私が関東に移り住んでから、今年で41年になります。最初の3年間は千葉県の流山市というところに暮らしていて、その後の27年間は横浜市。今でこそ流山市は、成田エクスプレスの沿線となり、「おおたかの森」に代表されるような若いファミリー層の憧れの町になりましたが、私が住んでいた40年前は、首都圏とは思えないような「静かな郊外の町」でした
 私が関東に移り住み、一番最初に感じたことは「東京は、町中でもとても緑が多いところなのだな」ということ。何といっても、東京駅の目の前には皇居があり、広大な緑が広がります。そして、仙洞御所(東宮御所)、神宮外苑、代々木公園、新宿御苑、上野恩賜公園、etc.etc.
 私が生まれ育った大阪は、東京に比べると都市部は狭く、本当に緑の少ない町だと思います 大きな公園もたくさんあるわけではありませんしね…
 大阪で普通に住んでいて、町中の樹木から季節を感じるというようなことは、ほとんどなかったように思います 町の中心、御堂筋のイチョウ並木は有名ですが、何と言っても御堂筋は人が歩くための道とは言えませんからね。道幅は約45m、6車線の日本一の一方通行。交通量の多い道のイチョウの木は、歩きながら愛でる存在ではないでしょう。

 とにかく、私は関東に来て、あらためて「人は木、樹木によって、知らず知らずのうちに心を癒されているのだなあ」ということに気づいたのでした
 比較的、イチョウは、私達にとって馴染みのある樹木で、多くの人が「これはイチョウの木だ」と認識しますね。もちろん「桜」は言うまでもありません。でも、ポプラやケヤキやプラタナス、等、比較的街路樹によく使われる木であっても、私達はその並木道を歩いたとしても「これは〇〇の木」と認識しているわけではないし、毎日のルーティンで街路樹のある道を歩いていたとしても、その木が何と言う木なのか?なんて、考えもしない   残念なことですが… 本当は、その毎日通るその道に、木が植わっているか植わっていないかでは、私達の気分は大違いなのに、です
 そうです、私自身もそんな一人でした。でもね、ウォーキングをするようになって、意識が変わりました バッグを持つわけでもなく、重い荷物を持つわけでもなく、次の予定の時間に急かされて駅に急ぐのでもない。ただ、まわりの風景やいろいろなものに目をやり、感じたり考えたりしながら歩く、歩く
 すると、自分が歩いている道の街路樹や、公園の中の樹木に自然と目が行くようになりました。そして40年ぶりに?!あらためて気づかされました。「ああ、私達は『木』というものに、とてもとても癒されているのだなあ…」と 
 その「癒し」は、植わっている「樹木」からだけではなく、「木」というもの、からも感じられます。例えば、国立競技場に使われているたくさんの「木」も然り、です

 世界中が経験した「コロナ」という艱難によって、結果的に散々だった2021年(2010年の予定)の東京オリンピックでしたが… あれから3年、私はほぼ毎日、国立競技場を見ながら、「こんなにも素敵なものが残ったのだなあ…」とうれしくなっています
 古い国立競技場を壊し、新しく建設される競技場が、2012年、一度はザハ・ハディド氏の未来的?なデザインに決まったものの、その後、その案が白紙に。そして「杜のスタジアム」をコンセプトとした隈研吾氏デザインの現在の国立競技場が建設されました。
 新しいデザインの選考から、決定、着工まで、メディアで頻繁に取り上げられた「木にこだわったデザイン」にも関わらず、私はさほど特別の感情を持つこともなく、工事が進んでいきました。完成まで、幾度となくその周辺を歩き、目にしていたものの「へえ、びっくりだなあ。あんなところにいっぱい木を使ってるんだあ…」程度にしか感じてはいなかったのでした
 でも今、ほぼ毎日のようにこの競技場の下(周り)を歩き、一周する間、驚くほどたくさんの箇所に使われている「木」を見るにつけ、その「木」がもたらしている効果、パワーというものを日に日に強く強く感じています
 そして、その競技場と「対」とでも言わんばかりに、競技場の千駄ヶ谷門の正面に建てられたホテル。ふんだんに木を使い、曲線を重視して建てられています。本当に美しいのです…

 よく木造住宅のCM等では「木のぬくもり」というフレーズが使われますよね。本当にそうですね。
 昭和の時代によく使われていた「コンクリートジャングル」という言葉。温かみが感じられないこと、そのことからくるさびしさなどを表現した戦後の新語だったわけですが、確かにその対極にある「木」を使った建物には、あたたかさ、優しさ、包み込む空気を感じます
 でもね、私は今、早朝の町を歩いていて、あたたかさというよりも、むしろ木から大いなる「清々しさ」「爽やかな空気」を感じています あたたかさ、ぬくもりではありませんが、決して「冷たさ」ではなく、爽快感と言うのでしょうね

 写真を4枚用意しました。2枚は「オマケ」です。
 1枚目は、まさに今回話題にしている国立競技場と、三井ガーデンホテル、双方が映った写真です。

    
    

 2枚目は、青山墓地の中央を貫く「桜並木」。
都心のど真ん中にあるとは想像し難い、まるで森のように見える並木です

    


 そして「オマケ」の2枚です。木、森そのものの真髄、とでも言うのでしょうか
コロナが始まってまもなく、久しぶりに上高地に行った時の、早朝の2ショット。歩きながら、目の前に現れたこの風景に息を飲みました。

    

       

 いろいろと物議をかもしている「大阪万博」。
そのシンボルともなる巨大な木の大屋根「リング」。最初、このニュースを見た時、私は「本当に無駄遣いだよなあ… こんなにお金をかけて、開催後は解体するのでしょう?」と大きなマイナスイメージを持ったものでしたが… 
 図らずも、朝のウォーキングから「木」の持つ意味「人を魅了し、人を癒す力、パワー」を実感し、あらためて「是非とも大阪万博の会場で、木の大屋根、リングを見てみたい 実際に行って、その中に立ち、深呼吸をして感じてみたい」とワクワク、考えるようになりました。
 大阪は、私と夫の生まれ育った郷里とは言え、今では4人の親達は亡くなり、実家もなくなり、その上、私の実家のほうでは、叔父達が墓じまいをしてしまった今、すっかり大阪は遠いところになってしまいました 母の生前は、毎月2泊3日で帰省をしていたのにね、笑。
 でも、是非、ホテルをとって、万博会場に通ってみたいと思います。その木の大屋根を見て、感じるために

 


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