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○ 街を見下ろすアクロポリスへ ~アテネ・パルテノン神殿~

2009年11月23日 | 東地中海への旅(ギリシャ・トルコ etc..)


   

   高さ150mのアクロポリスへのぼる坂道。オリーブと一面の緑でとても気持ちいい。


   

   もっと石だらけの荒れたところだと思っていた。聖なる丘は緑でいっぱいだった。
   そうだ神話ではアテネの守護神の座をめぐってアテナとポセイドンが争って、
   オリーブの木をもたらしたアテナが勝利したから、オリーブは聖なる木ってことなのか。

  
   

   だんだんアテネの街が見えてくる。ほんとに来たんだアテネに。
   テレビや写真で見るのと同じだけど違う。歩いた分だけ想像と違ってくる。

  
   

   特に高い建物もない白い町並みは、上から見る景色をより広大にみせる。
   アテネの町並みはのちほど展望台からゆっくり眺めることにして、もう少し歩こう。

 
   
  
   ヘロド・アクティス音楽堂。むか~しアテネの大富豪が建設したもの。
   161年にアテネ市に寄付されたらしいこの音楽堂は5000人を収容でき、
   現在もアテネフェスティバルのメイン会場として演劇やクラシックコンサートが開催される。
   

   

   ピロピレア(聖域への入り口)までたどりつきました。いよいよ聖域へ入ります。
   青空とドーリス式円柱。ギリシアだな。間違いなく。

 
   

   少し風が強かった。パルテノン神殿の前。
   今日は青空がのぞいているけど、昨日まで大雨で洪水まであったらしい。
   「権力はわずかな人間が握るのではなく、民衆全員のものである」と説いた
    ペリクレスによりアクリポリス全体の再建が開始され完成したのが紀元前432年。
   紀元後426年にビザンティン帝国の支配によりキリスト教の聖堂になり、
   15世紀にはオスマン・トルコによってモスクに改修され、
   あげくの果てにヴェネツィア軍がエーゲ海の覇権をトルコと争っていたときに
   神殿を火薬庫として使っていたトルコ陣営にヴェネツィア軍の砲弾が命中。
   1687年9月26日、たった一発の砲弾で廃墟となった。
   聖なる神殿の運命は実に過酷であった。



   

   どこからか大きな雲が流れてきて、聖域の光が刻一刻と変わっていく。
   計算されつくした神殿は、どんな光の中でも存在感を損なわずにいる。

   
   

   エレクティオン神殿。パルテノンよりも柔らかい印象をうける。
   複製だけどカリアテッド(女神柱)が美しい。


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2 コメント

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玄人はだし (アサンの風)
2011-11-30 05:00:48
momoさんの写真には、何かこう惹きつけられるものがありますね。アングルといいカットといい、感性の豊かさが伝わって来ます。

撮影の時は何を考えてるんだろう?
只無心に、それともあれこれ意図的に…
エンタシスの列柱を見てるだけでああギリシャに来ているのだという気分にさせてくれます。

それにしてもギリシャといいエジプトといい、今大変な状況ですね。日本の先行きにも幾ばくかの不安を抱えてしまいます…

余談ですが私その昔一眼レフをかじっていた事があります。しかし飲み代に困りミノルタXDは質屋のお世話に…
それ以来コンパクトカメラ一筋なんですが、「いつかは欲しいデジタル一眼」派です。。。





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撮影時 (momo)
2011-12-01 01:59:38

撮影するときはですねーー、
と、ここで語れるものがあればいいのですが、実はほとんどありません。
ただ自分の好きなように世界を切りとらせてもらっている感じです。
自分の写真の美学とか持てたらかっこいいですね。
一眼レフも欲しいと思いながら、この間も電機屋さんでいろいろありすぎて
立ち往生しました。
いつも普通にそこらへんで売ってるコンパクトデジカメなんで、
そろそろいいカメラをもって旅にでも行きたいと思うのですが、
気軽なコンパクトカメラから離れられませぬ。
一眼レフって難しそうで・・・でも来年は自分の目標にしているんです。
一眼レフをとりあえず買おうと(笑)

それにしても、アサン様のおっしゃられる通り、私もこの旅を見直して、
今ニュースを揺るがす危険地帯を行き来しているなーと、自分でも驚きます。
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