孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

== ポチの一人旅 今日は「銃弾の残る変電所・引き込み線跡地」の旅==

2021年03月01日 21時02分41秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

== ポチの一人旅 今日は「銃弾の跡が残る変電所・引き込み線跡地」の旅==

 

ポチの一人旅、今日は愛妻のスーパーカー(Lamborghini号)を借りてドライブ。

目的地は、東大和市の日立の変電所なのだが、そこに到着するまでに寄り道。

帰りも、直行ではなく、ちょっと横道にそれてのんびりとできた。

 

1) 立川の給水塔

戦前の建築物(昭和13年(1938年)建築)で、高松駅付近にあるのは道路そばなので、よく見るのだが、もう1つ給水塔が存在する。

その給水塔は立飛駅から西側にあり敷地内で近くに立ち入ることはできないので、守衛さんに撮影させてくださいと許可を得て敷地の外から撮影した。 現在の給水塔の内部はどうなっているんだろう。 一度見てみたいなぁ…

高松駅付近の給水塔

立飛駅付近の給水塔

 

2) 東大和の旧日立航空機変電所

現在、保存・改修工事中ということは知っていたが、どんな状況か知りたくて出かけた。

当時、北多摩郡大和村(現在の東大和市)に軍用機のエンジンを作る軍需工場があり、戦争による空襲を受けた。

飛行機からの銃弾の跡が生々しく、現在、建物の保存改修工事中。

工事が完了したら(2021年夏ごろ工事終了予定)再び来よう。

 

旧変電所は工事で建物全体がシートで覆われていました。

シートが掛かっていない場所から見える空襲による機銃掃射による弾の跡

 

3) 立川基地への廃線跡の道

変電所見学から帰宅する途中、立川に基地があった時代の引き込み線跡地の緑地道入口にぶつかったので、この跡地を通ることにする。

この付近は戦前・戦後と立川飛行場を中心とした軍事の街だった。戦後は米軍基地へのジェット燃料輸送に昭和43年まで使用され、昭和52年に立川基地は返還され引き込み線は廃線となり遊歩道となった。

廃線跡地の道を進むと、立川市として遊歩道が1.6km、それから国分寺市に入って、しばらくすると国立市の管轄になる。廃線跡の道は、国立市の公園で終点。

4月になれば、この廃線跡地は桜が咲いてきれいかなぁ…

 

ここが廃線路の入口

ここから1600m

300m進んだ場所

なぜか赤ん坊の像があるのです。 駐車しているオープンカーは、妻の愛車のLamborghini号です。

梅の花が咲いていました

ところどころに休憩スペースが設けられています。 いぜんは、この細い道が線路になっていて、燃料などを輸送していたのでしょう。

1600m進むと、立川市から国分寺市に表示が変更になりました。 それに伴い、緑地の名称も変更。手前が立川市、奥が国分寺市。

藤棚がありました。よく見るとレールで作られています。

そしてアーチがありました。このアーチもレールで作られていて、当時の面影を残しています。

そして、さらに進むと国分寺市から国立市になり、国立市の公園に出ました。

公園から見た、廃線路の遊歩道。

この公園から、中央線の通過音が聞こえます。線路はすぐですが、ここから先は当時の面影は偲べません。