CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その18 梅ヶ枝湯(うめがえゆ)

2018年02月27日 05時19分50秒 | 神戸市以外の兵庫県
2017年11月12日と2018年1月21日に山陽電車の高砂駅に下車し
高砂駅の南の地区を散策してきました。初訪問です。

本日はその第18回目で「梅ヶ枝湯(うめがえゆ)」について写真紹介します。



過去の散策記

第1回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その1 高砂神社

第2回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その2 十輪寺

第3回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その3 キャンドルカフェ記念チェアー しあわせの席「たかさご」

第4回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その4 堀川の風景

第5回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その5 北堀川界隈

第6回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その6 藍屋町の川地蔵

第7回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その7 申義堂(しんぎどう)

第8回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その8 国鉄高砂駅跡

第9回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その9 高砂公民館の美濃部達吉・亮吉親子文庫

第10回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その10 善立寺と天竺徳兵衛の墓

第11回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その11 旧国鉄高砂線の分岐点

第12回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その12 旧高砂銀行本店(高砂商工会議所会館)

第13回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その13 旧高砂通運本社屋

第14回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その14 寺町
  
第15回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その15 河合義一
  
第16回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その16 ヘリコプターの発明者「 大西唯次」
  
第17回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その17 河合 耆三郎(かわい きさぶろう)

梅ケ枝湯の基本情報

住所:高砂市高砂町次郎助町1593  TEL:079-442-0985
料金:大人410円、中人150円(小学生)、小人60円(乳幼児)
営業時間:16時から23時
定休日:木曜日

FB:https://www.facebook.com/pages/銭湯-梅ヶ枝湯-長谷川/275530362463091







上の3枚の写真は裏側から撮った梅ケ枝湯


上の写真は正面から撮った梅ケ枝湯


上の写真は入口の表示

入湯しなかったので内部の様子は判りません。

Wikipediaより梅ケ枝湯に関する説明を引用させていただきます。

昭和18年(1943年)開業の古い風呂屋である。玄関側は、レトロではあるがごく一般的な
昭和の平均的なのモルタル造りの平凡な建物に見えるが、裏に回れば様相は一変する。
建屋は相当に古い木造建築で、増改築を繰り返した跡があり、建物側面と煙突には煉瓦が
使われた混構造となっているのがたいへん珍しい。
また現在も薪を使って湯を沸かす数少ない銭湯として貴重な存在である。内部には造られて
80年ほど経過した木のロッカー、古いベンチなどがみられ時代を感じさせる。
夕方近くなると四角いレンガの煙突からは黒煙が立ち上る光景が眺められる。最近では
『千と千尋の神隠し』の湯屋を連想させるとして人気を集めている


所在地の次郎助町について光守神社の掲示板の写真を添付しておきます。
次郎助町はかっては高砂遊郭が存在していたんですネ。
また中須重右衛門の和塾「教童堂」もあったそうです。




上の写真は光守神社

高砂だけでなく全国的に銭湯の数が減っており梅ケ枝湯さんは貴重な存在だと思います。

高砂ではかっては高砂湯、末広湯などの銭湯があったが消滅しています。
さらに三菱製紙の厚生施設として栄町浴場もあったがこちらも廃止された。

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山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その17 河合 耆三郎(かわい きさぶろう)

2018年02月27日 03時59分06秒 | 神戸市以外の兵庫県
2017年11月12日と2018年1月21日に山陽電車の高砂駅に下車し
高砂駅の南の地区を散策してきました。初訪問です。

本日はその第17回目で「河合 耆三郎(かわい きさぶろう)」について紹介します。



過去の散策記

第1回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その1 高砂神社

第2回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その2 十輪寺

第3回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その3 キャンドルカフェ記念チェアー しあわせの席「たかさご」

第4回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その4 堀川の風景

第5回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その5 北堀川界隈

第6回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その6 藍屋町の川地蔵

第7回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その7 申義堂(しんぎどう)

第8回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その8 国鉄高砂駅跡

第9回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その9 高砂公民館の美濃部達吉・亮吉親子文庫

第10回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その10 善立寺と天竺徳兵衛の墓

第11回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その11 旧国鉄高砂線の分岐点

第12回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その12 旧高砂銀行本店(高砂商工会議所会館)

第13回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その13 旧高砂通運本社屋

第14回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その14 寺町
  
第15回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その15 河合義一
  
第16回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その16 ヘリコプターの発明者「 大西唯次」
  

上の写真は高砂みなとまちづくり構想推進協議会が平成29年(2017)3月に建立した石碑
で新鮮組隊士で高砂町今津町で生まれた河合 耆三郎(1838-1866)を紹介しています。


上の写真は生まれ育った今津町の説明板


上の写真は上述の石碑と説明板のある場所の遠景
近くには現在工事が進められている工楽松右衛門の生家があります。(下の写真)


Wikipediaより(一部加筆)河合 耆三郎の略歴を紹介します。
河合 耆三郎(かわい きさぶろう、天保9年(1838)- 慶応2年2月12日(1866年3月28日)
は、新選組隊士。勘定方。
略歴:
播磨国の高砂町今津町の出身で、実家は富裕な蔵元(米問屋)であった。世の中を変える
ためには侍にならなければという高い理想で新鮮組に入隊した。新選組には、大阪で
商家に嫁いでいた妹が推薦(このため、永倉新八が河合の事を大坂の出身と後に記す
原因となった)し入隊できた。勘定方として主に隊費の経理面で活躍し、池田屋事件にも
参戦し褒賞金をもらっている。慶応2年(1866年)2月、切腹させられた。
切腹の理由は以下の諸説あるが、粛清されるに至るまでの背景は判明していない。
一説では慶応2年(1866)隊の資金数十両を紛失したとして粛清された。また一説では
近藤勇の妾の深雪太夫を身請けする費用の捻出が進まなかったためという説(しかし、
深雪太夫の身請けと河合の粛清の時期に整合性がなく、信憑性は薄いとみられている)。
深雪太夫ではなく、ほかの芸妓の身請け話が進められて、それが原因で経理ミスを
起こしたという説などがある。さらに、近藤の度重なる女性関係の浪費に、隊費管理の
責任者として難色や苦言を呈したために、排除対象人物とされ粛清されたという説。
何らかの反乱工作を企てようとして露見したという説。
単に私用で使い込みをしたという説などもある。
河合は切腹を免れるために親元に足りなくなった資金を借り入れるために使いを出したが、
たまたま実家で騒動が起きていて資金を送るのが遅れてしまい、
結果資金は河合切腹直後に届けられたという説がある。切腹を聞いた親は大変怒り、
新選組が立てた墓とは別に息子を供養するための立派な墓を壬生寺に建てた。


壬生寺の墓碑には下記のように刻まれている。
播磨国高砂産享年廿九時慶応二寅年春二月十二日也
     松浦鶴女
     河合儀一郎
     神田菊女
河合耆三郎源義輝之墓
(壬生寺墓碑銘)


3人のお名前は姉・弟・妹(下記の家系図を参照)
河合義一氏の叔父に当たる人物です。


   
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