<中国ブログ>中国サイコウ 元/上海駐在日本人が綴る日中経済の状況など

中国駐在時代の経験・知識をもとに、
最高(サイコウ)の日中関係の再構築を目指し、
日本と中国を再考(サイコウ)する

中国の自動車市場 仁義なき闘い編

2011-05-04 | 自動車産業
2010年、中国が米国を抜いて世界最大の自動車市場となったが、この傾向が続くことに疑いをもつ者はいないだろう。
しかし、この市場、これまでの欧米や日本と明らかに違った特性を有している。

まず1つ目、国土の広さと地域の多様性。
車は、個々人のライフスタイルに即して購入されるモノ。
それだけに、居住する地域の気候や地形、風習などの影響を受ける。
例えば、山岳地帯に住むのであれば馬力のある車が好まれる、猛暑の地域では空調がよく効く車が売れる、といった具合である。
日本のように国土が狭く、単一民族であれば、こうした分析を精緻に行って、マスメディアを活用して一気に販売することが可能だが、中国ではこの手法がなかなか難しい。
TV局も多様で、各地域のTVを視聴できるため、チャンネル数は60チャンネルを超えており、人気番組にCMを打ったとしても日本ほどの効果は望めない。
極端な言い方をすれば、中国全土を対象としたビジネスは、世界を相手にビジネスするということと同義と考えてもいい。コストも労力も莫大にかかることを覚悟しないといけない。

2点目は地域に根ざしたブランド力の構築。
上述の1点目とも関連するが、中国ではその都市に生産拠点をもつメーカーの車が売れる傾向が強い。上海では上海汽車、北京では北京汽車といった具合だ。
これは、お膝元特有の事情(販売まで一貫した管理、物流コストの低減が可能、地元消費者の好感等)もあるが、地元政府による支援(タクシーへの採用等)も無視できない要因だろう。
各メーカーにとって、お膝元以外、アウェーでの闘いが勝敗を分ける。
ここでもブランド力の形成に至るまで長い道のりを要する。

そして3点目、政府の政策への迅速な対応。
これも現在の中国市場において、忘れてはならないキーワードのひとつだ。
2010年の販売実績において、日本メーカーで首位だったのは・・・?
意外に思うかも知れないが、トヨタでもホンダでもなく、国内第3位の日産なのだ。
ここには興味深い歴史があるのをご存知だろうか?
かつて中国市場で最初に知名度を獲得したのはホンダだった。
広州汽車との合弁ということもあって、華南地域での知名度は絶大だったし、世界戦略車「アコード」や「オデッセイ」も中国の消費者に受け入れられた。
一方、トヨタは出遅れが顕著だった。上海では「上海市政府が80年代にトヨタに合弁事業の打診を行ったが、トヨタに断られた」との逸話が語られているが、真相は定かではない。ただ、80年代から上海汽車との合弁を行い、旧モデルのサンタナを持ち込んだVW(フォルクスワーゲン)は、ずっと利益を出し続けているし、現在に至るまで絶大な知名度を誇っている。
最終的にトヨタは第一汽車と合弁したが、これも傘下であるダイハツが関係する天津市との関係を活用する意外に方法がなかった。トヨタが未だに大消費地である華東地域、華南地域で苦戦している遠因がココにある。
そして、日産はトヨタ以上に出遅れが深刻だった。中国第3位の東風汽車との合弁もなかなか立ち上がらず、同汽車の生産拠点が内陸部だったこともあって、事前の評価は低かった。
そこへ突如、追い風が吹く。リーマンショックを受けた「汽車下郷」という経済刺激策の発表だ。この制度は農村部での自動車の普及を目的としたもので、1,600cc以下の自動車購入を優遇するものだった。
日産は人気車種「ティーダ」を擁し、この流れに上手く乗った。
奇しくも当時、有力メーカーの主力がセダンに偏っていたことも、日産にとって有利に働いた。いまでは高級車種「ティアナ」などの販売も好調だ。

自動車産業は巨大である故に安定した産業と思われがちだが、実際はそうでもない。米国GMの破綻やトヨタのリコール問題をみれば明らかだ。
世界最大市場での覇権を目指し、「エコ」をテーマとする新たな仁義なき闘いが既に始まっている。