久しぶりの兵庫県立美術館。
神戸に毎月研修に来てた頃は足しげく通っていたけど、その研修も午後からに
なって、ついには研修も定期的には行かなくなってしまい、ここへ来るのが
久しぶり。その久しぶりな私を迎えてくれたのは、このカエル。
「美(ミ)カエル」というらしい。絶妙な素晴らしい名前だな(笑)
久しぶりに来たら、なんかカエルといい、LEDライトといい、以前とは
雰囲気が全然違っている。館内の空気も全然ちがうものになってた。
なるほど・・・・
あとで知ったけど、あの金沢21世紀美術館の館長だった蓑(ミノ)豊 氏が
館長に就任していたのだ。ちょうど私がここに来なくなった2年ほど前から。
今の美術界を、この経済状態のなかでひっぱっていけるのは、
この蓑豊と、アートディレクターの北川フラムくらいではないかと思う。
この2人は「信念」と「行動」と空気を変える力が半端ではない。
ピサロって印象派の画家について勉強してるとき、いつも印象のいい人として
あちこちに脇役で登場する画家だけど、こうしてピサロを中心として観賞できる
っていうのは楽しみだなぁ。
さぁてケーキを食べてと・・・・
階段を上がって企画展示室に来ました。
ピサロの生涯をたどりながら、運動不足のため、多少息も切らしながら。
ピサロ。いつ見ても穏やかな絵で、穏やかな人なんだろうなって思ってたけど。
2000通にも及ぶ書簡から浮かびあがる、苦悩、絶望、模索、葛藤・・・・
あの穏やかな色の中にある「影」、「思想」
考えたこともなかったな。ピサロが実は過激なところがあるなんて。
「印象派とはなにか」について常に考え続けたピサロ。
印象派展然8回にすべて参加したのはピサロ。
無政府主義者「アナーキスト」だったピサロ。
子だくさんで生活に困窮していたピサロ。
ポルトガル系ユダヤ人としてのピサロ。
エッフェル塔を鎌で刈ってやりたかったピサロ。
ゴッホやセザンヌ、みんなピサロが好きだった。
一人の人間てのは複雑なんだなぁ。
生きて何かを極めるというのは、途方もなく大変なんだなぁ。
「誰も見向きもしないような辺鄙な場所に美しいものを見る人こそ幸福である」
ピサロの生涯や当時のパリの社会的状況を考えると、
この言葉の意味や、ピサロの描く穏やかな色合いは、
深い意味があるように思う。
自由と平等と。
今の世の中ではなんか違う響きに聞こえるけど。
あの穏やかな色合いの向こうに見えてくる願いは、
ピサロの描いた夢は、今、この世界に在るだろうか・・・