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奈良県磯城郡田原本町 散策記 on 2018-11-25 その10(最終回) 唐古・鍵考古学ミュージアム

2019年01月11日 06時03分10秒 | 奈良情報
2018年11月25日、秦河勝所縁の秦楽寺(じんらくじ)と唐古・鍵遺跡を見ることが主目的で
奈良県磯城(しき)郡 田原本(たわらもと)町を散策しました。

散策にあたっては近鉄田原本町駅の前にある観光ステーション磯城の里(田原本町観光協会)
で自転車(1日 1,000円)を借りて回りました。時間は9:30~15:50


本日は田原本町散策シリーズの第10回で唐古・鍵考古学ミュージアムについて写真紹介します。
唐古・鍵考古学ミュージアムは平成16年(2004)11月24日、田原本青垣生涯学習センター
2階に開設された施設で唐古・鍵遺跡及び町内の遺跡の出土品などの展示が行なわれています。
今回でこのシリーズの最終回とします。

過去の散策記

第1回 奈良県磯城郡田原本町 散策記 on 2018-11-25 その1 下之庄不動尊

第2回 奈良県磯城郡田原本町 散策記 on 2018-11-25 その2 秦楽寺

第3回 奈良県磯城郡田原本町 散策記 on 2018-11-25 その3 浄照寺

第4回 奈良県磯城郡田原本町 散策記 on 2018-11-25 その4 本誓寺

第5回 奈良県磯城郡田原本町 散策記 on 2018-11-25 その5 津島神社


第6回 奈良県磯城郡田原本町 散策記 on 2018-11-25 その6 田原本聖救主教会 礼拝堂

第7回 奈良県磯城郡田原本町 散策記 on 2018-11-25 その7 鏡作神社

第8回 奈良県磯城郡田原本町 散策記 on 2018-11-25 その8 安養寺


第9回 奈良県磯城郡田原本町 散策記 on 2018-11-25 その9 唐古・鍵遺跡史跡公園


唐古・鍵考古学ミュージアムの基本情報
住所:奈良県磯城郡田原本町阪手233-1 田原本青垣生涯学習センター2階 TEL:0744-34-7100
開館時間:9:00~17:00(入場は16:30まで) 休館日:毎週月曜日、年末年始
観覧料:大人 200(150)円 高校生・大学生100(50)円 ( )内は団体料金
開館日:平成16年(2004)11月24日


公式サイト:http://www.town.tawaramoto.nara.jp/karako_kagi/museum/index.html


Goo地図を添付しておきます。


展示室の概要

上の写真は3つの展示室の展示内容を示したものです。
出典:唐古・鍵考古学ミュージアムのリーフレット

第1室 唐古・鍵の弥生の世界

出典:唐古・鍵考古学ミュージアムのリーフレット

第2室 弥生の美・形・技

出典:唐古・鍵考古学ミュージアムのリーフレット

第3室 唐古・鍵の周辺遺跡と唐古・鍵集落、その後

出典:唐古・鍵考古学ミュージアムのリーフレット

これからは各室の展示を詳しく観ていきます


展示室は2018年6月にリニューアルオープンされています。
朝日新聞と産経新聞の紹介記事にリンクさせていただきました。
 https://www.asahi.com/articles/ASL5Z3S9SL5ZPOMB006.html


 https://www.sankei.com/region/news/180531/rgn1805310021-n1.html
  373点の重文(考古)が展示


田原本町の広報誌(2018年5月)のサイト(PDF)にもリンクさせていただきました。
 https://www.town.tawaramoto.nara.jp/material/files/group/3/180502_03.pdf


リニューアル前の展示
リニューアル前の展示について詳しく書かれているサイトがありましたので
リンクさせていただきました。
 https://narayado.info/nara/karako-kagi-museum.html


唐古・鍵の弥生の世界

(1)遺跡調査の歩み

出典:唐古・鍵考古学ミュージアム常設展示図録 Page8
唐古・鍵遺跡は,奈良盆地のほぼ中央部を流れる初瀬川が形成した沖積低地に位置する
弥生時代の代表的な大規模環濠集落跡である。人物・シカなどの絵画が措かれた土器や
石器が担土する遺跡として、明治時代から著名であった。昭和12年の京都大学と奈良県
による唐古池の発掘調査によって,多数の竪穴や貯蔵穴,多量の土器・石器・木製品などが
発見された。後に第1次とされるこの調査の成果として,鎌・杵などの木製農耕具や木器の
盛行が日本で初めて確認され,弥生時代の性格が明らかとなり,また近畿地方の弥生土器
編年の基準が作られた。
遺跡の範囲を確認する目的で,昭和42年から昭和56年の間に奈良県教育委員会が5次にわたる
調査を実施し,その後昭和61年から平成9年の間に田原本町教育委員会が6次にわたる調査を
実施し,多重環濠がめぐる我が国有数の大規模な集落跡であることが明らかになりつつある。
また,開発に伴う田原本町教育委員会による事前調査の成果も合わせて,
掘立柱建物、人骨の残る木棺墓、壺棺墓、井戸、橋脚などの遺構や多種多様で多量の遺物など
貴重な発見が相次いでいる。

以上は文化庁の国指定文化財データのサイトより引用


上記の写真のように2018年に唐古・鍵遺跡の出土品1,921点が重要文化財(考古)に指定
関連サイト:file:///C:/Users/Naoshi%20Chiku/AppData/Local/Packages/Microsoft.MicrosoftEdge_8wekyb3d8bbwe/TempState/Downloads/唐古・鍵遺跡出土品1%20(1).pdf

京都大学の119点と奈良県立橿原考古学研究所付属博物館所蔵の40点の出土品は昭和42年
(1967)6月に国の重文に指定済みです。


過去の調査内容について簡潔に纏められているサイト(PDF)にリンク
 http://www.town.tawaramoto.nara.jp/material/files/group/34/32809018.pdf

(2)唐古・鍵ムラの成立
 縄文期から弥生期への移行期(紀元前1,000年の頃)唐古・鍵の地は人がほとんど
 住んでいない未開の地であった。そこに農耕技術を持った人達が大和川をのぼり
 やって来てムラを形成していった。
 弥生時代前期前半には馬蹄形をなす微高地上に2〜3の比較的小規模な集落が形成され、
 明確ではないが,前期後半には一都の集落に環濠がめぐらされるようである。
 中期になると,幅釣10mの巨大な環濠を径400mにわたってめぐらせた舵機簿集落へと
 発展する。この環濠の外側にはさらに3〜5条の環濠がめぐり,幅100〜150mの環濠の帯を
 形成している。中期後葉から後期にかけては,この環濠帯は幅150〜200m程度にまで拡大し,
 集落が最も大規模になったと考えられる。この時期には,青銅器の鋳造に関連する遣物が
 集落の東南部から出土しており,付近に工房の存在が推定される。

上の写真は最盛期の唐古・鍵のムラの姿(模型展示)


上の写真は唐古・鍵ムラの面積や人口に関する展示


上の写真は復元された唐古・鍵の倭人の展示

弥生時代は従前はBC3世紀からAD3世紀とされていたが現在はBC10世紀からAD3世紀と
なっています。詳しくは下記ブログ。
 平成29年度 神戸市埋蔵文化財センター連続講座「こうべ考古学」第2回「弥生土器入門講座」 on 2017-8-26

 神戸市埋蔵文化財センター2015年春の企画展「弥生時代のムラ・古墳時代のムラ」


(3)米づくりと食

上の写真は「縄文から弥生へ」と「米づくりと食」の展示遠景


上の写真は「米づくりと食」の展示

(4)弥生のくらし

上の写真は弥生のくらしの展示

(5)まつりと祈り

上の写真はまつりと祈りの展示

(6)西から東から

上の写真は西から東からの展示

(7)弥生の戦い
石製の武器、弓、盾などを展示

弥生の美・形・技
(1)弥生の絵画と記号


(2)弥生の文様と色


(3)弥生の形


(4)編む・織る技


下の2枚の写真は神戸市埋蔵文化財センターの展示




(5)木を加工する技


下の2枚の写真は神戸市埋蔵文化財センターの展示




(6)石と骨を加工する技


(7)鋳物を作る技

上の写真は鋳物を作る技の展示


上の写真は銅鐸の製造法の解説展示

唐古・鍵の周辺遺跡と唐古・鍵集落、その後

上の写真は「唐古・鍵の周辺遺跡と唐古・鍵集落、その後」の展示遠景

(1)唐古・鍵むらの墓地と水田


(2)周辺遺跡

上の写真は阪手東遺跡の展示


上の写真は清水風遺跡の展示

(3)唐古・鍵遺跡から纏向遺跡へ

上の写真は唐古・鍵遺跡から纏向遺跡への展示

弥生時代の末から古墳時代の始めにかけて環濠は認められなくなり集落は衰退した
ものと考えられます。




上の写真は「唐古・鍵遺跡から纏向遺跡へ」に関する資料(位置図)と説明文
出典:唐古・鍵考古学ミュージアム 常設展示図録 Page57

(4)唐古・鍵弥生集落、その後

上の写真は古墳時代の空古・鍵遺跡(4~6世紀)の展示
弥生集落が衰退した100年後の4~5世紀、唐古池の東側の集落が造られた。
発掘調査で出土した大型井戸(5c前半)からは祭祀遺物、土器、腰かけ、田下駄、
手網、木錘、馬の頭蓋骨などが見つかっている。


上の写真は平安から江戸時代の唐古・鍵遺跡(11~18世紀)の展示

(5)埴輪の世界

羽子田古墳群や笹鉾山古墳群から出土の埴輪などが展示されています。

平成30年度 秋季企画展
 期間:10月27日~12月2日  テーマ:「古墳時代黎明~唐古・鍵弥生ムラのその後~」

  観覧させて頂いたが内容は省略


出土品の概要と史跡指定理由
以下は文化庁の国指定文化財データのサイトより引用
出土品には,木製農耕具とその未製品,建築部材,鐸形土製品,楼閣を描いたと
されるものをはじめとした多数の絵画土器,銅矛・銅鏃や青銅器の土製鋳型,
鞘入り石剣,骨角器,刻骨,連結したイノシシ下顎骨,糞石,多量な動・植物遺体
などがあ豊富な内容と量を誇る。
本蓮跡は,弥生時代研究において画期的な基礎を作った学史的に著名な遺跡である。
また,我が国有数の規模を誇る拠点的な多重環濠集落であり,弥生時代の一中心地
であった近畿地方中枢部における社会の実態やその変遷過程を示し,さらに多種多様な
出土遺物は当時の生活の状態を伝える上できわめて重要である。
よって,史跡に指定に指定し保護しようとするものである。



シリーズ連載を終えて 
なんとか記事を書け終えました。
田原元町は大和川流域の水運に恵まれている地で縄文期から人が住み始め、大陸から
渡来した人達が多く住んだ町で古くから農耕が営まれていたこと、倭国の混乱期に
防御の為や水運、生活水としての多重濠を有していたこと。
また、銅を使用した種々の品々を生み出したしていたこと。
ここの文化・技術が纏向遺跡のような都市型遺跡に繋がっていること等
多くの新しい知識を得ることができました。
桃太郎伝説の残る地であるがこの関係については今回は見て回れなかった。
今後、機会があれば再訪したい。



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2 コメント

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初めまして (師子乃)
2020-05-31 14:19:20
弥生時代の展示物、興味深いですね!
返信する
コメント御礼 (CHIKU-CHAN)
2020-06-01 04:22:19
コメントいただきありがとうございます。
約1万年続いた狩猟生活から抜け出し大陸文化を
受け入れ発展していった弥生時代、争いごとも
多くなって戦闘で亡くなった人も多くなって
いきますが良い時代であった?のではと推測
しています。
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