須磨町が神戸市に編入されたのは大正9年(1920)で今年で100周年を迎える。
そこで、須磨に関する話題を取り上げます。
須磨は昔から気候が温暖で風光明媚な場所として知られていました。
明治26年(1893)住友家が須磨で別荘地を取得し明治36年(1903)に本館が落成、
明治31年(1898)大谷光瑞が大谷家別邸(西本願寺月見山別邸)を造成した地に
武庫離宮が竣工(大正3年 買い上げは明治40年)。
一方、鉄道インフラが整備、さらに電気、水道、ガスも大正13年(1924)までに
整備され外国人や日本人資産家が次々に別荘や本宅を建てていった。
本ブログでは大正15年(1926)6月30日に発行された地図に〇〇邸と記載されている
豪邸の位置を示し、豪邸の古写真があるものについては写真も添付しました。
A:藤田邸 藤田伝三郎氏(大阪実業界の長老)
B:久原邸 久原房次郎氏(日立製作所創始者、立憲政友会総裁)
C:山下邸 山下亀三郎氏(山下汽船社長)
D:川西邸 川西清兵衛氏(日本毛織社長 兵庫電気軌道社長)
E:九鬼邸 九鬼隆輝氏(旧三田藩主九鬼隆義の長男、兵庫県農工銀行頭取)
F小曽根邸(旧内田邸) 内田信也氏(内田汽船社長)
→小曽根喜一郎氏(阪神電鉄などの大株主)
G:住友邸 住友吉左衛門友純氏(住友家第15代当主)
H:岡崎邸 岡崎藤吉氏(岡崎銀行のちの神戸銀行頭取、岡崎汽船社長)
I:川崎邸 川崎正蔵氏(川崎財閥の創始者)
J:鈴木邸 鈴木よね氏(鈴木商店 お家さん)
古写真または痕跡が残っている豪邸
A:藤田邸
上の写真はかって潮見台にあった藤田ガーデン(藤田別邸)の建屋
明治20年代(はっきりとした年月は不明)に建設された当時は政財界人を接待
する迎賓館的なものであった。
戦後は貴婦人が集う社交場として開放されていたと聞いています。
藤田ガーデンの詳細は下記ブログで書いています。
D:川西邸
上の写真は神戸市須磨区の某所に残る旧川西家邸宅の門の遠景です。
6代目の川西清兵衛は兵庫津の川崎町に明治43年頃まで住んでいたが、
明治44年(1911)頃、須磨のこの地に移住した。
清兵衛はこの地でお茶や謡曲を楽しんだと言われています。
川西清兵衛の次男川西龍三がこの家を継いで住んでいた。
詳細は下記のブログで書いています。
E:九鬼邸
現在のマリスト国際学校
F:小曽根邸(旧内田邸)
須磨御殿と洋館があった。現在は天理教の施設になっています。
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上の写真はGoogleストリートビューによる天理教施設の正門付近
上の写真は同じくGoogleストリートビューよりで裏門付近
G:住友邸
上の写真は住友別邸の本館
上の写真は住友別邸の本館 海側(南側)よりの外観
手前の塀については現在も残っています。
上の写真は住友須磨別邸の全体平面図(大正9年(1920))
現況については下記のブログで書いています。
https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/f478a4b8f75106c67f9b9c274b17d3d4
H.岡崎邸
上の写真はかって存在していた岡崎邸の洋館
上の写真は現在も残る旧岡崎邸の和室(須磨離宮公園内) 撮影:2020-7-25
詳細は下記ブログで書いています。
I.川崎邸
上の写真は川崎邸の敷地をそのまま受け継いだ聖ヨハネ修道院の遠景
撮影:2016-1-13
上の写真は川崎正蔵の別荘時代の遺構と思われる石灯篭 撮影:2016-1-13
詳細は下記ブログで書いています。
J.鈴木邸
現在は三菱重工(MHI)神戸造船所山畑住宅となっています。
上の写真は鈴木よね邸の遺構と思われるもの(黄色の蓋をしたもの)
勝手口の出入り口の遺構 撮影:2013-6-24
詳細は下記ブログで書いています。
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