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東大寺大仏開眼1,250年慶讃大法要 on 2002年10月15日~10月19日

2018年09月14日 05時36分50秒 | 昔こんなものがあった 平成編
平成14年(2002)10月15日~10月19日、奈良東大寺で大仏開眼1,250年慶讃大法要が
営まれました。

昨日(2018-9-13)に書いたブログ「菩提僊那(ぼだいせんな)」と同じ下記番組で
紹介されていた上記の「東大寺大仏開眼1,250年慶讃大法要」について記していきます。

2015年1月2日、NHK総合テレビで21時から放送された番組「世界遺産ドリームツアー!
「外国人が驚く! 古都 奈良&京都」





上の2枚の写真は2002年10月15日の東大寺大仏開眼1,250年慶讃大法要の様子です。
菩提僊那は752年(天平勝宝4年)4月9日に東大寺大仏殿の開眼供養法会で婆羅門僧正として
導師をつとめた。大仏の眼を書き入れたのが菩提僊那であった。
上記の開眼法要から1,250年を経て行われたのが「大仏開眼1,250年慶讃大法要」

当日の法要は、大仏殿の前庭で営まれ、盧舎那仏讃歌奉唱、橋本聖圓別当(住職)による
慶讃奉告文の奏上、『般若心経』『如心偈』の読経と続き、さらに、能、伎楽の慶讃奉納が
行われたようです。






上の3枚の写真は伎楽の慶讃奉納

伎楽(ぎがく)についてWikipediaの解説を紹介します。

伎楽は、日本の伝統演劇のひとつ。日本書紀によれば、推古天皇20年、推古天皇の時代に
百済人味摩之によって中国南部の呉から伝えられたという。
奈良時代の大仏開眼供養でも上演され、正倉院には、その時使用されたと思われる伎楽面が
残されている。


注1)推古天皇20年は西暦612年

注2)ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 による 味摩之(みまし)の用語解説
-飛鳥時代の楽人。『日本書紀』によると、百済の人で呉に渡り、伎楽を学び、
推古 20 (612) 年に日本に帰化し、大和桜井に住んで伎楽の舞を伝えた。

伎楽舞とは、インド・チベット地方の民族舞踊が発達したものである。





上の2枚の写真も伎楽の舞
獅子舞のようなものが上演されたようです。



上の写真は式典の音楽担当者。
752年の大仏開眼供養ではベトナム人の僧侶仏哲が音楽を担当した

Wikipediaによる仏哲の解説
チャンパ王国(林邑国(中国語版)、現在のフエ)の出身。南インドに入り菩提僊那に師事
して密呪に秀でた。唐の開元年間に師とともに入唐、当時唐に滞在していた日本僧理鏡らの
招きにより、開元24年 / 天平8年(736年)に師の菩提僊那・唐僧道璿らとともに日本入りした。
大宰府を経て都に入り、大安寺に住した。聖武天皇からの信頼篤く、天平勝宝4年(752年)の
東大寺大仏開眼法要では舞楽を奉納し、「菩薩」、「抜頭」などといった舞や林邑楽
(仏哲らが伝えたとされるインド系雅楽の楽種の一つ)を楽人に伝え、また多くの
密教経典、論籍も請来したという。
仏哲らが伝えた林邑楽は、春日若宮おん祭で毎年12月に披露されており、2014年4月には
春日舞楽の雅楽団「南都楽所」がフエで「里帰り公演」を行なった


番組での紹介はなかったが新らしく造られた菩提僊那像の開眼法要が橋本聖圓別当(住職)
の手により行われたようです。

 菩提僊那像の製作基本情報

 製作年:2002年

 彫刻担当: 三輪途道 、三浦康道
 彩色担当: 篠崎悠美子

 安置先:東大寺本坊天皇殿 (聖武天皇の御命日5月2日拝観可能)



 
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