201年5月5日、加東市の鹿野山(ろくやさん)朝光寺の鬼まつりがあり
鬼追踊を初めて観てきましたので写真と動画で紹介します。
鬼追い式がこの時期に行われるのは珍しいのでその経緯について記します。
朝光寺の鬼追踊は室町時代が起源とされ、五穀豊穣や無病息災を祈る行事である。
江戸時代には修正会の結願として鬼追い式が挙行されていたが明治期になり
子供の病気平癒を願い八十八夜の時期(5月2日頃)に実施されるようになり
子供の日が制定されて以降5月5日に行われるようになったそうです。
修正会(しゅしょうえ)又は修二会(しゅにえ)の付帯行事として鬼追いが
行われます。追儺式での鬼は悪鬼ではなく、災いを取り除き、大地を清め
踏み固める鬼で悪鬼を祓い疫病を封じ、五穀豊穣、家内安全を願うものである。
追儺(ついな)とは、大晦日(12月30日 (旧暦))の宮中の年中行事であり、
平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式。「鬼やらい」(鬼遣らい、
鬼儺などとも表記)、「儺(な)やらい」、鬼追い(鬼追会)、鬼踊りとも
呼ばれる。追儺はもとは中国の行事であり、宮廷の年中行事となり、
現在の節分の元となった行事である。
したがって、節分の豆まきと同じような儀式があります。
朝光寺について簡単に触れておきます。
朝光寺の基本情報
住所:兵庫県加東市社町畑609
TEL:0795-44-0735
山号:鹿野山(ろくやさん)宗派:高野山真言宗
御本尊:2躯の十一面千手千眼観世音菩薩立像
Goo地図はこちら
朝光寺は白雉2年(651)法道仙人が開基したという伝承をもつ。
元は北にある権現山にありましたが、平安末期1189年(文治5年)に
現在の地に移転したと言われています。
法華山に住んでいた法道仙人が遥かにこの峰(権現山)を望み見て、早朝ごとに
瑞光が高く昇るのを見て、その光に尋ねてこの山の下(鹿野という権現山の麓)
に来て池の畦の老松の陰で休息していると高い冠と美しい衣服をまとった老翁が
やって来て「我は住吉大神である」と名乗り、法道仙人に乞い「千手大悲観世
音菩薩」を彫造して権現山上に祀った。これを朝光寺の始とする(播磨鑑より)
厨子嵌板墨書に本堂の仏壇が応永20年(1413)8月15日に建立されたとあり
この時期に現在の朝光寺の本堂が建立されたと推定されています。
上瓦が応永35年(1428)5月15日から始まり正長元年(1428)10月21日に
葺き替えが完了したこと。御本尊の移徒が応永20年(1413)8月15日に
行われたことが記載されています。
また瓦に作者の銘が確認されているものとして天文16年(1547)10月26日
大和国西之京住人瓦大工橘朝臣国次があります。
解体修理は最近では2012年1月瓦の葺き替え、昭和11年(1935)解体修理が
行われています。
2012年の瓦の吹き替え工事を紹介したサイト。
http://www42.tok2.com/home/yamaaso/nikki/chokoji.html
当日鬼追踊は13時からと承知していたのですが駐車場が満杯になること渋滞
などを考慮して朝早くに神戸の自宅を出発し朝光寺に到着したのは9時過ぎで
あまりにも早くて時間を持て余した。
午前中に撮った朝光寺の境内の写真を紹介します。
上の写真は朝光寺塔頭の一つ総持院の遠景。
上の写真は総持院の入り口の朝光寺鬼まつりのポスター。
上の写真は朝光寺塔頭の一つ吉祥院。。中の七福神を見せて頂きました。
上の写真は吉祥院脇の池の菖蒲。季節を感じる植物です。
上の写真は国、県、市が指定した朝光寺の文化財のリストを掲載した説明板です。
上の写真は昭和29年(1954)3月20日に国宝に指定された本堂です。
上の写真は朝光寺本堂の説明版。
上の2枚の写真は国の重要文化財に指定されている鐘楼。
但し下の鐘楼の写真は2015-4-29に撮影のもの。
上の写真は兵庫県指定の文化財 多宝塔です。
多宝塔の中の釈迦如来と多宝如来が御開帳で観覧できました。
当日、多宝塔の近くで茶席が設けられておりお茶と柏餅を頂きました。
100円というのは申し訳なく思った次第です。結構なお手並みで・・・・
上の写真は鐘楼の東側にある住吉三神等を祀った境内社。
上の3枚の写真は仁王門と仁王像。
前置きが長くなりましたが本題の鬼追踊の話題に戻ります。
上の動画は鬼追踊の前の法要のため本堂内陣に入場され僧侶の方々です。
13時少し前に仁王門から入場され本堂に入られました。
上の動画は本堂内陣での法要です。
上の動画は本堂内陣での法華経転読の場面です。
法華経の虫干しの実用的な意味合いもあるようです。
いよいよ鬼追踊が始まります。
動画は最初の翁による祓いの踊です。この踊に続いて一番の踊、二番の踊、
三番の踊と続きます。翁は法道仙人にこの地を紹介した住吉神社の神様の化身
との解説がありました。
上の動画は一番の踊です。
松明を持った翁の踊、松明を持った赤鬼、斧を持った青鬼、太刀を持った黒鬼、
錫杖を持った黄鬼(小豆鬼)の踊の順番で鬼踊が続きます
上の動画は二番の踊です。
太刀を持った黒鬼、松明を持った赤鬼、斧を持った青鬼、錫杖を持った黄鬼の
4匹の鬼が揃い鬼追踊を披露しました。
上の動画はは三番の踊です。
太刀を持った黒鬼、松明を持った赤鬼、斧を持った青鬼、錫杖を持った黄鬼の
4匹の鬼が揃い鬼追踊を披露しました。
後半には青鬼による餅切りの踊さらに赤鬼が燃えさかる松明を餅と樒の葉に
かざすと、バチバチと音を立て、真赤な炎があがる踊(餅焼き踊)が
行われました。鬼追踊の中でのクライマックスの鬼踊りで迫力がありました。
加東市では今回紹介した朝光寺の鬼追踊の他に
1)秋津住吉神社の百石踊
2)上鴨川住吉神社の神事舞
を加東の三大民族舞踏としてパンフレットも作成しPRしています。
今年(2015)上記の行事も観に行ってブログを作成していますのでリンク及び
TBしておきます。
加東市 秋津住吉神社に奉納された 西戸百石踊 on 2015-4-29
兵庫県加東市 上鴨川住吉神社の神事舞 on 2015-10-4 その1 ホントウの神事舞まで
兵庫県加東市 上鴨川住吉神社の神事舞 on 2015-10-4 その2(完)
鬼追踊を初めて観てきましたので写真と動画で紹介します。
鬼追い式がこの時期に行われるのは珍しいのでその経緯について記します。
朝光寺の鬼追踊は室町時代が起源とされ、五穀豊穣や無病息災を祈る行事である。
江戸時代には修正会の結願として鬼追い式が挙行されていたが明治期になり
子供の病気平癒を願い八十八夜の時期(5月2日頃)に実施されるようになり
子供の日が制定されて以降5月5日に行われるようになったそうです。
修正会(しゅしょうえ)又は修二会(しゅにえ)の付帯行事として鬼追いが
行われます。追儺式での鬼は悪鬼ではなく、災いを取り除き、大地を清め
踏み固める鬼で悪鬼を祓い疫病を封じ、五穀豊穣、家内安全を願うものである。
追儺(ついな)とは、大晦日(12月30日 (旧暦))の宮中の年中行事であり、
平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式。「鬼やらい」(鬼遣らい、
鬼儺などとも表記)、「儺(な)やらい」、鬼追い(鬼追会)、鬼踊りとも
呼ばれる。追儺はもとは中国の行事であり、宮廷の年中行事となり、
現在の節分の元となった行事である。
したがって、節分の豆まきと同じような儀式があります。
朝光寺について簡単に触れておきます。
朝光寺の基本情報
住所:兵庫県加東市社町畑609
TEL:0795-44-0735
山号:鹿野山(ろくやさん)宗派:高野山真言宗
御本尊:2躯の十一面千手千眼観世音菩薩立像
Goo地図はこちら
朝光寺は白雉2年(651)法道仙人が開基したという伝承をもつ。
元は北にある権現山にありましたが、平安末期1189年(文治5年)に
現在の地に移転したと言われています。
法華山に住んでいた法道仙人が遥かにこの峰(権現山)を望み見て、早朝ごとに
瑞光が高く昇るのを見て、その光に尋ねてこの山の下(鹿野という権現山の麓)
に来て池の畦の老松の陰で休息していると高い冠と美しい衣服をまとった老翁が
やって来て「我は住吉大神である」と名乗り、法道仙人に乞い「千手大悲観世
音菩薩」を彫造して権現山上に祀った。これを朝光寺の始とする(播磨鑑より)
厨子嵌板墨書に本堂の仏壇が応永20年(1413)8月15日に建立されたとあり
この時期に現在の朝光寺の本堂が建立されたと推定されています。
上瓦が応永35年(1428)5月15日から始まり正長元年(1428)10月21日に
葺き替えが完了したこと。御本尊の移徒が応永20年(1413)8月15日に
行われたことが記載されています。
また瓦に作者の銘が確認されているものとして天文16年(1547)10月26日
大和国西之京住人瓦大工橘朝臣国次があります。
解体修理は最近では2012年1月瓦の葺き替え、昭和11年(1935)解体修理が
行われています。
2012年の瓦の吹き替え工事を紹介したサイト。
http://www42.tok2.com/home/yamaaso/nikki/chokoji.html
当日鬼追踊は13時からと承知していたのですが駐車場が満杯になること渋滞
などを考慮して朝早くに神戸の自宅を出発し朝光寺に到着したのは9時過ぎで
あまりにも早くて時間を持て余した。
午前中に撮った朝光寺の境内の写真を紹介します。
上の写真は朝光寺塔頭の一つ総持院の遠景。
上の写真は総持院の入り口の朝光寺鬼まつりのポスター。
上の写真は朝光寺塔頭の一つ吉祥院。。中の七福神を見せて頂きました。
上の写真は吉祥院脇の池の菖蒲。季節を感じる植物です。
上の写真は国、県、市が指定した朝光寺の文化財のリストを掲載した説明板です。
上の写真は昭和29年(1954)3月20日に国宝に指定された本堂です。
上の写真は朝光寺本堂の説明版。
上の2枚の写真は国の重要文化財に指定されている鐘楼。
但し下の鐘楼の写真は2015-4-29に撮影のもの。
上の写真は兵庫県指定の文化財 多宝塔です。
多宝塔の中の釈迦如来と多宝如来が御開帳で観覧できました。
当日、多宝塔の近くで茶席が設けられておりお茶と柏餅を頂きました。
100円というのは申し訳なく思った次第です。結構なお手並みで・・・・
上の写真は鐘楼の東側にある住吉三神等を祀った境内社。
上の3枚の写真は仁王門と仁王像。
前置きが長くなりましたが本題の鬼追踊の話題に戻ります。
上の動画は鬼追踊の前の法要のため本堂内陣に入場され僧侶の方々です。
13時少し前に仁王門から入場され本堂に入られました。
上の動画は本堂内陣での法要です。
上の動画は本堂内陣での法華経転読の場面です。
法華経の虫干しの実用的な意味合いもあるようです。
いよいよ鬼追踊が始まります。
動画は最初の翁による祓いの踊です。この踊に続いて一番の踊、二番の踊、
三番の踊と続きます。翁は法道仙人にこの地を紹介した住吉神社の神様の化身
との解説がありました。
上の動画は一番の踊です。
松明を持った翁の踊、松明を持った赤鬼、斧を持った青鬼、太刀を持った黒鬼、
錫杖を持った黄鬼(小豆鬼)の踊の順番で鬼踊が続きます
上の動画は二番の踊です。
太刀を持った黒鬼、松明を持った赤鬼、斧を持った青鬼、錫杖を持った黄鬼の
4匹の鬼が揃い鬼追踊を披露しました。
上の動画はは三番の踊です。
太刀を持った黒鬼、松明を持った赤鬼、斧を持った青鬼、錫杖を持った黄鬼の
4匹の鬼が揃い鬼追踊を披露しました。
後半には青鬼による餅切りの踊さらに赤鬼が燃えさかる松明を餅と樒の葉に
かざすと、バチバチと音を立て、真赤な炎があがる踊(餅焼き踊)が
行われました。鬼追踊の中でのクライマックスの鬼踊りで迫力がありました。
加東市では今回紹介した朝光寺の鬼追踊の他に
1)秋津住吉神社の百石踊
2)上鴨川住吉神社の神事舞
を加東の三大民族舞踏としてパンフレットも作成しPRしています。
今年(2015)上記の行事も観に行ってブログを作成していますのでリンク及び
TBしておきます。
加東市 秋津住吉神社に奉納された 西戸百石踊 on 2015-4-29
兵庫県加東市 上鴨川住吉神社の神事舞 on 2015-10-4 その1 ホントウの神事舞まで
兵庫県加東市 上鴨川住吉神社の神事舞 on 2015-10-4 その2(完)
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