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元石清水八幡宮・八幡神社 訪問記 on 2017-6-6

2017年06月07日 06時40分16秒 | 奈良情報
2017年6月6日、南都七大寺の大安寺を訪問しました。その折表記の「元石清水八幡宮」を
訪問することもできましたので写真紹介します。

石清水八幡宮は奈良の春日大社の春日祭、京都の賀茂祭(葵祭)(北祭)、と共に
三大勅祭が行われる超有名な神社で、京都八幡市の男山に鎮座しています。

神社境内の説明より元石清水八幡宮の由緒を紹介します。

「当社は人皇第五十一代平城天皇大同二年丁亥年(807)、南都七大寺の一大安寺の僧
 行教和尚入唐し帰朝の際豊前の国宇佐の宮に参籠し神託により供奉し同年八月十七日
 同寺本坊に鎮座同寺の鎮守とせしも其後清和天皇の御宇貞観元己卯年(859)八月八日
 再和尚宣託を受け山城国山崎陵男山の新殿に奉遷座今の官幣大社男山八幡宮是なり
 当社は俗に大安寺石清水八幡宮又子安八幡宮とも謂ふ。」


上記のように元石清水八幡宮・八幡神社の創建は大同2年(807)男山の石清水八幡宮が遷座
したのが859年ですのでこの八幡神社は、石清水八幡宮の元宮という位置付けになる。

元石清水八幡宮・八幡神社の基本情報

住所:奈良市東九条町1316  TEL:074-262-3240
御祭神:仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
創建:大同2年(807)大安寺の僧・行教(ぎょうきょう)が、宇佐八幡宮より遷座
氏子:大安町、東九条町、八条町



上の写真は元石清水八幡神社の本殿の側面と拝殿


上の写真は元石清水八幡神社の拝殿正面より本殿を臨む




上の写真は本殿の下にある狛犬と鳩
神の使いである鳩の人形がずらりと並んでいます。
「八幡鳩」の置物は小さいものの数がおびただしい




上の2枚の写真は男山の石清水八幡宮の拝殿と蟇股に描かれた鳩
撮影:2010-12-29


上の写真は元石清水八幡宮境内の配置図


上の写真は総門


上の写真は八幡神社の案内板






上の3枚の写真は2017年1月12日より中間解体修理工事が行われている中門の関係資料


上の写真は八幡神社の中門の説明板


上の写真は手水舎


上の写真は摂社の祓殿社  御祭神は瀬織津姫命 (せおりつひめのみこと)


上の写真は奥正面の摂社の稲荷社  御祭神は保食神 (うけもちのかみ)


上の写真は北側の摂社:菅原社(祭神:菅原道真公 (すがわらみちざねこう)
           厳島神社(祭神:市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと))


上の写真は摂社の金毘羅社  御祭神:金刀比羅大神 (ことひらおおかみ)


上の写真は摂社の宮玉社


上の写真は摂社の春日社  御祭神は大物主命 (おおものぬしのみこと)、
                 天児屋根命 (あめのこやねのみこと)


上の写真は摂社の命婦社  御祭神は玉依姫命 (たまよりひめのみこと)
                 豊玉姫命 (とよたまひめのみこと)


上の写真は摂社の若宮社 御祭神は仁徳天皇


上の写真は摂社の武内者  御祭神は天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
                 武内宿禰命 (たけのうちのすくねのみこと)


上の写真は一の鳥居 厳島神社などと同じ明神鳥居系 三輪鳥居です。



上の写真は大安寺の拝観リーフレットの江戸時代の境内図で八幡宮の建物が確認できます。

Wikipediaによれば
辰市(たつのいち)4箇郷の氏神とされたことから、郷社石清水八幡神社や辰市八幡宮等とも称された
大安寺の鎮守であるが、安産に効ありとの信仰も集めており、そのために子安八幡宮とも称される。
本殿下に土製の鳩が無数に並ぶが、それらは安産祈願に参詣した者が奉納したものという。
由緒:応和2年(962年)5月11日の年紀をもつ『大安寺八幡宮御鎮座記』は、入唐した大安寺の
僧侶行教が帰朝の途次に豊前宇佐八幡宮に参籠してその神影を奉戴、大同2年(807年)に大安寺東室
第7院の石清水房に鎮座したのが起源で、後に神殿を造営して遷座し、「石清水八幡宮」と号して
大安寺の鎮守神としたが、貞観元年(859年)に神託によって山城男山へ遷座したために改めて
その跡に祀ったのが創祀であるとする。また異説として、保延6年(1140年)に著された
『七大寺巡礼私記』はそれ以前の斉衡2年(855年)に行教が勧請して創祀したものとしている。
鎮座地は『七大寺巡礼私記』に「東塔の北に在り」とあるように、かつては大安寺の寺域に属して
南には同寺の東塔が建っていた。また『御鎮座記』にある石清水房も「大安寺伽藍絵図」によると
現社地と大安寺の間にあった事が確認できる。なお、建長7年(1255年)以前の成立とされる
『七大寺日記』には大安寺の金堂の東に南北1町ほど(およそ120メートル)に連なった僧坊の跡が
ある事を記し、その北から4番目の坊が行教の坊であったとの古老の伝えを紹介、次いでその傍らに
石清水という井戸がある事を述べるが、現社地北方の御霊神社境内にある「石清水の井」がその井の
遺称であるという。
中世には「辰市八幡宮」と称され、辰市4箇郷の鎮守神として尊崇され、春日大社の正預に就任した
者は必ず一度は頭役として勤仕する定めであった。永正元年(1504年)に焼失した記録があり、
その後再興されたようであるが、元亀2年(1571年)の松永久秀の辰市攻略等の戦乱で大安寺と
ともに衰微の道を辿り、慶長元年(1596年)閏7月12日には大地震によって同寺とともに罹災、
その影響で大安寺が一時廃寺の状態となったために独立し、在地の氏神として村民の手によって
復興された。社伝によれば、文久3年(1863年)に大修理を、大正2年(1913年)に本殿と
全末社の彩色を施している。



上の写真は大安寺の創建時から最盛期にかけての伽藍の模型
Wikipediaの解説とともに読むと理解が深まる

上記Wikipediaの解説文にあった御霊神社の「石清水の井」の写真も添付しておきます。


上の写真は御霊神社の「石清水の井」






上の3枚の写真は御霊神社の境内と案内板

案内板には下記(原文のまま)の内容が記載されています。
御霊神社由緒記
本神社は元石清水八幡宮と称す(八幡神社)
大同二年八月十七日、大安寺の僧、行教和尚が、大安寺の鎮守社として
築紫(大分)宇佐八幡宮より大菩薩を勧請(かんじょう)せしとき、お供えする
御手水閼伽井(あかい)の水(石清水と号す)を求めて此処に、行教和尚の託宣
により獨鈷(どっこ)を用いて掘らしめたところ、清湛(せいたん)な法水湧き出る。
而して遥かに男山八幡石清水に通じて、この水の保護を受けんがため、御井戸の守神として、
高龗命(たかおおかみのみこと)、善女龍王命(ぜんみょうりゅうおうみこと)二柱の
神を祀られた。
現在農耕神、商い神、御霊神社と崇め奉る宮なり。
其井戸は往時の原形は留めないが今も存在せり。


高龗命(たかおおかみのみこと)、 水の神
善女龍王命(ぜんみょうりゅうおうみこと) 雨乞、水乞、止雨乞の神

平成12年12月吉日
大安寺町評議員会




上の写真は大安寺の拝観リーフレットの江戸時代の境内図(部分)で東金堂の北側に
龍王と石清水の文字を確認できます。
竜王を祀る社と共に石清水が描かれており、これが御霊神社と名を変え残っている。

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