もうすぐクリスマス
去年大塚美術館をうろうろしているときに集めたキリスト降誕の図像を今頃アップします。
私が今までにのらりくらり勉強してきた小ネタつきでお楽しみ下さい。
ジョット【スクロヴェーニ礼拝堂】1303~04年頃 イタリア・パドヴァ
「ルネサンの父」として美術史上親しまれているジョットの「降誕図」です。
ジョットは片足を中世に、もう片方をルネサンスの時代に置いています。
見えるものを美しく描きたいという近代の欲求と、中世の絵画の特徴である
「語り」への欲求とのはざ間で、傑作を生み時代をリードしました。
さてさてジョットの降誕図を見ると、掘っ立て小屋のようなものがあります。
これは「粗末な馬小屋」をあらわしたものです。
そしてキリストの降誕シーンに必ず判を押したように登場する牛とロバ。
画面右には、天使から救世主が誕生した知らせを聞く羊飼いたちが描かれます。
降誕と羊飼いへのお告げは、別々の場所であった出来事ですが、同時刻にあった
出来事なので同じ画面の中に描かれています。
それでは次は伝統的なビザンティン美術の「キリスト降誕図」をご覧下さい。
聖ニコラオス・オルファノス聖堂 1320年頃 ギリシア・テサロニキ
ジョットの描く人物像は体重を伴って地に立っている感じのする近代的な人物像
でしたが、人間を超えた聖なるものをいかにして描くか、ということを求め続けた
ビザンティン美術の人物像は、3次元的な肉体になることを注意深く避けています。
ビザンティン美術の「降誕図」では、必ずキリストが絵の中に2度登場します。
まずは、中央の洞窟の中の飼葉桶で眠る幼子として、もうひとつは画面手前に
描かれる「産湯」の場面で。
ビザンティン美術において「洞窟」は、神の光を失った罪の世界を表します。
その暗闇に救いの光が降り、幼子の眠る飼葉桶にまっすぐ到達しています。
この「まっすぐ降りる光」は、この幼子こそがこの世を救う神様であることを告げています。
「産湯」の場面は、キリストの人間的な面を描いています。
画面後景には、「羊飼いへのお告げ」と「東方三博士」たちが描かれています。
博士たちは星に導かれ、贈り物をもってやってくるのです。
このひとつの絵の中には、なんと4つもの異なるシーンが組み合わされています。
パナギア・ペリブレプトス聖堂 14世紀中頃 ギリシア・ミストラ
ビザンティン美術の「降誕」は見慣れると、分かることが増えて楽しい。
画面手前にいる男性は、ヨセフです。処女であるはずの婚約者マリアの懐妊に戸惑った表情で
描かれます。ジョットの降誕図にもいますね。
コーラ修道院(現カーリエ博物館) 1315~20年 トルコ・イスタンブール
イスタンブールのコーラ修道院はビザンティン時代のモザイクがとても美しい状態で残っています。
この修道院内で震えるくらい感動したのはもう2年以上前の出来事。
いつものように画面にイエスの姿は2度登場します。
実はこれには前途した「キリストに降りる光」と「産湯」がそれぞれキリストの
「神性」と「人性」を表すという意味以外にも、重要な意味があります。
「産湯」場面のイエスの姿は、のちの「洗礼」を予告するものです。
共に水を浴びるという共通点があります。
さらに「布にくるまれて飼葉桶に寝かせられたイエス」は、磔刑後の埋葬を暗示します。
つまり降誕というとても「おめでたい」出来事の中に、キリストの「洗礼」と「受難」を
読み込んで、キリストの生涯全体の要約をしています。
フィレンツェ大聖堂美術館「十二大祭図」 14世紀前半 イタリア・フィレンツェ
非常に細かく丁寧に造られたこのモザイクも、ビザンティンの伝統的な図像を
見ることができます。十二大祭はキリストの生涯のうち最も重要な12の出来事です。
ファエンツァの画家 ボローニャ国立絵画館 13世紀後半 イタリア・ボローニャ
こちらの図像もビザンティン美術の伝統に従っています。
ビザンティンの図像では、画面前景の「産湯」より、中景のマリアが大きく描かれます。
中世においては、遠近法的な原則よりも、見せたいもの(重要なもの)ほど大きく描く
という原則が常に優先します。
写真の世界では信じられない絵画独特の世界観ですね。
聖テオドール聖堂 10世紀 トルコ・カッパドキア
トルコのカッパドキアのビザンティン美術は、なんとも土着性があり人物像も色合いも
とても特徴的です。飼葉桶に眠るイエスも、幼子というより6~7歳に見えます。
飼葉桶には宝石もちりばめられています。
産湯のシーンもユーモアがあってかわいいです・・・。
ジェンティーレ・ファブリアーノ 「東方三博士 プレデッラ部分」
時代が進み、ルネサンスの世界に突入している時期には、キリスト降誕もこのように
ドラマティックな光に包まれています。
後景で羊飼いたちは、この奇跡に驚きを隠せないという姿勢で描かれています。