CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

東沢瀉(ひがしたくしゃ)のこと

2004年08月03日 06時15分51秒 | 岩国情報
江戸から明治にかけて活躍した岩国出身の著名な陽明学者
東沢瀉(ひがしたくしゃ)について紹介したいと思います。
沢瀉は天保3年(1832)岩国の錦見(にしみ)に生まれました。
父は岩国藩の家臣で沢瀉は長男でした。
10歳のころから勉学に没頭し詩文や漢書を学びました。
そして岩国藩の藩校養老館(現在の吉香公園付近にあった)
に入学しました。当時の岩国では進歩的な学問が無く江戸に出て
陽明学を学ぶこととなった。(1854年)
当時の江戸ではペリーの再来航で大騒ぎしている時期であった。
岩国に帰った沢瀉は陽明学を教えながら徳川幕府に対抗する
精義隊を組織し勤皇の志士として多くの門弟もこれに従いました。
ところがこの活動が過激であるとの理由で柱島に栗栖天山と共に
流されました。
世が明治となって沢瀉も許され岩国市の保津面高に住み塾を開き
百数十名の生徒に教えました。
先生の楽しみは書画で門人は先生からもらった書画を大切に保存
したそうである。1884年には息子(正堂)に塾を譲って3層楼と
呼ばれる3階建ての建物(1階は勉強部屋2階は眺めの部屋
3階は大切なものを保管)で書画や読書を楽しんだ。
明治24年(1891)60年の生涯を閉じた。
写真は188号線のすし和の裏手にある先生の記念館の写真です。 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする